それはまるで運命のようであった。
 この世界は彼女を中心に回っているのかと思うぐらいに。
 選ばれし者とはまさにこの事で、すべてが自分の描いた通りに進んでいった。

「──ってことで、私のクラスはメイド喫茶になったのよ」
「それじゃ、瑞希のメイド服姿が見られるってことだね」
「そうよ、写真はNGだけど、その瞳にしっかり焼き付けてよねっ」

 爽やかな笑顔を誠也に向ける瑞希。
 よほどメイド服を着られるのが嬉しいのだろう。
 心に暖かい風が吹き込み、氷が溶け始め素の瑞希が姿を現す。

 メイド服でやってみたい事はたくさんある。
 頭の中でそれらを描き、妄想にふけるほど今から楽しみで仕方がない。

「瑞希のメイド服かぁ、僕も楽しみにしてるからね」
「ふぇっ!?」

 誠也の意外な言葉で現実世界へと戻される。
 急に体が熱くなり顔が真っ赤に染まっていく。

 誠也が楽しみにしているのなら頑張るしかない。
 たとえイメージが壊れようと、誠也にさえ気に入って貰えればそれでいい。
 思考回路がショート寸前になりながらも、瑞希は心の中で固い誓いを立てた。

「そんな驚かなくても……」
「お、驚いてなんかいませんわ」
「分かった、分かった。それとお弁当なんだけどさ、文化祭が終わるまで休んだらどう? 僕的にはもの凄く嬉しいんだけど、瑞希の体が心配なんだよね」

 誠也の優しさが瑞希の心に染み渡る。
 気遣ってくれるのは嬉しいが、お弁当を作らないと毎朝迎えに行けなくなる。

 イヤだ、あの心地よい時間が無くなるのは絶対に無理。
 そんなの耐えられるはずもなく、精神崩壊待ったなしだ。
 それに比べたら……多少の無理をした方がマシだと瑞希は考えた。

「大丈夫ですわ。それくらい平気に決まってますもの。だって私と誠也は──恋人同士なんですからねっ」
「瑞希が平気ならいいけど。無理だけはしないでね?」

 いつの間にか消えた偽りという文字。
 それはあまりにも自然過ぎて誠也も気づいていない。

 本物の──とはさすがに声を出して言えないが、心の中ではしっかりと言っていた。

「ありがと、誠也。大丈夫、絶対に無理はしないですわ」

 誠也にはそう言ったものの、無理するに決まっている。
 一度でもこの甘い時間を味わうと、抜け出せなくなるのは人の性。
 幼なじみより長い時間一緒にいたい……今さら数年という年月を覆せないのは分かっている。

 だがそれでも──愛しい人の傍にはずっといたいものだ。


 文化祭の準備が本格的に始まろうとする中、水面下でも激しいバトルが繰り広げられようとしていた。
 それは言わずもながら瑞希と瑠香のこと。
 瑞希には劣るとはいえ、瑠香の容姿もなかなかのもの。

 メイド服を誠也に見てもらいたいのは瑞希だけではなかった。

「西園寺さんってメイド服着るんですね」
「私が着たらダメってことはないでしょ」
「それはそうですけどー、なんて言うか、イメージとかけ離れている気がするんですよね」

 あからさまな挑発をする瑠香。
 これ以上瑞希に目立って欲しくないというのが本音。
 容姿では完璧に負けているのだから、裏方に回ってくれるよう道を作る。

 誠也を偽りの恋人から取り返したい。
 あの呪縛さえなければ、誠也は自分のモノになっていたはず。
 今でこそ想いを伝えられたが、誠也が偽りの恋人になる前は無理だった。

 どうしてもっと早く素直になれなかったのだろう──。

 今さら後悔しても仕方ないが、過去へ戻れる手段があればと思っていた。

「別にイメージなんて私には関係ないわよ。何をしようと私が私であることには変わらないのですから」

 崩すことの出来ない固い意思。
 それもすべては誠也に褒めてもらうため。
 それ以外のことなど瑞希にとってはどうでもいい話。

 瑞希の心を奪っているのは誠也だけで、その他大勢は道端に転がる小石と同じ。
 褒められるのは誰でもいいわけではなく、想い人にさえ褒めて貰えれば満足であった。

「そっか、西園寺さんって料理が上手だから、そっちもありかなーって思ったんだよね」
「あら、それなら前原さんの方がお上手ですわ。やはり私なんかよりも、料理上手な人が裏方に入った方がいいと思いますの」

 止まることのないふたりの攻防。
 譲らない、どちらとも一歩も譲る気はない。
 火花を散らしどんな手を使ってでも、誠也から離そうとしていた。

「瑠香、少し落ち着きなさいよ。ほら、内装とかやる事がいっぱいあるんだし」
「うっ……。それはそうだけど……」

 見るに見兼ねて沙織がふたりの衝突を止めた。
 親友には頭が上がらないようで、瑠香は渋々その場をあとにした。


「ねぇ、姫はもしかしてメイド服着てくれるの?」

 瑞希を姫と呼ぶクラスメイトの女子。
 あまりの美しさから、親しい女子たちはそう呼んでいる。

「もちろんよ。私では似合わないと思ってるのかしら」
「ううん、逆だよ、逆。絶対似合うと思ってるからさ。でも、姫は着てくれないかなって心配してたんだよ」
「着るに決まってるじゃないの。せっかくの文化祭なのよ?」

 心が嬉しさで満たされるも、決してそれを表には出さない。
 今の瑞希は氷姫──冷たい美しさが周囲を魅了する。

 男子は遠くから眺めることしか出来ず、常に女子達が瑞希を守るように取り囲む。中には親衛隊と呼ばれる女子もいて、誠也と瑞希が付き合ってからは男子一切近づけさせなかった。

「それは神すぎる。マジ姫のメイド服姿とか目の保養だよ」
「それなー、姫は何着ても似合いそうだし。ってか、姫が男と付き合ったって聞いたときは、マジビックリしたわ」
「そ、それね……。冴えない人だから期待するようなことなんて何もないわよ。おかげで告白されなくなったし、私はむしろ良かったと思ってるの」

 ウソ、何もないなんてデタラメすぎる。
 今でも心の中は驚くほどドキドキしてる。

 誠也とは何もない?
 違う、手料理振舞ったり、毎日お弁当作ったり、誠也に心を奪われたり……。それにデートやキスまでしている。
 これだけしていて何もないとは言えない。

 逆だ、これだけしていることを、恥ずかしげなく言えないだけ。
 ましてや、学校で見せている氷姫とは真逆の存在なのだから。

「姫が付き合ってる人って確か……隣のクラスの鈴木君だよね? 冴えない顔してるし、あたしにはどこが好きなのか理解できないや」
「そんなことありませんわ。優しいですし、野蛮ではないですし、それに……いいえ、なんでもありませんの」

 これ以上何か言うと氷姫でいられなくなる。
 本当の自分を知っていいのは誠也だけ。
 瑞希にとって特別な存在であり、秘密を共有したいという想いがあった。

 恋に落ちると周りが見えなくなるもの。
 しかし瑞希は、氷姫という役割を演じなければならない。
 この場に誠也さえいなければ冷静さを保てる。

 もし、仮の話になるが、瑞希の視界に誠也が入ってしまったら、一瞬で氷姫から恋する乙女に変わってしまうだろう。

「そういえばさ、メイド服が届いたらしいから、さっそく着てみない?」
「あー、それナイスだわ。今なら姫のメイド服姿を撮れるし」
「えっ、メイド服もう届いているの?」

 早く着てみたい──自分に似合うか不安があるものの、期待もそれと同じくらいある。
 緊張する、メイド服を受け取り更衣室で着替え始める瑞希。

 ドキドキが止まらない。
 落ち着かないと、そう心に問いかけ瑞希はメイド服に袖を通した。

「やばーい、さすが姫だよ。もうこれは写真撮るしかないね」
「目の保養すぎるー、姫はやっぱり姫だったね」
「変じゃないかしら?」
「全然平気だよ、これで売り上げトップはいただきかなっ」

 写真を撮られながら思うのは誠也のこと。
 誠也もみんなのように褒めてくれるのか。
 いや、きっと褒めてくれるはず。だが……お世辞ではなく、心からの褒め言葉を期待する瑞希であった。