たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

「……誰?」

 ベッドの上で身体を起こして座った詩音が、ぼんやりとした表情でこちらを見る。焦点の合わないような黒い瞳が蓮と雛子を見つめるから、二人は息を詰めて黙りこくる。
 ふわふわと視線をさまよわせていた詩音が、蓮を見てふわりと笑った。いつものような笑顔ではなく、どこか儚い笑みに胸が苦しくなる。

「蓮くん、おはよう。来てくれてありがとう」

 詩音の言葉に、雛子がびくりと身体を震わせた。

「……蓮くんの、お友達?」

 雛子を見て首をかしげる詩音に、蓮は必死に笑顔を浮かべてうなずいた。

「うん、俺の友達。詩音ちゃんともお友達になってほしくて」

「そうなんだ。はじめまして、尾形詩音といいます。お名前を聞いてもいい?」

 微笑みを浮かべた詩音が、軽く首をかしげて雛子を見る。雛子は、まっすぐに詩音に手を差し出した。

「高瀬雛子。ヒナって呼んで」

「ひなちゃん、よろしくね」

 雛子の手を握って、詩音が笑う。その笑顔も、呼び方も、昨日まで雛子に向けられていたものとは全く違うことが悲しい。

「蓮くんはね、ピアノがすごく上手なの。ひなちゃんも、一緒に聴こう?」

「うん、楽しみ」

 明るくうなずく雛子を見て、詩音も嬉しそうに笑う。

「あのね、明日は蓮くんピアノのコンクールなんだって。私も応援に行くの。えぇと、何時からだったかな……」

 弾んだ声で予定を確認しようと手帳を開いた詩音は、指先でカレンダーの日付をなぞる。だけどその手は、ぴたりと止まって動かなくなった。

「……ヒナって書いてあるのは……、ひなちゃんのことかな。悠太って、誰だろ」

 虚ろな口調でつぶやいた詩音は、ゆっくりと顔を上げると蓮と雛子を見つめた。その瞳に、みるみるうちに涙の粒が浮かび上がる。