「あら、紗枝さんじゃない」
すると、そこには紙袋を下げた真央がいた。
「真央さん、いらしてたんですね」
「そうなの。夕飯はここのお惣菜が美味しいから。紗枝さんは…それ、なあに?」
紗枝が持っているのがロウソクとわからなかったようだ。
「これ、誕生日用のロウソクなんです。今度の日曜、大城理恵さんのお孫さんの誕生日祝いが来週あって、ケーキを焼くことになったので」
「あら、大城さんの。そうなの。大城さん、お孫さんを溺愛してるものね」
真央は、海外で暮らす前は、ちょこちょこサブリナ会に来ていたらしい。なので、ほとんどのメンバーのことをよく知っているようだ。
「ふふ。ケーキ失敗しないといいわね」
紗枝はえ、と言葉に詰まった。まるで、誕生日のケーキ作りが失敗すればいいのに、と言われたように感じた。
「じゃあ、美佐子さんのとこで、また逢いましょう。紗枝さんの作るケーキ、楽しみだわ」
そう言いながら、真央は紗枝からお菓子作りを習う気配はさらさらない。いつも誠司と話し込んで、当たり前のように紗枝と美佐子が作ったケーキを食べて帰っていく。
どういう人なんだろう…紗枝は、思わずそう呟いていた。
理恵の孫の誕生会の前日。紗枝は、スマホにメールが来ているのに気づいた。
『用事ができたので、誕生日会の約束の時間を、一時間、遅く来てください。
よろしくお願いします 大城理恵』
サブリナ会のメンバーの方々の連絡は、メールよりも電話が多かった。紗枝はそれに慣れていたので、理恵からの連絡がメールなのをちょっと不思議に思った。
しかし、理恵はグラフィックデザイナーで、パソコンもよく使うだろう。渡している名刺には紗枝のメールアドレスが載っているので、メールで連絡してもおかしくはない。
とにかく、明日は一時間遅くなったんだな、とスケジュール帳に書き込んだ。
土曜日の誕生日当日、午前中、紗枝はケーキを焼いた。誕生日のケーキなので、普通のデコレーションケーキの上に小さなケーキを乗せて、二段の特大ケーキを作った。生クリームを塗ったあと、ふんだんに果物を載せていく。理恵のお孫さんは女の子ということなので、ケーキを頬張る少女を想像すると、楽しかった。
「気に入ってくれるといいな…」
「すごいケーキだね」
いつの間にか、キッチンに誠司が来ていた。
「はい。理恵さんが特別なケーキにしてほしい、って二人でああでもない、こうでもない、ってデザインも考えたんです。それで、こういうケーキになりました」
「そうか。俺は仕事だから送れないけど、大丈夫?こんなに大きいと運ぶのも大変じゃないか」
「大丈夫ですよ。理恵さんのお宅はバス停からすぐですし」
にっこり笑う紗枝に、頑張って、と誠司が紗枝の額にキスをした。
未だに誠司にキスされると、頬が赤くなってしまう。
「じゃあ、行ってくる。明日の美佐子さんの教室には、俺も行くから」
「はい。楽しみです」
紗枝は、誠司を玄関先まで見送り、誠司は、出て行った。
「さあ、ラッピングしなくちゃ」
紗枝は、気持ちを切り替えてケーキに向かった。
夕方の17時50分に、紗枝は理恵の家に着いた。
ケーキの箱を抱えてインターフォンを押すと、しばらくして、理恵が出てきた。誕生パーティーだからなのか、明るいオレンジのワンピースを着ている。しかし、紗枝を見るなり険しい顔でこう言った。
「どういうことなのかしら。約束の時間に一時間も遅れるなんて。どうして、遅れるなら、電話の一本もよこさないの」
「え?私、大城さんからメールをもらって」
「なんのこと?素直に遅れたことを謝るなら、まだしも、そんな作り話までして。紗枝さん、あなたフリーで働いているんでしょう。こういう仕事って信頼関係がないと続かない。私は、自分のミスで言い訳するような人とはおつきあいしたくないわ。
孫娘は、ケーキがないなら、ゲームしに行こうかなって、出かけちゃったわ。今日のパーティの段どりがめちゃくちゃになったわ」
玄関から見えるリビングの壁にHAPPYBIRTHDAYのバルーンがはってある。リビングは、きっと派手なかざりつけがしてあるのだろう。理恵がいかにこの日を楽しみにしていたか、よくわかる。
「申し訳、ありませんでした…!」
紗枝は、深く頭を下げた。そして、ケーキの箱を理恵に差し出した。
「お代はいりませんので、このケーキ受け取ってください」
「結構よ。もうお引き取りください。それとね、このことはサブリナ会のメンバーにも言うから。もうお菓子教室を辞める人も出てくるかもね。信用をなくすってこういうことよ。覚えておきなさい。今日はもう、お引き取りください」
激しい勢いでドアを締められた。紗枝はバランスを崩して、玄関先の床に尻もちをついた。ケーキの箱が揺れ、中でケーキが崩れたのがわかった。
せっかく作ったケーキが台無しになった…
紗枝は呆然として、なかなか立ち上がれなかった。
その夜、ひしゃげた特大ケーキをテーブルの皿の上に置き、紗枝は、ぼんやり見つめていた。
フォークで一口食べてみる。生クリームの甘さも、フルーツの相性もよかった。食べてもらえたら、きっと喜ばれただろうという自信がある。
「あのメール…どういうことなんだろう」
さっきからずっとその事を考えている。紗枝の名刺にはメールアドレスが載っているので、誰でも紗枝にメールすることができる。誰かが、理恵の名前をかたってメールを送ってきた、そうとしか考えられない。
「ただいま」
誠司が帰ってきた。紗枝は、夕食の準備をしていないことに気づいた。
「誠司さん、ごめんなさい。夕食がまだできてなくて」
「ああ、食べてきたから大丈夫。…ん?やたら立派なケーキがあるね」
「誠司さん、お仕事で疲れてますよね…」
今日の理恵とのことを、聞いてほしかった。でも、仕事帰りの誠司に、甘えていいか判断がつかなかった。
「うん?なんか話があるの?このケーキ食べていいやつ?」
「はい」
「じゃあ、食べながら聞くよ。今日のは、一段と美味しそうだ」
こんな時、誠司の明るさに救われる。紗枝はお茶の準備をして、ラフな恰好に着替えてきた誠司とテーブルに向かい合わせで座った。
誠司が美味しそうにケーキを食べてくれるのを見ながら、紗枝はぽつりぽつりと今日のことを打ち明けた。
「紗枝さん、そのメール、見せて」
はい、と紗枝は、誠司にスマホを渡した。
「ああ、フリーのメールアドレスだね。誰が送ったかわからないやつ」
「じゃあ…やっぱり誰かが」
「そう考えるのが妥当だろうね。紗枝さんのお菓子教室がうまくいってるから、妬んでこんなことする輩がいるのかもしれない。上昇するとぶつかるものってあるよ。紗枝さん、気を取り直して。明日の美佐子さんの教室には、一緒に行こう。安心して、美佐子さんはこんなことくらいで、紗枝さんと縁を切ったりしないか」
「そ、そうでしょうか…」
理恵が言ったように、今回のことは美佐子や他のサブリナ会のメンバーの耳に入るだろう。その中の何人くらいが、紗枝を信じてくれるか、わからない。
せっかく仲良くなった生徒さんたちとの時間を失うのが、紗枝はつらかった。
「紗枝さん、このケーキ、ナッツが入ってるじゃない。美味いね」
「あ、生クリームとスポンジだけじゃ物足りないので、ナッツも入れてみたんです」
「そう。いいアイデアだ。やばいな…これ、止まらない」
言いながら、ケーキを四分の一ほど食べてしまっている。
「紗枝さんも食べて。俺、食べすぎちゃいそう」
「はい」
すると、そこには紙袋を下げた真央がいた。
「真央さん、いらしてたんですね」
「そうなの。夕飯はここのお惣菜が美味しいから。紗枝さんは…それ、なあに?」
紗枝が持っているのがロウソクとわからなかったようだ。
「これ、誕生日用のロウソクなんです。今度の日曜、大城理恵さんのお孫さんの誕生日祝いが来週あって、ケーキを焼くことになったので」
「あら、大城さんの。そうなの。大城さん、お孫さんを溺愛してるものね」
真央は、海外で暮らす前は、ちょこちょこサブリナ会に来ていたらしい。なので、ほとんどのメンバーのことをよく知っているようだ。
「ふふ。ケーキ失敗しないといいわね」
紗枝はえ、と言葉に詰まった。まるで、誕生日のケーキ作りが失敗すればいいのに、と言われたように感じた。
「じゃあ、美佐子さんのとこで、また逢いましょう。紗枝さんの作るケーキ、楽しみだわ」
そう言いながら、真央は紗枝からお菓子作りを習う気配はさらさらない。いつも誠司と話し込んで、当たり前のように紗枝と美佐子が作ったケーキを食べて帰っていく。
どういう人なんだろう…紗枝は、思わずそう呟いていた。
理恵の孫の誕生会の前日。紗枝は、スマホにメールが来ているのに気づいた。
『用事ができたので、誕生日会の約束の時間を、一時間、遅く来てください。
よろしくお願いします 大城理恵』
サブリナ会のメンバーの方々の連絡は、メールよりも電話が多かった。紗枝はそれに慣れていたので、理恵からの連絡がメールなのをちょっと不思議に思った。
しかし、理恵はグラフィックデザイナーで、パソコンもよく使うだろう。渡している名刺には紗枝のメールアドレスが載っているので、メールで連絡してもおかしくはない。
とにかく、明日は一時間遅くなったんだな、とスケジュール帳に書き込んだ。
土曜日の誕生日当日、午前中、紗枝はケーキを焼いた。誕生日のケーキなので、普通のデコレーションケーキの上に小さなケーキを乗せて、二段の特大ケーキを作った。生クリームを塗ったあと、ふんだんに果物を載せていく。理恵のお孫さんは女の子ということなので、ケーキを頬張る少女を想像すると、楽しかった。
「気に入ってくれるといいな…」
「すごいケーキだね」
いつの間にか、キッチンに誠司が来ていた。
「はい。理恵さんが特別なケーキにしてほしい、って二人でああでもない、こうでもない、ってデザインも考えたんです。それで、こういうケーキになりました」
「そうか。俺は仕事だから送れないけど、大丈夫?こんなに大きいと運ぶのも大変じゃないか」
「大丈夫ですよ。理恵さんのお宅はバス停からすぐですし」
にっこり笑う紗枝に、頑張って、と誠司が紗枝の額にキスをした。
未だに誠司にキスされると、頬が赤くなってしまう。
「じゃあ、行ってくる。明日の美佐子さんの教室には、俺も行くから」
「はい。楽しみです」
紗枝は、誠司を玄関先まで見送り、誠司は、出て行った。
「さあ、ラッピングしなくちゃ」
紗枝は、気持ちを切り替えてケーキに向かった。
夕方の17時50分に、紗枝は理恵の家に着いた。
ケーキの箱を抱えてインターフォンを押すと、しばらくして、理恵が出てきた。誕生パーティーだからなのか、明るいオレンジのワンピースを着ている。しかし、紗枝を見るなり険しい顔でこう言った。
「どういうことなのかしら。約束の時間に一時間も遅れるなんて。どうして、遅れるなら、電話の一本もよこさないの」
「え?私、大城さんからメールをもらって」
「なんのこと?素直に遅れたことを謝るなら、まだしも、そんな作り話までして。紗枝さん、あなたフリーで働いているんでしょう。こういう仕事って信頼関係がないと続かない。私は、自分のミスで言い訳するような人とはおつきあいしたくないわ。
孫娘は、ケーキがないなら、ゲームしに行こうかなって、出かけちゃったわ。今日のパーティの段どりがめちゃくちゃになったわ」
玄関から見えるリビングの壁にHAPPYBIRTHDAYのバルーンがはってある。リビングは、きっと派手なかざりつけがしてあるのだろう。理恵がいかにこの日を楽しみにしていたか、よくわかる。
「申し訳、ありませんでした…!」
紗枝は、深く頭を下げた。そして、ケーキの箱を理恵に差し出した。
「お代はいりませんので、このケーキ受け取ってください」
「結構よ。もうお引き取りください。それとね、このことはサブリナ会のメンバーにも言うから。もうお菓子教室を辞める人も出てくるかもね。信用をなくすってこういうことよ。覚えておきなさい。今日はもう、お引き取りください」
激しい勢いでドアを締められた。紗枝はバランスを崩して、玄関先の床に尻もちをついた。ケーキの箱が揺れ、中でケーキが崩れたのがわかった。
せっかく作ったケーキが台無しになった…
紗枝は呆然として、なかなか立ち上がれなかった。
その夜、ひしゃげた特大ケーキをテーブルの皿の上に置き、紗枝は、ぼんやり見つめていた。
フォークで一口食べてみる。生クリームの甘さも、フルーツの相性もよかった。食べてもらえたら、きっと喜ばれただろうという自信がある。
「あのメール…どういうことなんだろう」
さっきからずっとその事を考えている。紗枝の名刺にはメールアドレスが載っているので、誰でも紗枝にメールすることができる。誰かが、理恵の名前をかたってメールを送ってきた、そうとしか考えられない。
「ただいま」
誠司が帰ってきた。紗枝は、夕食の準備をしていないことに気づいた。
「誠司さん、ごめんなさい。夕食がまだできてなくて」
「ああ、食べてきたから大丈夫。…ん?やたら立派なケーキがあるね」
「誠司さん、お仕事で疲れてますよね…」
今日の理恵とのことを、聞いてほしかった。でも、仕事帰りの誠司に、甘えていいか判断がつかなかった。
「うん?なんか話があるの?このケーキ食べていいやつ?」
「はい」
「じゃあ、食べながら聞くよ。今日のは、一段と美味しそうだ」
こんな時、誠司の明るさに救われる。紗枝はお茶の準備をして、ラフな恰好に着替えてきた誠司とテーブルに向かい合わせで座った。
誠司が美味しそうにケーキを食べてくれるのを見ながら、紗枝はぽつりぽつりと今日のことを打ち明けた。
「紗枝さん、そのメール、見せて」
はい、と紗枝は、誠司にスマホを渡した。
「ああ、フリーのメールアドレスだね。誰が送ったかわからないやつ」
「じゃあ…やっぱり誰かが」
「そう考えるのが妥当だろうね。紗枝さんのお菓子教室がうまくいってるから、妬んでこんなことする輩がいるのかもしれない。上昇するとぶつかるものってあるよ。紗枝さん、気を取り直して。明日の美佐子さんの教室には、一緒に行こう。安心して、美佐子さんはこんなことくらいで、紗枝さんと縁を切ったりしないか」
「そ、そうでしょうか…」
理恵が言ったように、今回のことは美佐子や他のサブリナ会のメンバーの耳に入るだろう。その中の何人くらいが、紗枝を信じてくれるか、わからない。
せっかく仲良くなった生徒さんたちとの時間を失うのが、紗枝はつらかった。
「紗枝さん、このケーキ、ナッツが入ってるじゃない。美味いね」
「あ、生クリームとスポンジだけじゃ物足りないので、ナッツも入れてみたんです」
「そう。いいアイデアだ。やばいな…これ、止まらない」
言いながら、ケーキを四分の一ほど食べてしまっている。
「紗枝さんも食べて。俺、食べすぎちゃいそう」
「はい」



