駅に向かって歩き出しながら、蓮はなんとなく病院を振り返った。最上階のあの部屋の中で、詩音は今も記憶を失う恐怖に怯えているのだろうか。
近道をしようと病院の隣にある公園を突っ切ろうとしたところで、ベンチに座る見覚えのある姿を見つけて、蓮は思わず足を止めた。
「あぁ、蓮くん」
「相馬先生……」
咥えていた煙草を持ち、相馬はふうっと煙を吐く。独特の匂いが生温かい風に乗って蓮のそばまで流れてきた。
「煙草、吸われるんですね」
何を言えばいいか分からなくて、蓮はぽつりとつぶやく。相馬は小さく笑うとポケットから携帯灰皿を取り出して火を消した。
「仕事のストレスが溜まった時なんかに、時々ね。もう随分と長いこと吸ってなかったんだけど、今日はさすがに堪えたから」
立ち上がった相馬は、そばの自販機に向かうとコーヒーを買って蓮に差し出した。指先が痛くなるほどに冷えた缶を握りしめながら、蓮は相馬の隣に座る。
「雛子ちゃんにも話したんだけどね」
コーヒーを一口飲んで、相馬は前を見つめたままつぶやいた。
「きっと詩音の記憶に残っているのはもう、きみと雛子ちゃんだけだ」
薄々予想はしていたけれど、その言葉は蓮の心に重くのしかかる。
「金居先生とも話していたんだけど、恐らく睡眠が記憶を失う引き金なんだろう。今夜眠った詩音が明日の朝に目覚めた時、きみか雛子ちゃん、どちからの記憶を失っていると思う」
「……ということは、明後日には詩音ちゃんは全ての人の記憶を失う、と?」
震える声でつぶやいた蓮に、相馬は小さくうなずいた。
「恐らくはね。彼女の記憶の中に誰もいなくなったあと、どういう経過を辿るのかはよく分からないらしいんだ。人によるというか……」
重苦しい口調で相馬が話したのは、詩音より先にこの病気にかかった人の症状について。
そのまま眠り続けて目覚めなくなった人、孤独に耐えられなくなったのか精神を病んだ人、変わらず一人きりの世界を生きている人――。
「金居先生も、そうたくさんの症例を知っているわけじゃないからね。詩音がこの先どうなるのか、全く分からない。……彼女の心だけは守ってやりたいと思うけど」
蓮よりもずっと長い時間を一緒に過ごしてきた相馬の言葉に、何を返せばいいのか分からなくて、蓮は黙って苦いコーヒーを飲んだ。
近道をしようと病院の隣にある公園を突っ切ろうとしたところで、ベンチに座る見覚えのある姿を見つけて、蓮は思わず足を止めた。
「あぁ、蓮くん」
「相馬先生……」
咥えていた煙草を持ち、相馬はふうっと煙を吐く。独特の匂いが生温かい風に乗って蓮のそばまで流れてきた。
「煙草、吸われるんですね」
何を言えばいいか分からなくて、蓮はぽつりとつぶやく。相馬は小さく笑うとポケットから携帯灰皿を取り出して火を消した。
「仕事のストレスが溜まった時なんかに、時々ね。もう随分と長いこと吸ってなかったんだけど、今日はさすがに堪えたから」
立ち上がった相馬は、そばの自販機に向かうとコーヒーを買って蓮に差し出した。指先が痛くなるほどに冷えた缶を握りしめながら、蓮は相馬の隣に座る。
「雛子ちゃんにも話したんだけどね」
コーヒーを一口飲んで、相馬は前を見つめたままつぶやいた。
「きっと詩音の記憶に残っているのはもう、きみと雛子ちゃんだけだ」
薄々予想はしていたけれど、その言葉は蓮の心に重くのしかかる。
「金居先生とも話していたんだけど、恐らく睡眠が記憶を失う引き金なんだろう。今夜眠った詩音が明日の朝に目覚めた時、きみか雛子ちゃん、どちからの記憶を失っていると思う」
「……ということは、明後日には詩音ちゃんは全ての人の記憶を失う、と?」
震える声でつぶやいた蓮に、相馬は小さくうなずいた。
「恐らくはね。彼女の記憶の中に誰もいなくなったあと、どういう経過を辿るのかはよく分からないらしいんだ。人によるというか……」
重苦しい口調で相馬が話したのは、詩音より先にこの病気にかかった人の症状について。
そのまま眠り続けて目覚めなくなった人、孤独に耐えられなくなったのか精神を病んだ人、変わらず一人きりの世界を生きている人――。
「金居先生も、そうたくさんの症例を知っているわけじゃないからね。詩音がこの先どうなるのか、全く分からない。……彼女の心だけは守ってやりたいと思うけど」
蓮よりもずっと長い時間を一緒に過ごしてきた相馬の言葉に、何を返せばいいのか分からなくて、蓮は黙って苦いコーヒーを飲んだ。

