たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 もっといい音が、もっと心に響く表現ができるはずなのに、届かない。天から降り注ぐ光のような美しい音は、どうやったら出せるのだろう。
 必死に努力する蓮の上を、天才たちは軽やかに飛び越えていく。
 天才は、最初の一音から違う。圧倒的な表現力と、力強く時に繊細な響き。周囲の空気すら変えるほどに惹きつけられる。一瞬にして、あぁ敵わないと打ちのめされるのだ。

 弾くことは好きなのに、自分の理想と実力が嚙み合わなくて、焦りばかりが募る。
 そんな日々に疲れて、だけどピアノから離れることなんてできない。
 だって、蓮はピアノを愛しているから。幼い頃から常にそばにあったピアノは、もはや蓮の一部と言える。街中で音楽を聴けば、頭の中には楽譜が浮かぶし、指だって勝手に動く。

 どんなに疲れていても、熱を出した日ですら、蓮はピアノに向かった。
 こんな些細な怪我で、弾くのをやめることなんて、できるはずがない。
 
「……怪我で棄権なら仕方ない……なんて、言い訳する暇あるなら練習しろってな」

 自嘲気味につぶやいて、蓮は目の前で指先をぱらぱらと動かしてみる。
 練習しなければ、弾けるようにはならない。天才ではない蓮は、努力を重ねることしかできないのだから。
 なんとなく動かしていた指が頭の中に流れ出したメロディを辿り始め、蓮は右手を太腿の上で踊るように走らせる。こうしていたら、頭の中では理想的な音が鳴らせるのに。

「すご……、魔法みたい」

 不意にそばで聞こえた声に、蓮はハッとして手を止めた。