「これ、お父さんが開発事業部にいたころのものよね。読んだら、私が焼いたサブレと同じアイデアの…紅茶とホワイトチョコのものがあった。私、これを読んだとき、お父さんと私は同じ人間なんだなって改めて思った。今までは、お父さんから逃げ出すことしか考えていなかった。でも、そうじゃない。同じ人間で、親子で、同じ発想をする、そんな存在だったのよ。そんな当たり前のことを、実家で暮らしている内には、わからなかった。
でも、今は違う。お父さんの仕事を誇りに思う。お父さんにしかできない仕事があるのが嬉しい。お父さんは、「お菓子の水内」をしっかり背負ってる。それが、改めてわかったの」
父は、目を伏せ、何をいまさら、と絞り出すような声で言った。
「そう今さらかもしれない。でも、私にはだいじな気づきだった。そして、こんな風に思えたのは、佐々木さんのおかげなの」
ぴくり、と父の眉毛が動いた。
「佐々木さんは、誰よりも私のお菓子を肯定してくれた。すごく美味しいから、って上流階級の奥様方にお菓子作り教えるチャンスを作ってくれた。おかげさまでお菓子教室は、うまくいっていて、こんなお菓子を作ってほしいって依頼があるくらなの。最初は戸惑ったけど、大丈夫だった。…なによりも、佐々木さんが、私のお菓子作りの腕を肯定してくれたから。…そう。私は、誠司さんから、人を肯定することを学んだの。これがなかったら、父さんのことも、認めてあげれなかったと思う。誠司さんが認めてくれたから、自分に余裕ができて、父さんのことも認められたんだわ」
父は、黙っていた。そして、そっと箱の中のサブレを手にして、口に運んだ。
「これは…小麦粉とバターの分量もちょうどいい。材料を混ぜすぎてもいない。口当たりもいい。甘さだけじゃない、優しいあじがする。…いつも、私が追い求めている味に近い」
「父さん」
紗枝は気持ちが大きく揺れるのを感じた。あの、うるさいばかりだった父が、自分のお菓子を評価してくれている。考えてもいなかった展開だ。
紗枝は、事はを続けた。
「わかって、お父さん。私のことをしっかりわかってくれる、誠司さんと一緒になりたいの。
こんな人、二度と会えないと思う。私が、誠司さんと一緒になることを許してほしいの」
父はうつむいまま、言った。
「しかし…俺には、建築の仕事はよくわからん。お前が、そんな仕事の奴と一緒になってやっていけるのか…?」
低い声で父は言った。本心なのが伝わってくる。紗枝が前のめりになって言った。
「大丈夫よ。佐々木さんは、一流の、建築士なのよ。何も心配はいらないわ」
誠司は、そんな紗枝をそっと押しとどめた。
「私の仕事を一つ一つ説明するのも時間がかかってしまうので…今日は、私の師匠からの、メッセージを持ってきています。聞いてもらえませんか?」
「そんなもの。仲間内で口裏を合わせているんだろう」
「…真田良平さんのメッセージでも?」
「なんだと」
これには、紗枝もびっくりした。ここで真田さんの名前が出てくるなんて。
「水内さんと真田さんは、同じ大学の先輩後輩の仲ですよね。古い業界誌で対談しているのを、うちの秘書が見つけました。真田さんに水内さんの事を話したら、非常に喜んでくれて、今回動画を撮影させてくれたんです。それもあってこちらに来るのが遅れてしまいましたが…」
すっ、と誠司は、スマホを父の方にやり、再生ボタンを押した。
すぐに、スピーカーから真田さんの大きな声が聞こえてきた。
『水内、元気にやっているか。今日は、お嬢さんとうちの弟子が結婚するっていうからその応援メッセージを送らせてもらう。紗枝さんは素敵な女性だ。お菓子作りもうまいそうで、確かにお前の娘だな。そして、うちの弟子は、お嬢さんの菓子にノックアウトされたらしい。水内のお菓子には、人の心を動かす力がある。それが自然と紗枝さんにも引き受けられていたんだな』
紗枝と誠司は目を合わせて頷きあった。父は口を結んで画面を見ている。
『そして、俺の設計の腕も、誠司はしっかりと受け継いでくれた。いつだったか、お前と木野崎ホールに行ったことがあったな。あれは設計者は俺になっているが、半分以上アイデアを出したのは、そこにいる佐々木誠司だ。見込みのある奴で、この数年で、一流の建築士になりやがった
「木野崎ホールを…」
父がぼそり、と呟いた。明らかに驚いた顔をしている。
『イーストタワーの佐々木と言ったら、もう業界じゃ知らない者はいない。それくらい俺が認めている奴なんだ。どうだ、娘さんの結婚相手に考えてくれないか。お前がいつまでも娘を手元に置いておきたい気持ちもわかる。でも、守ってやるだけじゃダメだ。離れることも必要なんだ。もし万が一、誠司が紗枝さんを不幸にするような事があったら、俺がぶん殴ってやる。だから、二人のことを認めてやってくれないか。』
「真田…」
父はそう言葉を漏らした。
『今度、久しぶりにサシで飯にでも行こう。俺の寿命が最近伸びたんでね。せいぜい祝ってやってくれ。じゃあな』
そこで、動画は終わった。父は、ぼそりとつぶやいた、
「木野崎ホール…あれは、よかった。天井から光がふんだんに入ってくるように設計されていて…窓からは立派な庭園が見られるよう、ていねいに計算されていた。そんなアイデアも、君が出したのか」
「はい。木野崎ホールは、最初の頃の仕事でしたが、楽しかったです。自分のアイデアが活かされる喜びを実感しました。そして比較的最近の仕事がイーストタワーでした。ありったけの心血をひたすら注ぎました。自信をもって、自分の代表作、と言えます」
「イーストタワーも君だったか…」
父は、肩の力が抜けたようだった。頬に穏やかな笑みを浮かべている。
「お菓子づくりもゼロから始めるものだから、簡単じゃない。でも、建築もなかなか大変そうだ。佐々木君、アイデアに困ったら、うちの菓子を食べに来たらいい」
はっ、と紗枝と誠司は、顔を見合わせた。
「それじゃ…」
「真田さんから言われたんじゃ、承諾するしかあるまい。結婚を認める。さっさと入籍したまえ」
「お父さん…」
紗枝は、信じられなくて父の顔を見た。目には涙が滲んでいた。
「そんなに驚いた顔をするな。俺だって娘の幸せを祈ってるんだ。海外の花江と違って、お前は東京にいるんだろう。ちょこちょこ顔を見せなさい。それが条件だ」
「うん。わかった。…ありがとう、お父さん」
母が穏やかに微笑みながら、紗枝に言った。
「実は、真田さんに紗枝の見合い相手を紹介してもらおうって話もあったのよ。ただ最近、入院されてるって事だったから話がいかなかったんだけど。真田さんは、きっと誠司さんを紹介してくれたでしょうね。だから、今回のことはそんなに突飛な話でもないのよ」
そうだったのか…父の心が、やわらかく解けた理由がわかった。
「紗枝。うちの工房に、新商品がある。佐々木君と食べていけばいい。…俺は、仕事に戻る」
父は立ち上がった。紗枝は父を見上げた。実家にいたころは、怖くて大きな存在だった。でも今は違う。創作お菓子の話ができる数少ない人。そして実の父なのだ。
「うん。楽しみにしてる」
そう父に微笑んでから、紗枝は誠司を見た。
誠司は頷き、卓の下で、ぎゅっと紗枝の手を握った。
数週間後。
「緊張する…」
紗枝は、誠司の運転する車の助手席で、そう言葉をもらしてしまった。
誠司は苦笑した。今日は、これから誠司のご両親と初顔合わせなのだ。
「そんなに改まることないって。確かに医者ばかりだけど、そんなに頭が固くないから。
それに紗枝さんには強い味方がいるだろう。俺と、その受賞お菓子」
「それはそうだけど…」
でも、今は違う。お父さんの仕事を誇りに思う。お父さんにしかできない仕事があるのが嬉しい。お父さんは、「お菓子の水内」をしっかり背負ってる。それが、改めてわかったの」
父は、目を伏せ、何をいまさら、と絞り出すような声で言った。
「そう今さらかもしれない。でも、私にはだいじな気づきだった。そして、こんな風に思えたのは、佐々木さんのおかげなの」
ぴくり、と父の眉毛が動いた。
「佐々木さんは、誰よりも私のお菓子を肯定してくれた。すごく美味しいから、って上流階級の奥様方にお菓子作り教えるチャンスを作ってくれた。おかげさまでお菓子教室は、うまくいっていて、こんなお菓子を作ってほしいって依頼があるくらなの。最初は戸惑ったけど、大丈夫だった。…なによりも、佐々木さんが、私のお菓子作りの腕を肯定してくれたから。…そう。私は、誠司さんから、人を肯定することを学んだの。これがなかったら、父さんのことも、認めてあげれなかったと思う。誠司さんが認めてくれたから、自分に余裕ができて、父さんのことも認められたんだわ」
父は、黙っていた。そして、そっと箱の中のサブレを手にして、口に運んだ。
「これは…小麦粉とバターの分量もちょうどいい。材料を混ぜすぎてもいない。口当たりもいい。甘さだけじゃない、優しいあじがする。…いつも、私が追い求めている味に近い」
「父さん」
紗枝は気持ちが大きく揺れるのを感じた。あの、うるさいばかりだった父が、自分のお菓子を評価してくれている。考えてもいなかった展開だ。
紗枝は、事はを続けた。
「わかって、お父さん。私のことをしっかりわかってくれる、誠司さんと一緒になりたいの。
こんな人、二度と会えないと思う。私が、誠司さんと一緒になることを許してほしいの」
父はうつむいまま、言った。
「しかし…俺には、建築の仕事はよくわからん。お前が、そんな仕事の奴と一緒になってやっていけるのか…?」
低い声で父は言った。本心なのが伝わってくる。紗枝が前のめりになって言った。
「大丈夫よ。佐々木さんは、一流の、建築士なのよ。何も心配はいらないわ」
誠司は、そんな紗枝をそっと押しとどめた。
「私の仕事を一つ一つ説明するのも時間がかかってしまうので…今日は、私の師匠からの、メッセージを持ってきています。聞いてもらえませんか?」
「そんなもの。仲間内で口裏を合わせているんだろう」
「…真田良平さんのメッセージでも?」
「なんだと」
これには、紗枝もびっくりした。ここで真田さんの名前が出てくるなんて。
「水内さんと真田さんは、同じ大学の先輩後輩の仲ですよね。古い業界誌で対談しているのを、うちの秘書が見つけました。真田さんに水内さんの事を話したら、非常に喜んでくれて、今回動画を撮影させてくれたんです。それもあってこちらに来るのが遅れてしまいましたが…」
すっ、と誠司は、スマホを父の方にやり、再生ボタンを押した。
すぐに、スピーカーから真田さんの大きな声が聞こえてきた。
『水内、元気にやっているか。今日は、お嬢さんとうちの弟子が結婚するっていうからその応援メッセージを送らせてもらう。紗枝さんは素敵な女性だ。お菓子作りもうまいそうで、確かにお前の娘だな。そして、うちの弟子は、お嬢さんの菓子にノックアウトされたらしい。水内のお菓子には、人の心を動かす力がある。それが自然と紗枝さんにも引き受けられていたんだな』
紗枝と誠司は目を合わせて頷きあった。父は口を結んで画面を見ている。
『そして、俺の設計の腕も、誠司はしっかりと受け継いでくれた。いつだったか、お前と木野崎ホールに行ったことがあったな。あれは設計者は俺になっているが、半分以上アイデアを出したのは、そこにいる佐々木誠司だ。見込みのある奴で、この数年で、一流の建築士になりやがった
「木野崎ホールを…」
父がぼそり、と呟いた。明らかに驚いた顔をしている。
『イーストタワーの佐々木と言ったら、もう業界じゃ知らない者はいない。それくらい俺が認めている奴なんだ。どうだ、娘さんの結婚相手に考えてくれないか。お前がいつまでも娘を手元に置いておきたい気持ちもわかる。でも、守ってやるだけじゃダメだ。離れることも必要なんだ。もし万が一、誠司が紗枝さんを不幸にするような事があったら、俺がぶん殴ってやる。だから、二人のことを認めてやってくれないか。』
「真田…」
父はそう言葉を漏らした。
『今度、久しぶりにサシで飯にでも行こう。俺の寿命が最近伸びたんでね。せいぜい祝ってやってくれ。じゃあな』
そこで、動画は終わった。父は、ぼそりとつぶやいた、
「木野崎ホール…あれは、よかった。天井から光がふんだんに入ってくるように設計されていて…窓からは立派な庭園が見られるよう、ていねいに計算されていた。そんなアイデアも、君が出したのか」
「はい。木野崎ホールは、最初の頃の仕事でしたが、楽しかったです。自分のアイデアが活かされる喜びを実感しました。そして比較的最近の仕事がイーストタワーでした。ありったけの心血をひたすら注ぎました。自信をもって、自分の代表作、と言えます」
「イーストタワーも君だったか…」
父は、肩の力が抜けたようだった。頬に穏やかな笑みを浮かべている。
「お菓子づくりもゼロから始めるものだから、簡単じゃない。でも、建築もなかなか大変そうだ。佐々木君、アイデアに困ったら、うちの菓子を食べに来たらいい」
はっ、と紗枝と誠司は、顔を見合わせた。
「それじゃ…」
「真田さんから言われたんじゃ、承諾するしかあるまい。結婚を認める。さっさと入籍したまえ」
「お父さん…」
紗枝は、信じられなくて父の顔を見た。目には涙が滲んでいた。
「そんなに驚いた顔をするな。俺だって娘の幸せを祈ってるんだ。海外の花江と違って、お前は東京にいるんだろう。ちょこちょこ顔を見せなさい。それが条件だ」
「うん。わかった。…ありがとう、お父さん」
母が穏やかに微笑みながら、紗枝に言った。
「実は、真田さんに紗枝の見合い相手を紹介してもらおうって話もあったのよ。ただ最近、入院されてるって事だったから話がいかなかったんだけど。真田さんは、きっと誠司さんを紹介してくれたでしょうね。だから、今回のことはそんなに突飛な話でもないのよ」
そうだったのか…父の心が、やわらかく解けた理由がわかった。
「紗枝。うちの工房に、新商品がある。佐々木君と食べていけばいい。…俺は、仕事に戻る」
父は立ち上がった。紗枝は父を見上げた。実家にいたころは、怖くて大きな存在だった。でも今は違う。創作お菓子の話ができる数少ない人。そして実の父なのだ。
「うん。楽しみにしてる」
そう父に微笑んでから、紗枝は誠司を見た。
誠司は頷き、卓の下で、ぎゅっと紗枝の手を握った。
数週間後。
「緊張する…」
紗枝は、誠司の運転する車の助手席で、そう言葉をもらしてしまった。
誠司は苦笑した。今日は、これから誠司のご両親と初顔合わせなのだ。
「そんなに改まることないって。確かに医者ばかりだけど、そんなに頭が固くないから。
それに紗枝さんには強い味方がいるだろう。俺と、その受賞お菓子」
「それはそうだけど…」



