たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

「嫌だよ。もう誰のことも忘れたくないの。蓮くんのことも、ずっと覚えていたいの」

 涙混じりで吐き出した詩音が、ぶつかるように抱きついてくる。そのまま二人は、歩道橋の真ん中でずるずるとしゃがみ込んだ。

「だって、今ならまだ蓮くんのこと覚えたまま終わらせられる。その方が、ずっといいよ」

「そんなことない。そんなことないよ」

 胸元で何度もしゃくりあげる詩音をなだめるように、ゆっくりと背中を撫でながら、蓮は何度もつぶやく。

「自分で終わらせたりなんてしないで。たとえ詩音ちゃんが忘れたとしても、俺は覚えてる。詩音ちゃんのこと、ずっと覚えてるから」

 絹糸のような黒髪をそっとかき分けて、耳元で蓮は囁いた。詩音は何も言わないけれど、ぴくりと震えた身体が話を聞いていることを教えてくれる。

 しばらく黙ってうつむいていた詩音は、小さく鼻をすすると蓮のシャツをぎゅうっと握りしめて、ゆっくりと顔を上げた。まだ涙の残る赤い目が、不安定に歪みながら蓮を見つめる。
 
「……でも、忘れちゃうんだよ。こんなに大好きな蓮くんのこと忘れて、あなた誰? って言うんだよ、きっと」

 堪えきれずに溢れた涙が白い頬をすべり落ち、ワンピースに落ちた。
 大好きだと告げてもらったはずなのに、蓮の心は嬉しさより苦しさで満たされる。彼女のこの想いすら、いつか消えてしまうというのか。

「好きなの、蓮くんのこと。最初に会った時から……ううん、きっとコンクールで蓮くんのピアノを聴いた時から、好きだったの」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら告げられた想いに、蓮はぐっと小さく唸る。

「っ俺、俺も……詩音ちゃんのことが好きだ。最初に会った時からずっと。笑顔が可愛くて、明るくて、それに俺のピアノを褒めてくれたこともすごく嬉しくて。大好きな詩音ちゃんのために弾いたら、もっといい音が出せるような気だってするんだ」

 緊張で喉がからからだ。少しつっかえてしまったが、蓮も必死に想いを伝える。
 その言葉を受け止めた詩音は、少し驚いたようにぽかんと口を開けたあと、涙の滲んだ目で嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、すごく嬉しい。……両想いだ。蓮くんも私のこと好きだって言ってくれるなんて、思ってもみなかった」

「俺も、まさか詩音ちゃんが好きになってくれるなんて……信じられないくらい」

「ふふ、嘘じゃないよ。本当に、大好きなの。……蓮くんが大好き」

 噛みしめるように、とびっきりの笑顔で想いを口にしてくれた詩音だったが、その表情は徐々に崩れて泣き顔に変わる。