いよいよ今日からスタートです。 この日記。
明けましておめでとうございました。 もう昼です。
韓国では大統領がやばいことになってるし、一方でとんでもない空港の悪態が明るみになりました。
日本はというと兵庫県ではまだまだ騒ぎたい人たちが惜しげもなくアホーを披露していますがどうなるんでしょうか?
ただただ騒ぎたいだけなら社会を巻き込まないでもらいたいものですねえ。 まあ少数じゃ騒いでも面白くないから巻き込みたいのは分かるんですけど大迷惑な話。
さんざんに嘘とデマを垂れ流して炎上させたマスゴミが「ネットには嘘が溢れているーーーーーー!」ってもっともらしく仰るのだから開いた口が壊れてしまう。
『嘘吐きは泥棒の始まり。』と耳が潰れそうなくらいに教えてもらったはずなのになあ。 始まりどころか泥棒になってるじゃない。
個人情報を守らないtbs、社員を何とも思わないフジテレビ、日本を何とかして中国に跪かせたいnhk、みんな揃ってあっち向いてホーーーーーイですわ。
世は末法のほんの入り口。 これから先、嘘吐きがまともな人間に見えてくるようなとんでもない時代に入っていくわけね。
この時代を何とかしてまともなうちに踏み止まらせたいんだけどなあ。 出来るかな?
そのためにはまずマスゴミをきれいさっぱりと片付けなきゃね。 嘘吐きが日常茶飯事では困るんで。
さあさあ、小汚いマスゴミの話はこれくらいにして、、、。
今日はねえ、ニューイヤー駅伝をやってますよ。 明日は箱根の往路ですねえ。
青山か、國學院か、創価か、はたまた?
携帯を持っていた頃はワンセグで見てました。 うん、電波が良くなくて苦しんだけど。
でも今はYouTubeでライブ配信が見れるからねえ。 変わったねえ。
そうそう、今年はWindows10のサポートが終わる年。 11に乗り換えないと大変だ。
中古で新しいやつを買って乗り換えようかな。 3年間、使っては来たけどスピーカーが微妙にいかれてて大変なんだ。
仕事は六日から。 それまではお休み。 今年の正月は味噌風味の煮物三昧にしております。
いつもはカレーが中心になるんだけど毎週作ってると飽きちゃってさあ。
煮物だと注ぎ足して作り替えることが出来るから楽なんだよね。
今は鶏肉と豚バラも突っ込んで煮ものにしてあります。 無くなってきたらシーフードを突っ込んで鍋にします。
それに飽きてきたらショウガを微妙に利かせておじやにでもしようかな。
日本酒も突っ込んでおけばちゃんこ風にも出来るし。
うん、今年はいろんなことをやりたいなあ。 今までもやってきたけどさ。
え? ニューイヤー駅伝 3区で繰り上げ?
それはそれは可哀そうだなあ。 最後で繰り上げならまだ納得できるけど、、、。
ぼくもね、マラソンは好きなんだ。 走るのが好きだったから。
学生時代、冬になると体育の授業はマラソンだった。 体操してから終わるまで一気に走るんだよね。
800メートルのグラウンドを何周できるか、、、。 けっこう走ったよ。
ラストの追い込みが気持ち良かったなあ。 その後は大変だったけど。
今日は静かな元旦。 団地暮らしも4年目に入ってる。
こうしてネットで書き始めて三度目の正月。 ベリーズでは二度目。
今夜は何を食べようかなあ? 煮物はそのまま残ってるからソバでも茹でるかな。
二日の朝です。 正月も静かに暮らしてます。
実家に居た頃は何やかやとうるさかったなあ。 もちろんお年玉なんて貰ったことは無い。
くれって言ったことも無いなあ。 そんなもんだって思ってたから。
友達にはね、「何万円貰った。」って喋ってるやつも居たけど羨ましいとは思わなかった。
子供の頃からぼくは冷めてたのかな?
そりゃね、買ってほしいおもちゃもたーーーーーっくさん有ったよ。
でもなかなか言えなかった。
中でも本当に欲しかったのは『超スーパーカー ガッタイガー』と『科学冒険隊 タンサーファイブ』
そして『超電磁マシーン ボルテスファイブ』だったなあ。
でもさあやっぱり高額なおもちゃは買ってもらえなかった。
唯一買ってもらったのはゴールドライタンだけ。
両親は共働きで社宅に住んでたんだ。 二階建てだった。
幼稚園の頃にオルガンを習っていたのも有ってオルガンも買ってもらったんだけど弾くことは一度も無かった。
隣の部屋に病気のおばあちゃんが寝てるからって言われてさ。
その後、離婚して社宅を出ちゃったからオルガンもどうなったかは分からない。
新品同然だったから売りに出されたかもねえ。
その影響からか、今ではプラレールとトミカとリカちゃんを買いまくってます。「泣き」
プラレールは完全に一部屋を占領してる。 時々コースを組み替えたりしながらね。
リカちゃんは棚という棚を占領してきました。 どれだけ買ったんだろう?
そして2018年頃から自分で料理を作り始めました。 その前から作ってたんだけどね。
2006年、福岡を離れて盛岡市に移り住んだ時から料理は作ってました。
初めて作ったのはベーコンエッグだったな。 それからカレーとかすき焼きとか作ってきたんだ。
生協で秋刀魚を買ってきてフライパンで煮魚にしたことも有る。
窓から覗いたおばちゃんが「醤油の中で秋刀魚が泳いでる!」って驚いてたっけ。
楽しいことも嫌なことも数え切れないくらいにたくさん有った。
でもさやっぱり嘘吐きだけはいかん。 親友にそれをやられたからぼくは特にそう思う。
盛岡市に引っ越した時、〈こいつに頼らないとどうしようもない〉って思ってた男が居た。
でもそいつはぼくの知らない所で業界の連中に嘘を垂れ流して回った。
「あいつは二枚舌で嘘吐きで信用できない男だから信用するな。」とね。
業界の先輩に開業の相談をした時、「あいつを連れて来なさい。 あいつの話なら聞いてやるから。」って言われた。
(おかしいな)って思っていたら「ははは。 門前払いされたのか。 いかにお前が信用されてないかこれで分かったろう? 俺の言うことを聞け。」って言ってきた。
ほんの数か月で何が分かるって言うんだろう? 先輩たちはそいつの話しか聞いてないんだ。
そいつとは21歳の時からの知り合いだった。 その時はまだまだまともだった。
ぼくらは大阪で知り合ったんだ。 そして長らく付き合ってきた。
しかもぼくが学会員になったことで付き合いはさらに深くなっていく。 ところが、、、。
「俺はお前の親だ。 折伏してやった親だ。 俺の言うことを聞け!」と命令するようになってきた。
ぼくが福岡に帰った後も時々電話してきては「お前はどうせ迷惑ばかり掛けてるんだろう? 修行が足りないから大阪に帰ってこい! 叩き直してやる!」と攻めてくるのだ。
(こんなやつとは付き合えないな。)とその時から思っていた。
それが露になったのは2007年7月のことだった。 思い余ったぼくらは殴り合いの喧嘩をして別れたんだ。
24時間行動を監視され続け、少しでも意見を違えると時間も場所も関係無く他人がドン引きする勢いで怒鳴り付けられ、挙句の果てには「お前は教育が足りない。」と言って部屋の鍵を没収する。
そこまで来たら信頼関係は完全に崩壊する。 それで別れたんだ。
でも別れた後もそいつは絡んできた。 本当にうっとおしい男だった。
何のためにここまで仲良く付き合ってきたのか、、、? そいつの虐めが始まったのは1月だった。
だからね、今頃の季節になるといつもそいつのことを思い出すんだ。
夕方6時から午前4時まで毎晩の飲み会に付き合わされ、休むと人間が壊れそうなくらいに怒鳴られ、付き合うと翌日は万年酔っ払い状態。
「東北の冬は寒いんだ。 飲んでないと死ぬぞ。」 そう言って酒を出してくるのだから拒むのも大変だ。
三か月ほど付き合いはしたが、とうとう耐え切れなくなって知り合いの仲裁で飲み会に引っ張り込むのを辞めさせた。
そしたら今度は24時間張り付いて監視し始めた。 何処へ行き、誰と話し、何をしているかを事細かに報告させるようになった。
それで気になると真夜中でもアパートにやってきて玄関で怒鳴り散らし騒ぎ続ける。 何をどうしたらこんな人間が現れるんだろうか?
離れようかとも思ったが、そいつの縁で学会に巡り合えたんだ。 ぼくは真剣にそいつのことを祈り続けた。
「大阪に居た頃みたいに仲良くしたい。」ってね。 だけど祈れば祈るほど虐めが激しくなっていく。
そして終には殴り合いをすることになった。 でもそいつは自分から殴っておいて警察に仲裁を願った。
仲裁に入った警察官はぼくに行った。 「あの人とは別れなさい。 一人でもやっていけるだろう?」
長かった。 やっとぼくは一人になれたんだ。
それからは下宿暮らし。 そいつと別れた最後の日、、、。
「俺の弟子は最後に15万もくれたのにお前は5万しかくれんのか? それだけお前は偉いのか?」とまあこんなことを吐き捨てたんだ。
金にしか目が無い男だった。 それではチンピラ以下じゃないか。
何がそいつをそこまで落ちぶれさせたのか、ぼくには分からなかった。
明けましておめでとうございました。 もう昼です。
韓国では大統領がやばいことになってるし、一方でとんでもない空港の悪態が明るみになりました。
日本はというと兵庫県ではまだまだ騒ぎたい人たちが惜しげもなくアホーを披露していますがどうなるんでしょうか?
ただただ騒ぎたいだけなら社会を巻き込まないでもらいたいものですねえ。 まあ少数じゃ騒いでも面白くないから巻き込みたいのは分かるんですけど大迷惑な話。
さんざんに嘘とデマを垂れ流して炎上させたマスゴミが「ネットには嘘が溢れているーーーーーー!」ってもっともらしく仰るのだから開いた口が壊れてしまう。
『嘘吐きは泥棒の始まり。』と耳が潰れそうなくらいに教えてもらったはずなのになあ。 始まりどころか泥棒になってるじゃない。
個人情報を守らないtbs、社員を何とも思わないフジテレビ、日本を何とかして中国に跪かせたいnhk、みんな揃ってあっち向いてホーーーーーイですわ。
世は末法のほんの入り口。 これから先、嘘吐きがまともな人間に見えてくるようなとんでもない時代に入っていくわけね。
この時代を何とかしてまともなうちに踏み止まらせたいんだけどなあ。 出来るかな?
そのためにはまずマスゴミをきれいさっぱりと片付けなきゃね。 嘘吐きが日常茶飯事では困るんで。
さあさあ、小汚いマスゴミの話はこれくらいにして、、、。
今日はねえ、ニューイヤー駅伝をやってますよ。 明日は箱根の往路ですねえ。
青山か、國學院か、創価か、はたまた?
携帯を持っていた頃はワンセグで見てました。 うん、電波が良くなくて苦しんだけど。
でも今はYouTubeでライブ配信が見れるからねえ。 変わったねえ。
そうそう、今年はWindows10のサポートが終わる年。 11に乗り換えないと大変だ。
中古で新しいやつを買って乗り換えようかな。 3年間、使っては来たけどスピーカーが微妙にいかれてて大変なんだ。
仕事は六日から。 それまではお休み。 今年の正月は味噌風味の煮物三昧にしております。
いつもはカレーが中心になるんだけど毎週作ってると飽きちゃってさあ。
煮物だと注ぎ足して作り替えることが出来るから楽なんだよね。
今は鶏肉と豚バラも突っ込んで煮ものにしてあります。 無くなってきたらシーフードを突っ込んで鍋にします。
それに飽きてきたらショウガを微妙に利かせておじやにでもしようかな。
日本酒も突っ込んでおけばちゃんこ風にも出来るし。
うん、今年はいろんなことをやりたいなあ。 今までもやってきたけどさ。
え? ニューイヤー駅伝 3区で繰り上げ?
それはそれは可哀そうだなあ。 最後で繰り上げならまだ納得できるけど、、、。
ぼくもね、マラソンは好きなんだ。 走るのが好きだったから。
学生時代、冬になると体育の授業はマラソンだった。 体操してから終わるまで一気に走るんだよね。
800メートルのグラウンドを何周できるか、、、。 けっこう走ったよ。
ラストの追い込みが気持ち良かったなあ。 その後は大変だったけど。
今日は静かな元旦。 団地暮らしも4年目に入ってる。
こうしてネットで書き始めて三度目の正月。 ベリーズでは二度目。
今夜は何を食べようかなあ? 煮物はそのまま残ってるからソバでも茹でるかな。
二日の朝です。 正月も静かに暮らしてます。
実家に居た頃は何やかやとうるさかったなあ。 もちろんお年玉なんて貰ったことは無い。
くれって言ったことも無いなあ。 そんなもんだって思ってたから。
友達にはね、「何万円貰った。」って喋ってるやつも居たけど羨ましいとは思わなかった。
子供の頃からぼくは冷めてたのかな?
そりゃね、買ってほしいおもちゃもたーーーーーっくさん有ったよ。
でもなかなか言えなかった。
中でも本当に欲しかったのは『超スーパーカー ガッタイガー』と『科学冒険隊 タンサーファイブ』
そして『超電磁マシーン ボルテスファイブ』だったなあ。
でもさあやっぱり高額なおもちゃは買ってもらえなかった。
唯一買ってもらったのはゴールドライタンだけ。
両親は共働きで社宅に住んでたんだ。 二階建てだった。
幼稚園の頃にオルガンを習っていたのも有ってオルガンも買ってもらったんだけど弾くことは一度も無かった。
隣の部屋に病気のおばあちゃんが寝てるからって言われてさ。
その後、離婚して社宅を出ちゃったからオルガンもどうなったかは分からない。
新品同然だったから売りに出されたかもねえ。
その影響からか、今ではプラレールとトミカとリカちゃんを買いまくってます。「泣き」
プラレールは完全に一部屋を占領してる。 時々コースを組み替えたりしながらね。
リカちゃんは棚という棚を占領してきました。 どれだけ買ったんだろう?
そして2018年頃から自分で料理を作り始めました。 その前から作ってたんだけどね。
2006年、福岡を離れて盛岡市に移り住んだ時から料理は作ってました。
初めて作ったのはベーコンエッグだったな。 それからカレーとかすき焼きとか作ってきたんだ。
生協で秋刀魚を買ってきてフライパンで煮魚にしたことも有る。
窓から覗いたおばちゃんが「醤油の中で秋刀魚が泳いでる!」って驚いてたっけ。
楽しいことも嫌なことも数え切れないくらいにたくさん有った。
でもさやっぱり嘘吐きだけはいかん。 親友にそれをやられたからぼくは特にそう思う。
盛岡市に引っ越した時、〈こいつに頼らないとどうしようもない〉って思ってた男が居た。
でもそいつはぼくの知らない所で業界の連中に嘘を垂れ流して回った。
「あいつは二枚舌で嘘吐きで信用できない男だから信用するな。」とね。
業界の先輩に開業の相談をした時、「あいつを連れて来なさい。 あいつの話なら聞いてやるから。」って言われた。
(おかしいな)って思っていたら「ははは。 門前払いされたのか。 いかにお前が信用されてないかこれで分かったろう? 俺の言うことを聞け。」って言ってきた。
ほんの数か月で何が分かるって言うんだろう? 先輩たちはそいつの話しか聞いてないんだ。
そいつとは21歳の時からの知り合いだった。 その時はまだまだまともだった。
ぼくらは大阪で知り合ったんだ。 そして長らく付き合ってきた。
しかもぼくが学会員になったことで付き合いはさらに深くなっていく。 ところが、、、。
「俺はお前の親だ。 折伏してやった親だ。 俺の言うことを聞け!」と命令するようになってきた。
ぼくが福岡に帰った後も時々電話してきては「お前はどうせ迷惑ばかり掛けてるんだろう? 修行が足りないから大阪に帰ってこい! 叩き直してやる!」と攻めてくるのだ。
(こんなやつとは付き合えないな。)とその時から思っていた。
それが露になったのは2007年7月のことだった。 思い余ったぼくらは殴り合いの喧嘩をして別れたんだ。
24時間行動を監視され続け、少しでも意見を違えると時間も場所も関係無く他人がドン引きする勢いで怒鳴り付けられ、挙句の果てには「お前は教育が足りない。」と言って部屋の鍵を没収する。
そこまで来たら信頼関係は完全に崩壊する。 それで別れたんだ。
でも別れた後もそいつは絡んできた。 本当にうっとおしい男だった。
何のためにここまで仲良く付き合ってきたのか、、、? そいつの虐めが始まったのは1月だった。
だからね、今頃の季節になるといつもそいつのことを思い出すんだ。
夕方6時から午前4時まで毎晩の飲み会に付き合わされ、休むと人間が壊れそうなくらいに怒鳴られ、付き合うと翌日は万年酔っ払い状態。
「東北の冬は寒いんだ。 飲んでないと死ぬぞ。」 そう言って酒を出してくるのだから拒むのも大変だ。
三か月ほど付き合いはしたが、とうとう耐え切れなくなって知り合いの仲裁で飲み会に引っ張り込むのを辞めさせた。
そしたら今度は24時間張り付いて監視し始めた。 何処へ行き、誰と話し、何をしているかを事細かに報告させるようになった。
それで気になると真夜中でもアパートにやってきて玄関で怒鳴り散らし騒ぎ続ける。 何をどうしたらこんな人間が現れるんだろうか?
離れようかとも思ったが、そいつの縁で学会に巡り合えたんだ。 ぼくは真剣にそいつのことを祈り続けた。
「大阪に居た頃みたいに仲良くしたい。」ってね。 だけど祈れば祈るほど虐めが激しくなっていく。
そして終には殴り合いをすることになった。 でもそいつは自分から殴っておいて警察に仲裁を願った。
仲裁に入った警察官はぼくに行った。 「あの人とは別れなさい。 一人でもやっていけるだろう?」
長かった。 やっとぼくは一人になれたんだ。
それからは下宿暮らし。 そいつと別れた最後の日、、、。
「俺の弟子は最後に15万もくれたのにお前は5万しかくれんのか? それだけお前は偉いのか?」とまあこんなことを吐き捨てたんだ。
金にしか目が無い男だった。 それではチンピラ以下じゃないか。
何がそいつをそこまで落ちぶれさせたのか、ぼくには分からなかった。