エリート建築士はスイーツ妻を溺愛する

「そうだけど。紗枝のお菓子は、美味しいよ。よっぽど甘いものダメな人じゃなかったら、喜ばれると思うよ」
「ありがとう」
「もしかして、佐々木さんが食べたいだけだったりして。毎日紗枝のお菓子が食べたいからってプロポーズしたんでしょ」
「まさか」と。紗枝は笑ったが、次の瞬間、ありえるかも、と思えてきた。
「まあ、よくわからないけどどう転んでもいいように丁寧にラッピングしておくわ」
「そうね。それがいい。お仕事、決まったら連絡して」
「了解」
 それから他愛ない話をいくつかして、電話を切った。紗枝はその後、約束のお菓子を作った。カフェのバイトがない分、時間はたっぷりある。作り終えて、ベッドに入った時は、部屋中に甘い匂いがして、何だか楽しかった。務への執着も随分、少なくなってきた。
 明日、どうなるんだろう…そう思いながら、眠りについた。

 翌日。コールセンターから帰宅し、身支度を整えると、早速アパートの下に佐々木の車が停まった。
 すぐに紗枝のスマホが鳴って、佐々木から着いたよ、と言われた。前回、逢ったときに、連絡先は交換していた。
 紗枝は、ワンピースにジャケットを羽織った。スーツじゃなくていいから、きちんとめの恰好で、と佐々木に言われていたのだ。部屋を出て、佐々木の車に乗った。
「お疲れ様です」
 佐々木も紗枝同様、仕事を終えて来てくれているはずだ。
「いや。今は。そんなに仕事がたてこんでないからな。その膝にあるのがお菓子?」
「あ、そうです。3種類ほど」
 紗枝は、お菓子の箱を用意して、綺麗にラッピングしていた。
「どんなのか、楽しみだな」
 佐々木が機嫌よさそうに言った。
 まさか本当に佐々木が食べるんじゃ、と紗枝はこっそりくすりと笑った。
 車は街を通り過ぎ、郊外の住宅街に入っていった。だんだん、家並みが豪邸ばかりになっていく。これは…高級住宅街、だわ。
 紗枝は、疑問がわいてきた。どこかのビルだとかカフェとかで仕事相手を紹介されるのかと思っていた。どなたかのお宅にお邪魔するのだろうか。
 紗枝が、佐々木に聞こうとすると、佐々木が、着いたよ、と言った。
 車から降りて、目の前にあったのは、高い塀がに囲まれた、大きなお屋敷だった。豪邸ばかりのこの辺りでも、一番大きな家かもしれない。
 紗枝は何がどうなるのか見当もつかず、心配になってきた。
「さて。紗枝さん、リラックスしてくれていいからね。顔が緊張してるよ」
「そ、それはしますよ。こんな立派なお宅…」
 佐々木がさらりと言うので、紗枝は思わず弱音を言った。
「そうか?まあ、大丈夫だよ」
 佐々木が呼び鈴を押すと、エプロン姿の中年の女性がドアから出てきた。
「誠司さん、いらっしゃいませ。奥様がお待ちです」
「ありがとう、みつさん。あがらせてもらうよ」
 家政婦らしいみつさんの後に二人でついて行くと、広いリビングが現れた。6人は座れそうな長いソファに、60代くらいの女性が座っていた。彼女を取り囲む家具や調度品は、ひと目でわかるほど高級品ばかりだった。
 ソファ前のローテーブルには、お茶の用意がしてあった。女性は、佐々木と紗枝の顔を見るなり、立ち上がった。
「誠司さん、会うのは久しぶりね。なかなか顔を見せないから、心配してたのよ。あなたの見合いがうまくいかない話ばかり聞こえてくるから」
 佐々木は苦笑した。
「どうも見合いには向いていないようです。美佐子さんが、お変わりなくて嬉しいですよ」
「私には、いいことを言ってくれるのに、どうしてお見合いじゃダメなのかしらねえ。あ、そちらのお嬢さんが伺っていた方かしら」
 視線を女性から向けられ、紗枝は慌ててお辞儀をした。
「初めまして。水内紗枝、と言います」
「紗枝さん、こちら、俺の母方の叔母で、美佐子さん。はっきり言うと、この界隈の女ボスだ」
「いやだ、よしてよ。ちゃんとサブリナ会、会長っていう肩書があります。あ、紗枝さんにサブリナ会なんて言っても、わからないわよね。この辺りのマダム、そうね五十代から七十代前半くらいの人が入っている会なの。皆で美味しいものを食べたり、おしゃべりに興じたりする、気楽な会よ。誠司君は大の甘党だから、たまにサブリナ会のパーティにも呼んであげてるの。イケメンだから、マダムたちがみんな喜んじゃって。いつもちょっとしたアイドルよね」
「勘弁してくださいよ、マダムたちにおもちゃにされる身にもなってください。というか、そのサブリナ会にも関係のある話を今日持ってきたんです」
「あ、そうだったわね。紗枝さん」
「は、はい」
 二人の話を聞いていることしかできなかったので、名前を呼ばれてドキリとする。
「随分、美味しいお菓子を焼かれるそうね。誠司さんは舌が肥えてるから、彼のお墨付きはなかなかもらえないのよ。いきなりで悪いけれど、私にも食べさせてもらえないかしら?」
「え…あ、はい。私ので、よければ」
 紗枝は驚いた。昨日京香と話したようなポイント稼ぎの手土産とは違うようだ。紗枝は、ちらりと佐々木を見た。佐々木は、頷いた。紗枝は、ドキドキしながら、持ってきたお菓子のラッピングをほどいた。テーブルの上には、最初からお菓子を食べるつもりだったのか、皿とフォークが用意されていた。
 紗枝は皿を借りて、作ってきたお菓子を並べた。
 イチジクのショコラに、タルトタタンにシュークリーム。
「まあ、これは美味しそうね。誠司さんも食べるでしょう」
「もちろんですよ。それが楽しみできました」
「底抜けねえ。あ、もちろん紗枝さんも食べてね」
 三人でソファに座り、紗枝がシュークリーム以外を切り分ける。3種類のお菓子のそれぞれを、皿にのせた。
「ちょっとしたお茶会ね」
 美佐子は、ポットにあった紅茶をカップに注いで、自分と二人に配した。
「いただきます」
 美佐子は、早速、タルトタタンを一口、口に入れた。
 すると、大きく目を見開いて、言った。
「…美味しいわ。手作りお菓子の域を超えてるわね。しっとりしていて、口当たりもいい」
「俺は、クッキーしか食べてなかったんですが、読みが当たりました。他のものも、すごく美味い」
「あ、ありがとうございます」
 まさかお菓子の品評会になるとは思っていなかった紗枝は、恐縮することしかできない。
 佐々木と、美佐子は、3種類のお菓子をそれぞれ食べ終えてしまった。
 美佐子は、感嘆のため息をつきながら、言った。
「どれも、すごく美味しい。プロの味みたいってよく言われるでしょう?」
「たまに、ですが。友人にそう言われます」
「こんなに美味しいものが自分で作れたら最高ね。…紗枝さん、私に、お菓子の作り方を教えてもらえないかしら」
「えっ。私が、ですか?」
 驚いて佐々木を見る。佐々木は、にっこり笑った。
「そうなんだ。美佐子さんも俺も甘党で、よく一緒に甘いものを食べる機会があるんだが、その時に美佐子さんが必ず言うんだ。私もこんなの作れたらいいのにって」
「そうなの。若い頃は、お菓子の本と格闘して、作ってみたりしたんだけど、全然うまくいかなかったわ。自分で作るのは諦めたけど、未だに作ってみたいなあ、という気持ちがくすぶっていたの。ねえ、紗枝さん。私にお菓子作りを伝授してくれない?最初は、簡単なものからでいいから」
 紗枝は、驚いていた。しかし美佐子は裕福なマダムだ。その気になれば、有名パティシェのお菓子教室なんて、難なく行けるだろう。
「ほんとに…私のお菓子でいいんですか?」
 自分のお菓子にそんな価値があると思えず、紗枝は言った。
「そうよ。今、食べたみたいなのが作ってみたいの。それで…ホームパーティーなんかしたときに、私が焼いたのよ、って言ってみたいわ」
「はあ…」