たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 そこには、『お母さんの誕生日』と、詩音の字で書かれていた。

「詩音ちゃん、この日……」

「あぁ、うん。お母さんの誕生日、なんだって」

 まるで見知らぬ芸能人の誕生日だと告げるように言って、詩音は小さく笑う。

「そっか、言ってなかったっけ。私、両親の記憶はもうないんだ。顔も思い出せない。仕事が忙しかったらしくて、小さい頃から全然一緒に過ごしたことなかったみたいでさ。あっという間に忘れちゃった」

 生後間もない頃からベビーシッターに育てられたこと、家族で食卓を囲んだことなんて数えるほどしかないこと、参観日などの行事はいつも一人だったこと。
 今はもう覚えていないけれど、全部雛子が教えてくれたと詩音は笑う。

「まぁ何というかお金で解決っていうのかな。衣食住は充分すぎるくらいに与えられてたみたいだし」

 ここの部屋代も払ってくれてるしね、と笑いながら、詩音は手帳の文字を指先でなぞった。

「でもほら、やっぱり私を産んでくれた人じゃない? 誕生日くらいは一応覚えておこうかなって。日頃の感謝……って言うのか分かんないけどさ、花でも送ろうかなぁ」

「じゃあ、出かけた時に買いに行こうよ。一緒に」

 蓮の言葉に、詩音は驚いたような表情で顔を上げた。

「そっか、買いに行くのいいね。お花屋さんも久しぶりだし、楽しみが増えたな」

 雛子にでも頼んでネット注文してもらうつもりだった、と詩音は照れくさそうに笑う。
 余計なお世話かもしれないけれど、千尋が喜んでくれるといいなと思いながら、蓮も笑ってうなずいた。