カフェラテプリンの2025日記

 今月はぼくにとっては思い出がいっぱい詰まった月なんだよなあ。 創価学会に入ったのもこの月。
前妻と次女の誕生日もこの月。 初めて北海道に渡ったのもこの月。
そして全盲になったのもこの月。 いいも悪いも10月から始まってるんだ。
 その中でニュースを見た。 がっかりした。
ここ数年「誰でもよかった殺人」が増え過ぎてないか? 生活が苦しくても人殺しは無いだろう。
 運命は自分で自力で切り開くものだ。 それが出来ないんだったら黙って甘えてなさい。
ぼくだって楽じゃなかったよ。 福岡にずっと居たかった。
でもそれだったら妹たちの思うつぼに嵌ってしまう。 だから逃げ出した。
 岩手にだって好きな人は居た。 ずっと住んでいたかった。
でもそれだと友達を名乗った男の言いなりにされてしまう。 だから逃げ出した。
 結婚した。 息子のためにもずっと居たかった。
でも生保では何も出来ないし家庭はぐちゃぐちゃだった。 自分の無力に唖然とした。
だから逃げ出して一人になった。 道は自分で開くものだ。
他人に開いてもらうものでも与えてもらうものでもない。 考えが幼稚過ぎる。
 「誰でもよかった」って言うやつは必ず精神鑑定が付いてくる。 必要は無いと思う。
そして弁護士先生は必ず「生活苦による心神耗弱」を持ち出してこられる。 これだって無駄だと思う。
 正直な話、裁判無しで仮釈放無しの終身刑にしてもいいくらいだよ。
それがダメだって言うんなら弁護士先生の家でペットにするんだね。 社会には二度と出さないでくれ。
 何とかしてもらいたくてしてもらえなくてムンムンとしてたら殺しちゃったって言うんだろう? 社かいってどんな世界なのか知らな過ぎるし考えが甘過ぎる。
40にもなってそんなことも分からないのか? 生煮えの若芽みたいだな。
本当に情けない子供な大人が多過ぎる。 そんなやつに殺されたおばあちゃんだって浮かばれないよ これじゃあ。
 日本保守党は何がしたいんだろう? まあ勝手に滅びてくれてもいいんだよ。
みみっちい喧嘩ばかりやってるような気がするなあ。 来る者は拒まず去る者は追わずだよ。
それが出来ないんだったら公党とは呼べないな。 地域政党以下だよ。
 離党した人に議員辞職を求めるなんてそれはやり過ぎ。 単なる静かな暴力だ。
これまでやりたい放題にやってきたんだろうが公党である以上は規律が求められる。 日本保守党にはそれが無い。
 そこをきちんとしない限り他のだらしない夜盗と同じ目で見られるのは必至だね。 次の衆議院選挙じゃ伸びないだろう。
5年で消滅すると思うよ。 事務方もうまくないんだし、、、。

 さあさあ10月になりました。 今日も大雨の予想ですねえ。
いつになったらアスファルト効果を実感するんでしょうねえ? sbgsなんて言うけどただのばら撒きじゃない。
 そういうのをきちんと整理して無くしたらどれだけの税金が浮くか、、、。 実効性の無い無駄な予算が多過ぎる。
金をばら撒いて作るだけ作ればいいと思い上がっている。 自民党も官僚もすべて廃棄しなきゃ変わらない。
「コンクリートから人へ」っていうあのスローガンは強ち嘘ではなかったね。 箱入り政治は終わらせないとダメだよ。
 ついでにさあ民泊も何とかしないかい? あっちでこっちで荒れ放題じゃないか。
荒らされてる民泊は一掃してもらいたい。 きちんと作り直すべきだ。
嫌な予感がしたのならその時点で断ってもいいんだよ。 下手に泣き寝入りすると後で付け上がられるから。
日本人でも平気で嘘を吐き散らす人間はたーーーーーーーっくさん居る。 性善説は捨てなさい。
 謗法の塊が日本人なんだからね。

 先月、久しぶりに座談会に参加した。 けど唖然としてしまった。
信心を奮起させるような話は出てこない。 それどころか公明党と選挙の話が表に出てきた。
幹部自ら信心指導など出来ないことを自白したようなものだ。 憐れだと思った。
 池田名誉会長は生前に言われている。 「法華経を広めることが根本なんだ。 それが有ってこそ枝葉が有るんだ。 枝葉が有って信心が有るんじゃない。」と。
その通りだと思う。 それが証拠に初めて挑戦した参議院選挙の逸話が残っている。
 初挑戦の選挙で戸田会長は大阪に池田青年を送り込んだ。 未開の荒野に立った池田青年は題目を唱えきることから戦いを起こした。
一方の東京では活動に主眼を置いた。 「何人頼めたか」を重視したわけだ。
 詳細は省くけれど勝敗は最初から歴然としていた。

 信心を基本として折伏を押し進めていった大阪は驚異的な結果を残したんだ。 数にこだわった東京は惨敗した。
ここ数年の公明党を見ていても当時の東京と同じ姿が見えるのである。 信心しきった歓喜など何処にも無い。
それであればいくら対話をしても感激するはずが無い。 過去の業績を自慢してみても過去は過去である。
過去の政策が今に生きるわけも無く空回りしている。 そこへもってきて学会員が居なければ候補者を出さないという公明党自身の他力本願がかぶさって幻滅するしかない状況を作り出している。
 投票数が減っていると言うけれど学会員しか当てにしていないのだからそうなるのも自然なことだろう。 だから座談会では選挙の応援が議題になってしまうことすら有る。
公明党の会合であればそれは自然なことだろうが、学会の座談会は信心を奮い起こすためのオアシスである。
信心を触発し合う場である。 そこに政治の話は馴染まない。 それをこれまでずっと続けてきたんだ。
そこから命懸けの改革をしていかなければ創価学会自体が幻となってしまうだろう。
こう書けば「あいつは良からぬことを流布している。」と騒ぐ幹部が必ず出てくる。 感じ方は人それぞれ。
思いだって人それぞれ。 組織のいいようにコントロールは出来ない。
 さらに言えば池田名誉会長はもう居ないのだ。 その思想を自分の人生に生かすのは自由だけどその思想を切り取って「会員はこう有るべき。」というのは間違いだ。
事実、名誉会長がそうだったからと言ってそのような生き方をしている幹部が居るだろうか? 幹部でさえそんな人は居ない。
 名誉会長の指導や発言を「これはすごい。 感動した。」とだけ褒めるのであれば意味は無い。 そこから自分がどうするのかを探求すべき。
それでこそ指導が生きるというものだ。 確かに名誉会長の振る舞いは一目置かれる物だったと思う。
でもそれをただ「ああいうことも有った。」と眺めているだけでは名誉会長だって浮かばれないというものだよ。

 さてさて現今、結婚というのは就職より難しい問題になっている。 それはなぜだろうねえ?
自分を磨かないままで縁だけを求める人が増えてしまったってことかもしれないなあ。 錆びたおもちゃは誰も振り向かない。
毎日手入れをし磨き上げて動かしていればどんな古いおもちゃでも人は必ず振り向くもの。
 それと同じくで磨きもせず努力もせずただ生きているだけの人間が婚活したって誰も振り向くわけが無い。 努力していても難しい世の中なのに。
それに縁というやつはこちらから手を出さなくてもチャンスさえ有れば見付かるもんだよ。 自分から動かなくても見てくれてる人は必ず居るもんだ。
 それをなあ努力もせずに「俺を見ないやつが悪い。」って文句を言われても困るんだよ。 縁を動かすのは自分次第なんだから。
若い女にくっ付こうとするのはそりゃまあ本能だろう。 それを気持ち悪いの何のって言われたら何処に逃げればいいんだ?
 「私の魅力にこれだけしか金を払わない。」って激怒されても困るんだよ。 魅力って人が決めるものだからね。
フェミブームと相まってそういう考え方をしてるんだろうけど魅力って努力しないと出てこないんだよ。 兎にも角にも男も女も努力しない人間がやたらめったらと騒ぎを起こしているだけ。
うざいから消えてくれ。 「じゃあお前は何をしてきたんだ?」ってそう聞きたくなるだろう。
ぼくだって見えない所で努力してきたよ。 何もしてないように見えるけど。