たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

 楽しかったと頬を紅潮させて喜んでくれた詩音と別れて、蓮は雛子と共に病室を後にした。
 次の約束は、四日後の週末。それまで詩音は、蓮のことを覚えていてくれるだろうか。

「蓮、ありがとね」

 病院を出てなんとなく一緒に駅の方へと歩き出しながら、雛子がつぶやく。

「え?」

「詩音、すごい楽しそうだった。あの子いつもにこにこしてるけど、本気で笑ってるとこ最近全然見なくて。でも今日は、めっちゃ笑ってたじゃん」

 蓮の知る詩音はいつも楽しそうな笑顔ばかりなので、それが普通だと思っていたけれど、雛子から見た詩音はそうではないらしい。詩音のことを大切に思っている雛子の言葉に、蓮は少し胸が切なくなる。
 
「なんて言うか、自惚れかもだけどさ。俺のピアノで詩音ちゃんが笑ってくれるなら、嬉しい」

「自惚れだし! って言いたいけど、実際蓮のピアノで詩音に笑顔が戻ったもんね。すごい悔しいんだけど」

 膨れてみせながらも雛子はくすくすと笑うから、本心では喜んでいることが分かる。
 そんな雛子を見ながら、蓮は躊躇いがちに口を開いた。

「あの、さ。詩音ちゃんは本当にいつか……俺たちのことも忘れちゃう、のかな」

「ん、多分ね。それがいつなのかは分からないけど」

 ため息をついて、雛子は空を見上げた。

「なんで詩音なんだろうね。何も悪いことしてないのに。真面目に生きてきて、これから楽しいことたくさんあるはずの女子高生だよ。世の中にはもっともっと悪い人とかいるじゃん。そういうやつから記憶を奪えばいいのに。すごい不公平だと思う」

 怒ったように雛子は見上げた空をにらみつける。蓮にはそれが、涙をこらえているようにも見えた。