たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 仕事に戻るという千尋を相馬が送って行き、病室には蓮と詩音の二人きりになる。

「疲れた?」

 ふうっとため息をついてソファに身体を預けたのを見てたずねると、詩音は小さく笑った。

「ん、少しだけね。でも、お出かけはすごく楽しかったよ」

「それなら良かった。今度はどこに行こうか」

 蓮の言葉に、詩音は思わずといった様子でソファから身体を起こす。

「また、どこか行けるの?」

「先生の許可が出たら、だけど。先に予定合わせとこう。また今度……なんて曖昧な約束は詩音ちゃん、好きじゃないだろ」

 手帳を開くように促すと、詩音は嬉しそうにうなずいた。

「俺が空いてるのは、この日とこの日かな……」

 カレンダーを指差すと、詩音がそこに青いペンで丸をつける。

「どっちかで外出許可もらえるように、先生に頼むね!」

『蓮くんとお出かけ(仮)』と記入して、詩音は嬉しそうにその文字を指でなぞった。


「そういえば、覚えててくれたんだね」

 ペンを片付けながら、詩音がつぶやく。何のことか分からず首をかしげた蓮を見て、詩音は手帳を撫でた。 

「また今度、なんて約束が好きじゃないこと」 

「あぁ、うん」

 うなずいた蓮の方に顔を向けて、詩音は笑みを浮かべる。だけどその視線はどこか遠くを見つめているように見える。

「お母さんとはね、怖くて約束できなかった。また来てくれるか……分かんないし。蓮くんやヒナとは約束できるのにな。やっぱり、ほとんど見捨てられてるような状態に、傷ついてたのかもね、私」

「そんなこと……」

 千尋が何度も詩音のもとを訪れていることを、蓮は知っている。詩音の手帳にも、ところどころに『ちひろさんって人が来た』と書いてあるのも見たのだけど、それを伝えても詩音が信じるかどうか分からない。
 結局、何も言えずに黙った蓮に気づかない様子で、詩音は手帳を閉じる。

「まぁ、何というか吹っ切れたような気はする。誕生日プレゼント渡せたし、思い残すことはないかな」

 すっきりとしたと笑う詩音の表情は明るいけれど、どこか諦めのようなものを感じさせて、蓮は何を言えばいいのか分からなかった。