エリート建築士はスイーツ妻を溺愛する

 到着したのは、緑の多い公園だった。木漏れ日のある木々の林を抜けると、サッカーのコートが現れた。小学生くらいの男の子たちが、元気にサッカーをやっている。
 コートの脇には、芝生の斜面があり、平らになったところにベンチが置いてあった。
「未来のサッカー選手の練習試合を見ようか」
「はい」
 二人でベンチに座り、子供たちがサッカーボールを追う様を見つめた。特にユニフォームは着ていなかったから、同じ学校の仲間、というところだろうか。
 結構はげしく、スライディングなどもするので、皆、土埃にまみれている。
 蹴った、走った、と紗枝も夢中になって彼らを見ていたら、こっちにボールが転がってきた。佐々木は躊躇なく立ち上がって、ボールを蹴って、こちらを見ていた男子に見事パスを決めた。
「ナイスパス。おじさんも、混ざる?」
「いいのか?」
「うん。人数足りないんだ。俺のチームに入れてあげるよ」
「それは、嬉しいね。ちなみにお兄さんだぞ」
 子供たちは難なく佐々木を受け入れ、佐々木もコートの中に入って行く。
 紗枝はサッカーに詳しくなかったが、佐々木が子供たちにシュートしやすいように動いてやっているのはわかった。楽しそうに走り回っている。
「子供も好きなんだな…」
 建築家というと、じっと机に向かうイメージだったので、スポーツもできるんだ、と感心した。そして、ジムに通ってる、と言っていたのも思い出した。あまり運動が得意でない紗枝には、佐々木はまぶしく感じる。
 美佐子と流暢に喋ったり、紗枝のケーキを美味しそうに食べたり、今日みたいに公園に連れてきてくれたり。子供たちとサッカーしたり…建築家というだけでなく、いろんな佐々木の一面がある。
 そして、何をする時でも、佐々木は機嫌がいい。ネガティブなことも口にしない。務はそうではなかった。不機嫌な時もあったし、カフェの悪口を延々言っていたりしていた。紗枝にはそれが重くて、困ったな、と思っていた。紗枝は務をなだめすかして。なんとか気分が変わるように仕向けなければならなかった。
 …子供とか彼女云々がなくても、務とのお別れは避けて通れなかったのかもしれない。
「ふう。汗をかいたな」
 サッカーから抜けてきた佐々木が紗枝に言った。紗枝はさっき脇にあった自販機で買ったスポーツドリンクを手渡した。
「お、気がきくね。ありがとう」
 感謝や褒め言葉を惜しまないのも、佐々木のいいところだった。好感が持てる…そこまで考えて、紗枝は何を考えてるの、と自分を叱咤した。この間、務にフラれたばかりで、もう男性とつきあうのはこりごりと思ってたのに…自分の甘さに辟易した。第一、佐々木が紗枝クラスの女子とつきあうなんて、ありえない。
 きっともっとすごいお嬢様とお見合いしたり、出会ったりするのよね。私は、自分のケーキを気に入ってもらえただけで十分だわ。
 そう思って、あ、と紗枝は気づいた。
「佐々木さん、すこし、お腹すいてたりしませんか」
「うん?そうだな。昼も軽かったし。ちょっとすいてるな」
「じゃあ…」紗枝は、持ってきていた大きなバックから、リボンのかかった箱を取り出した。
「フロランタンです。今日の送迎のお礼に、と帰り際に渡そうと思ってたんですが、お腹がすいてらっしゃるなら、今がいいかもしれない、と思って」
「フロランタン?マジか、俺、めっちゃ好きなんだよ」
 早速佐々木は、包みを開けて、一口食べた。
「ああ、美味い。表面のかりっとしたところもいいし、中身はしっとりしてる。わざわざ作ってきてくれたのか」
「お忙しい中、送迎させてしまって、何かお礼を、と思って」
「そんなにかしこまらなくていいよ。でも本音は紗枝さんのお菓子を食べたい気持ちが勝ってるなあ」
「いつでも作ります。気軽にリクエストしてください」
「ほんとか。随分、魅力的なお誘いだな。うん、今度は何がいいか考えておくよ」
 お菓子の後はコーヒーがいいだろうと、持ってきていた小さな水筒からコーヒーを紙コップに注ぎ、佐々木に渡した。これにも佐々木は喜び、紗枝はまた嬉しくなるのだった。
 
 子供たちのサッカーも終わり、二人並んで座っていた芝生から立ち上がった。
「まだパーティには時間があるなあ。どうするかな」
 あ、と紗枝は佐々木に聞きたいことがあったのを思い出した。
「今日のホームパーティって、どんな恰好でいけばいいんでしょう」
 紗枝は、今日はお菓子作りのため、動きやすいシャツとデニムというカジュアルな恰好をしていた。
「あー、そうだな。ホームパーティって言っても、皆さんセレブだからな、パーティドレスの必要はないけど、割ときちんとした恰好が喜ばれるだろうね。しかも、美佐子さんは、紗枝さんを皆に紹介する気満々だし」
 そうか、そうよね、と紗枝も頷いた。
「すみません、佐々木さん、心苦しいんですが、私のアパートに連れて行ってくれますか?着替えてきます」
「うん…」
 佐々木は、少し考えこんだ。紗枝は、やはり図々しいお願いだったか、と恥ずかしくなった。つい甘えてしまった。反省が必要だ。
「思い出した」
「え?」
「ちょっと場所が怪しかったが、思い出した。じゃあ、行こうか」
「佐々木さん?」
 公園を抜けて、駐車場に行き、佐々木と二人、車に乗り込んだ。
「あの、佐々木さん、どこに」
 すぐに着くから、と佐々木は笑って答えてくれない。しばらくして、繁華街から少し離れた路地に入り込んだ。駐車スペースに車を停めて、佐々木と紗枝が車から降りたそこには小さなブティックがあった。
 佐々木は、迷わずブティックの中に入って行き、紗枝は後についていくしかない。
「いらっしゃいませ。佐々木様。お久しぶりですね」
 店の中にいた、中年の綺麗な巻き髪の女性が言った。
「うん。彼女が今日、サブリナ会のホームパーティに出るんだ。それらしいのを頼むよ」
 紗枝は、えっ、と佐々木を見た。
「紗枝さん。サブリナ会のマダム達に逢うのに2,3着買うといい。これから必要になるだろ。金は気にしなくていいから、好きなのを選んで」
「そんな、申し訳ないです」
「いいんだ。俺が綺麗になった紗枝さんを見たいから」
 紗枝は、思わず、顔がぼっと火照った。なんて甘い言葉。でも佐々木はリップサービスはしない。本音だろう。とはいえこの店は高級ブティックのようだし、簡単に服を買ってもらっていいのだろうか…紗枝が躊躇していると、巻き髪の店員が言った。
「かわいらしいお嬢さんですね。じゃあ、この辺りを試着しましょうか」
 それから数着、試着を繰り返し、コーディネートしたものを五組、ワンピースを二枚買うことになった。
「こ、こんなにいただけません」
 素敵な服ばかりで、紗枝も着ていて楽しかった。だが、さすがに全部買ってもらうなんて、厚かましすぎる。とんでもない金額になるはずだ。
 佐々木は笑って言った。
「女性に服をあげるのは、道楽みたいなものだから。言ったろう。気にしなくていいって」
「でも…」
「よくお似合いでしたよ。お客様は、うちの店のコンセプトによく合ってらっしゃいます。そういう方は少ないので、私も着ていただけたら嬉しいです」
 紗枝と佐々木のやりとりを見ていた店員が言った。
 そう言われると、嬉しくないと言ったら嘘になる。結局、佐々木がカードで支払い、服の入ったいくつもの紙袋を車の後部座席に乗せた。
 車に乗り込むと、改めて紗枝は言った。
「本当に…すみません。なんてお礼を言ったらいいか」
「紗枝さんが作るお菓子を食べさせてもらってるだろう。そのお返しだよ。俺も、ドレスアップした女性の傍らにいるのは気分がいいしね」