たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 少女は迷う様子もなく病院の建物内へと入ると、蓮の手を引いてどんどん歩いていく。先程、蓮が受診した整形外科の外来を通り過ぎ、更に奥へ。

「待って、どこに行くつもり?」

「だからピアノのあるとこだってば。大丈夫、この時間は使ってないはずなんだ」

 少女がそう言って、行こ! と元気よく歩き続ける。

 似たような外来の窓口がいくつも並んでいて、もはや蓮は自分がどこにいるのかも分からない。
 ぐるぐるといくつもの角を曲がり、たどり着いた先には『療法室』と書かれたプレート。
 
 こんな場所にピアノが? と戸惑う蓮に気づかない様子で、少女はそばの受付窓口をのぞき込んだ。

「山科(やましな)さーん! ピアノ借りていい?」

「あら、詩音(しおん)ちゃん? いいけど、珍しいわね、ピアノなんて」

 受付で何やら作業をしていた若い看護師が、声に気づいて振り返る。怪訝そうなその表情を見て、少女――詩音は、ぷくっと頬を膨らませた。

「あ、山科さんってばひどーい! 私にピアノが弾けるはずないって思ってるでしょ!」

「そんなことないわよ」

 きっと仲が良いのだろう、詩音は山科と呼んだ看護師と顔を見合わせてくすくすと笑う。

「まぁ、確かに私は弾けないんだけど。あのね、友達が弾いてくれるんだ」

「え、詩音ちゃんの……お友達?」

 詩音のうしろにいる蓮の存在に気づいたのか、山科が驚いたように目を見開く。先程出会ったばかりなので、友達と言えるのだろうかと微妙な表情を浮かべる蓮をよそに、詩音は大きくうなずいた。

「そうなの! 今からピアノ弾いてもらうんだ」

「そう、いいわねぇ。なんだかデートみたい」

 嬉しそうな詩音を見て、山科は揶揄うような笑みを浮かべた。

「うん、デートなんだ。だから邪魔しないでねぇ」

 同じように肩を震わせて笑いながら詩音がそんなことを言うから、蓮はどんな顔をすればいいのか分からない。

「邪魔はしないけど、午後の検査までにはお部屋に戻っててね」

「はぁい、了解〜」

 ひらひらと手を振って、少女――詩音はうなずき、山科と呼ばれた看護師から鍵を受け取った。
 ごゆっくり、なんて言葉と共に見送られ、二人は部屋の中へと入る。