私は97年度の恐喝詐欺いじめの加害者の
F垣T内ら3人と
00年度のモラハラするバカにする2人と
過度に人格否定を先生からされたのはどうしても悲しすぎて後悔で悲しすぎて許せずにいるものの、


けど一番責めてしまうのは
いじめる人を避けられなかった
いじめを防げなかった私の弱さ。




母が、2000年初夏ごろから八月最後くらいまでは
わたしが当時の担任に
人間恐怖症ほくみえるとか
ばかにされたことでうつなってた。
母ちゃんいいことない
とか
何であなただけMK先生(当時の担任のこと)人間恐怖症,対人不信とかばかにされるの
と何回も嘆かれたので
実はぶっちゃけなくても2000年の夏休おわり
死を選ぼうとした


もしも85年前半もどれたら
その97年度の3人の恐喝詐欺の加害者と
00年度のモラハラする2人と 
過度に人格否定する先生に
いじめられるより
対人不信、人間恐怖症なるより
85年前半の時点で死ぬ方迷わず選ぶ


いじめられるよりなら85年前半の
胎児の時点であの世行きたい

97年度の恐喝詐欺の加害者3人と 
00年度のモラハラする2人
あと人格否定する先生よりも
その恐喝詐欺やモラハラばかにすることを
されるひとのほうがせめられてしまうなら
恐喝詐欺やモラハラやバカにする言動や
先生からも人格否定されるなら
85年前半のつまり胎児時点で死にたかったと
空の上に旅立っていきたかったと思う


85年前半時点で死んでたら
97年当時F垣T内ら3人に恐喝詐欺器物破損などされなく、2000年当時だってTMとstからモラハラみたくばかにすることをされなかったうえ
人格否定する担任に人間恐怖症や人間不信に見えると人格否定されないで済んだはずだから




85年前半に戻れるなら戻り
F垣T内ら三人に恐喝詐欺器物破損されたり
TMやstにモラハラやバカにする言動されたり
先生からも人格否定されるよりなら
85年前半に戻りこの時点で死に空の上行きたい


97年の休み明けも、
2000年の夏休み明け死を考えたが
死の勇気すらなかった(´;Д;`)