たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 沈み込んだ気持ちを振り払うように、蓮はピアノの前に座った。
 随分長い間パソコンに向かっていたらしく、外はもう真っ暗だ。

 ぽーんと指先で鳴らした音が、ゆっくりと部屋の中に溶けていく。
 なんとなく指先が辿ったメロディはやっぱり詩音が好きだと言ってくれた『ため息』で、蓮は彼女の笑顔を思い浮かべながら一心に音を奏でた。

 いつもより柔らかな響きは、詩音のことを考えているからだろうか。
 今なら、理想の音に手が届くような気がした。
 曲を弾き終えると、手を休めずに蓮は次の曲を弾き始める。
 きらきらと輝く、だけど壊れそうに儚い音で。病室の詩音に届けるような気持で蓮は鍵盤に指を走らせた。

「――だめだな、全然違う」

 しばらくして、蓮はため息をついて手を止めた。部屋の中に浮いていた音たちが、ぱちんと弾けて消えていく。
 美しい音色には、届きそうで届かない。もっと綺麗な音で、胸が苦しくなるほどに切ない響きで弾かなければならないのに。

「どうやったら届くんだろ。『ため息』なら、結構いい音が出るんだけどなぁ」

 なんとなく指先でポンポンとメロディラインを鳴らしつつ、蓮はつぶやく。

「何か悩み事?」

 突然背後からかかった声に、蓮はびくりと身体を震わせて振り返った。