いても立ってもいられなかった。
 学校が終わるまで待てるはずがない。
 気づいた時には誠也の足は瑞希のマンションへと向かい始めた。

 乱れる心を落ち着かせようとするも、逆に不安が無尽蔵に増大し闇色に染まってしまう。
 焦ってはダメだと思えば思うほど、歩くスピードが速くなり、知らないうちに全力疾走で駆け抜けていた。

「はぁ、はぁ、やっと着いた。まだいるかな、それとも……」

 後先考えず飛び出したがために、この先どうすればいいのか考えていなかった。
 そもそも今の時間は学校のはず。
 しかも転校先の……。何も情報がなくマンションの前で立ち尽くしていると、スマホのコール音が周囲に鳴り響く。

 最初、誰のが鳴っているのか分からなかった。
 それが自分のスマホだと認識したのは、数秒という時間が経ったあとであった。

「こんな時間に誰だろ……って、萌絵さん!?」

 どうしてこのタイミングで──そう思いながらも、誠也は通話する事にした。

『どうしたの萌絵さん、今は授業中のはずでしょ?』
『それを言ったら鈴木誠也だってそうでしょっ! って、そんなんで電話したんじゃないんだからっ。姫は今実家にいるみたいよ。職員室で盗み聞きしたから──』
『それは色々とまずい気がしますけど』
『あたしは姫のためなら、どんな事でもするし。だから……姫の実家の住所を送るね。あたしが出来るのはここまでよ』

 どうやって住所を知ったのか疑問が残るも、それを聞くと後悔しそうなので、そっと胸の奥にしまい込んだ。

 住所はすぐにメールで送られてきた。
 この場所からだと、距離はかなりあるが突き進むしかない。
 誠也は瑞希への想いを胸に秘め、瑞希の実家へ向かい出した。

 電車をいくつ乗り継いだのかすら覚えていない。
 車で行った時よりも遠く感じ、瑞希の実家にたどり着いたのはお昼すぎであった。

「やっと着いた……。ここに瑞希がいるはずなんだよね」

 この大きな屋敷を見るのは二度目。
 クリスマスパーティーの時と同じ大きさのはずが、見えない重圧がその存在をさらに大きく見せる。

 この雰囲気に飲まれてはダメだ──心を強く持ち、インターフォンを探し中に入れてもらおうとする。
 が……どこにもそのようなモノは見当たらない。
 かといって勝手に入るわけにもいかず、手詰まり状態で途方に暮れてしまう。

 何か方法はないのか?
 思考を張り巡らせ必死に活路を見出そうとした。

「そ、そうだ、瑞希に直接連絡すればいいじゃないか。どうして今まで気づかなかったんだろ」

 まさに盲点であった。
 動揺していたのもあったが、初歩的な方法を思いつけなかったのが悔やまれる。

 自分を責めるのは後回し。
 今は行動あるのみ。
 誠也は想いを込めたスマホで瑞希に連絡した。

 ──プルルルルル。

 コール音は鳴るが一向に出る気配がない。
 一定時間鳴り続けるも、コール音は無情にも途切れてしまう。

「出てくれない……。会う事すらもう無理なのかな……。いや、ここで諦めちゃダメだ」

 一度でダメなら二度、それでもダメなら繋がるまでかけ続ける。
 ストーカーと呼ばれようが関係ない。
 瑞希と話すまで絶対に諦めないと心に固く誓いを立てる。

 これで何度目であろうか──かけた回数さえ忘れるほど時間が経った時だった。コール音が途切れ懐かしき声が聞こえてきた。

『まったく……誠也は諦めるって知らないようですわね』
『瑞希……』

 やっと繋がった瑞希への道。
 これを途切らせるわけにはいかない。
 どんな手段を使ってもいい、瑞希の転校を阻止しなければならないのだから……。

『何よ、私は今さら……誠也に話なんてありませんわ』
『瑞希にはなくても僕にはあるんだよ』

 誠也は力強い声で瑞希に語りかける。
 それこそありったけの想いを込め、今まででにないほど心の奥から叫んだ。

 瑞希と絶対に離れたくない。
 始まりが偽りであっても今は違う。
 恋人関係になりたいかどうかは分からないが、自分の隣にはずっといて欲しい。
 このワガママな気持ちがどうか届くようにと、誠也は心から願っていた。

『……仕方ないわね。聞くだけ聞いて上げるわよ』
『ありがとう、瑞希』
『それで、私に話ってなんですの? くだらない事でしたら切りますからね』

 瑞希の動揺は電話越しでも分かるほど。
 それが少し嬉しく感じ、誠也の口元はニヤけてしまう。

 だが話す内容などまったく考えていない。
 それでも誠也は──臆することなく瑞希と会話を続けようとした。

『ねぇ、瑞希、どうしてなの? どうして……何も言わずに転校なんかしたのさ』
『そ、それは……別にいいじゃないの。所詮、私と誠也は偽りの恋人関係、全部を話す必要なんて……ないわよ』
『本当にそう思っているの? ううん、僕にはそうは思えないよ。瑞希、いったい何がキミを変えたのかな?』

 別人のような変貌ぶりで瑞希に問いかける誠也。
 どうしても本当の気持ちを知りたかった。

 偽りの関係とは、いえあの笑顔がウソだとは思えない。
 少なくとも誠也にはそう感じた。
 だからこそだ、だからこそ瑞希の本心はどこにあるのか、なぜ急に心変わりしたのか、それが理解できなかった。

『わ、私は別に……何も変わってませんわよ。だって私と誠也は──偽りの恋人なんですから……』

 震える声で瑞希が『偽り』という言葉を強調してくる。

 どんな表情で話しているのだろうか──想像しか出来ず歯がゆさが残るも、その声で自分の考えが正しいと確信した。
 間違いない、瑞希は偽っている。
 それは恋人関係の事ではなく瑞希自身の気持ちをだ。

 こうなったら意地でも本心を引き出すしかない。
 誠也はありったけの勇気を振り絞り、自分の中にある瑞希への想いをぶつけた。

『違う、それは違うよ瑞希。少なくとも僕は──偽りだなんて思ってないからっ』
『な、何よいきなり……』

 告白ともとれる誠也の言葉は、瑞希の顔を真っ赤に染まらせる。
 聞き間違いなんかではない、誠也はハッキリと偽りではないと言ったのだ。

 心臓が飛び出しそうなくらい激しくなる。
 動揺しているのが自分でも分かり、頭の中が真っ白になりかけた。

 どうして今なのか。しかも誠也は萌絵の事が……矛盾する感情がぶつかり合い、混沌の渦へと飲み込まれていく。
 分からない、どうしたらこの苦しみから逃れられるのか見当もつかない。

 瑞希の中で忘れかけていた想いが蘇り、自分自身を容赦なく痛めつける。
 こんなの耐えられるはずがない。
 これ以上自分の心をかき乱さないで欲しい。
 苦しさと痛みにもがきながら、瑞希は誠也から伸ばされた手を握ろうとはしなかった。

『イヤよ、私は……私にはフィアンセがいますもの。誠也が何を想っていようと、それは覆せない事実なのよ』
『瑞希はどうなの? 瑞希は本当にそれでいいと思ってるの? お願いだよ、一度でいいから直接瑞希の口から聞かせてよ』

 拒絶する瑞希に誠也は引き下がろうとはしない。
 声だけでは納得できず、瑞希の顔を見て判断したかった。

『これは私が選んだ道ですわ。それに……直接と言いましても私は実家にいるのですから──』
『待ってるよ、瑞希が直接話してくれるまで僕はずっとここで待つからね』
『待つっていったいどこで……』

 瑞希が何気なく窓の外を眺めると、そこにはいるはずのない誠也の姿が見えた。
 幻なんかではなく本物の誠也。
 その姿を見た瞬間──瑞希の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。