エリート建築士はスイーツ妻を溺愛する

「コールセンターの仕事と、夜はカフェでウエイトレスしています」
「へえ。ダブルワークなんだ。大変じゃないのか」
「いえ…それに、実は昨日、カフェは辞めたんです。だからまた飲食店の仕事を探すつもりです」
「飲食に限らず、今はいろんな仕事があるだろう。こだわりがあるのか?」
「ええ…人と接する仕事が好きなんです」
「そうか、どっちの仕事もお客様対応だな。でも、嫌な客もいるだろう」
「コールセンターの仕事は、半分くらいお客様のクレームを聞かなきゃいけないんですけど、ずっと聞いていると、うまくおさめるポイントが必ず見えてくるんです。それで、なんとかお客様に納得してもらえた時、すごく嬉しいですね」
「仕事のいいところを見つけられたら、もう半分は成功しているようなもんだ。じゃあ、カフェの仕事のいいところは?」
「忙しい時って、勝手に体が動くんです。次はあれしよう、これしようって、どんどんやれる。もちろん、お客様に呼ばれたら即対応して。本当に混んでいるときって嵐みたいなんですけど、嵐が過ぎ去った後に、なかなかのやりきった感があって。それも好きなところです。あと、お客様が美味しいって、言ってるのを聞くと、自分が作ったわけじゃないのに、すごく嬉しくなります」
「…そうか。仕事を面白がれるのもひとつの才能だからな。人には二つパターンがある。嫌なことばかりフォーカスしてしまう人間と、いいことばかりフォーカスできる人間と。
君はどうやら後者みたいだ。ある意味、幸せになる力があるってことだ」
「幸せに…なる?」
 紗枝は、驚いた。自分の中では、もちろん、仕事に対してきついな、しんどいな、と思う時もある。しかも、二日前に彼氏に最低な形でふられたばかりだ。
 そんな自分に幸せになる力なんてあるとはなかなか思えない。紗枝は言った。
「失恋していても…幸せになれるでしょうか」
「ドタキャンで逃げられた男にそれをきく?」
 紗枝は、はっとして、口に手を当てた。
「ご、ごめんなさい、つい」
「冗談だよ。まあ、俺の場合、失恋までもいかないしな。相手に気持ちがなかったんだから傷つくまでもない。…でも、君は気持ちがあったみたいだな」
「そうですね…ありました。でも、こうして佐々木さんとお食事をさせてもらって、落ち着きました。素敵なお料理って嫌なことを忘れさせてくれますね」
「気持ちを切り替えられるのは、美徳だよ。いいことだ」
 紗枝はスープを飲みながら、佐々木のことを不思議に思っていた。全然好みじゃない人と強引に結婚しようとしている、少し変わった人に見えたけれど。こちらの話をしっかり聞いて、しかも肯定してくれる。お世辞でもない。
 なんか…思ったより、ちゃんとした人なんだな…。
 そう思うと、改めて疑問がわいてきた。
「あの…その、そもそもなんで、気持ちのない方と結婚しようと思ったんですか?」
 結婚するということは、相手と生活することでもある。好みじゃない人と結婚するメリットがわからない。
「…ちょっと事情があってな。早急に結婚しなきゃいけないんだ。結婚の相手を吟味しだすと永遠に終わらない気がしてな…とりあえず、俺に好意を持っているようだったから、決めたんだが…俺のいらない言葉で、ダメになったな」
 佐々木は、ふっと息を吐いた。美形で、すごい建物を造る建築士で、何も不自由はないように見えるけれど、うまくいかないことだってあるんだ。
 自分だけがつらいわけじゃない。こうして佐々木と食事しなかったら、いつまでも悲劇のヒロインをやってしまうところだった。そう思わせてくれたことにも、感謝の気持ちがわいてきた。
 料理は滑らかに進んでいき、どれも素晴らしく美味しかった。町の外れにあるので、きっと隠れ家的なお店なのだろう。誰にも教えず、そっと自分のものにしておきたくなる店だ。
佐々木の言うように、メインの鴨のコンフィは、確かに美味しかった。滋味があって
ここ二日ほどろくに食事していなかった紗枝には、願ってもない味だった。
「美味しいですね」
 紗枝がそう言うと、佐々木は満足そうに微笑んだ。
「この後に、デザートもある。俺は、これがまた楽しみでね」
「甘いものがお好きですか?」
「そうだな。大きな仕事をした後なんか、つい買ってしまうな。最近だと高階デパートの和菓子売り場で買った豆大福も美味かったな」
「洋菓子は買われないんですか?」
「いや、そんなことはない。たまたま昨日は、和菓子の気分だっただけだ」
 そこに、コースメニューの最後であるデザートが運ばれてきた。
「チョコレートのテリーヌか。美味そうだ」
「本当に」
 ピンクの縁取りの皿にちょこんと乗ったそのテリーヌは、見ただけで味の濃厚さが伝わってくるようだった。
 早速食べ始める佐々木を見て、紗枝もそっと一口、口にした。やわらかで、しっかりチョコの味がする。テリーヌならではの食感のせいで、チョコの存在をより深く感じることができる。
「最高だな…何か、ひとつ隠し味が入れてあるな…」
「そうですね。私もそう感じました」
「チョコとはまた違う甘さで…」
「そうなんです、ちょっとフルーティで…」
「そうかフルーツだ。だとすると」
「桃のリキュール!」
 佐々木と紗枝の声が同時に発せられた。顔を見合わせて微笑む。
「桃のリキュールを思いつくなんて、君もかなりの甘党だな」
「私はその、なんていうか、買うより、作るほうが多いんです」
「作る?お菓子を?」
「はい。中学の頃からの趣味で。気分転換にお菓子を作ることは、私の中でちょっとした習慣になっていて。しんどくてそれをふっきりたい時は、お菓子を作るんです。そうすると、ちょっとダメージが薄れるんです」
「ほう」
「あのお菓子が焼きあがった時の、香りとか達成感とか…落ち込んでいるときはすごい威力を発揮して。私、何度もお菓子に救われてるんです。今日、このお店に来たのも、失恋したから、少し贅沢して、人の作ったお菓子を食べようと思って」
「そうか。少しは気持ちが晴れた?」
「ええ。だいぶしゃんとしてきました。食べ物って単純に元気にしてくれますよね。他のお料理も美味しかったし」
「そうなんだよ。この店は。隠れ家的存在で、今日みたいに早い時間に来ると、貸し切り状態で食べれるんだ。八時頃だったら満席だよ」
「そうだったんですね。じゃあ、タイミングもよかった」
「そうだな。…ただ…俺にはちょっと量が足りない」
「えっ、結構な品数でしたよね」
「そうなんだが、男としては、もう少し食べたい感じなんだ。しかし、アラカルトを頼むほどでもないな…ちょっとした焼き菓子でも食べたいところだ」
 紗枝は、はっとした。自分が焼き菓子を持っていることを思い出したのだ。明日、前橋さんに渡そうと思っていたクッキー。でも…
「あの、佐々木さんは、手作りお菓子に抵抗はないですか。よく言うでしょう、人が作ったおにぎりは食べられない、とか」
「手作りだろうが、美味しければなんでもいいが?」
 紗枝は、こんな素晴らしい料理の後に、自分の焼いたクッキーを差し出すのは気が引けたが、このまま佐々木と店の前で別れたら、もう何もお礼できずに終わってしまう。落ち込んだ気持ちを立て直してくれた、お礼をちゃんとしたい。
 芦田さんも美味しいと言ってくれてたし、私としても成功した方だし…紗枝は、えいっと自分の背中を押した。バックからラッピングされたクッキーを取り出す。
「あの、これよかったら召し上がってください。クッキーなんです」
「へえ。じゃあ、これが君の」