たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 レッスンを終えたあと、やはりどこか落ち着かない気持ちが続いていて、気がつけば蓮の足は病院へと向かっていた。
 やはり、詩音のことを想って弾くといつもより柔らかい音が出せるようで、本間にも悪くないと褒められた。
 だけど不安気な詩音の顔を思い出すと、それに引きずられて音も曇ってしまうから、難しいところだ。
 面会時間の終了まではあと少し。顔だけ見て、すぐに帰ろうと決めて蓮は足を速めた。


 エレベーターで最上階へ上がると、いつも静かな病棟が妙に騒がしい。何かあったのだろうかとナースステーションをのぞき込んだところで、看護師の山科と目が合った。

「蓮くん! 詩音ちゃん見てない?」

「え……、昼前に別れてから知らない、けど。何かあったんですか?」

 蓮の言葉に、山科の表情が微かに歪む。

「お部屋にいないのよ。詩音ちゃん、日中はお散歩してることもあるけど、夕食の時間が過ぎても戻らないなんてこと、今までなかったのに」

 もう一度確認するように山科と共に向かった詩音の部屋には、確かに誰もいない。彼女が肌身離さず持っているはずの手帳も、見当たらない。

 ベッドサイドのテーブルの上には、いつも詩音が右手首に着けているはずの、入院患者を示すためのバンドが転がっている。それは、もうここには戻らないという彼女の意思表示のような気がして、鼓動が嫌な速さで打ち始める。
 胸騒ぎの原因は、これだったのだろうかと胸を押さえつつ、蓮は山科を見た。

「俺、病院の外を探しに行きます」

「お願いできる? 院内はスタッフで探すから。雛子ちゃんと相馬先生も心当たりのある場所を探してくれてるんだけど、まだ見つかってないの。蓮くんも何か思い当たる場所があれば……」

「分かりました」

 うなずきながらも、蓮は詩音のことを何も知らないことに気づく。彼女の行きそうな場所、思い入れのある場所なんて、どこも浮かばない。
 それでもじっとしていることなんてできなくて、蓮はもどかしい気持ちで病院を飛び出した。