今思うと、あれは私にとって、恋に近い感情だったんじゃないかと思う。
* * *
「ねえねえ、高園さんってこのアイドルグループ知ってる? スプラッシュトレインって言うんだけど」
「アイドルグループ?」
スプラッシュトレイン……? え、知らない。
「この人だよ、この真ん中のセンターの人」
ある日会社の同僚である咲坂さんから見せられたのは、とあるアイドルグループだと言うメンバーのアーティスト写真だった。
「いえ、知らないです」
一言そう答えると、咲坂さんは「えっ!高園さん、スプラッシュトレイン知らないの!?」と驚いたような顔を見せる。
「はい。知らないです」
そんなに驚くことだろうか……と思っていると、咲坂さんは「辰野響輝だよ! 名前聞いたことない?」と聞いてくる。
「辰野、響輝……。いや、知らないです」
そもそも私、アイドルグループに興味がないのだけど……。
「えっ、本当に知らない? 今月九で主演ドラマやってるんだけど」
「すみません。月九ドラマを見ていないのでわかりません」
即答してしまったことが悪いのかわからないけど、「ウソでしょ?ドラマとか見てないの?」と問いかけられてしまう。
「見てないです」
「ええ、そうなの? 響輝めっちゃカッコイイの。私の推しメンなの!ぜひ見てみてよ!」
ん?推しメン……? 推しメンとは?
「すみません、推しメンとはなんですか?」
「えっ!もしかして、推しメンも知らない?」
「知りません。推しメンとはなんでしょうか?」
推しメンという言葉を知らない私に、咲坂さんは「推しメンって言うのは、推してるメンバーってことだよ」と教えてくれる。
「推してるメンバー……?」
「そう。応援したいキャラクターとか、推したいメンバーのことを推しメンって言うの」
「推しメン……」
応援したいキャラクターとかメンバーのことを推しメンって言うんだ。……なるほど。
「高園さんにはいないの? 推しメン」
「推しメン、ですか……?」
そんな人、居るだろうか? あまり考えたことなかった。
「推しメン……」
「誰かいないの?推しメン」
いないのかと聞かれると、ちょっと難しい気がしている。
「んー……推しメン……」
「そんなに深く考えなくても大丈夫だよ!」
推しメン……いない。
「……いないです、推しメン」
「そっかー。いないのかあ」
咲坂さんは「私の推しメンの響輝はね、アイドルグループのセンターでドラマとか映画でも主演をやってるんだけどね、歌も上手いしダンスも上手いの。 なのにすごく繊細な演技が出来る、ものすごく完璧な人なんだよ」と嬉しそうに語っている。
「完璧な人……ですか」
完璧な人なんて、本当にこの世の中に存在するのだろうか。
「響輝はメンバーの中でも特に人気が高くてね、次世代アイドルグループメンバー総選挙で第一位だったんだよ」
次世代アイドル……なに? 早口言葉みたいでよくわからなかった……!
「これ見てよ。これが響輝ね」
「この人が響輝……?」
確かにイケメンでカッコイイけど……。
「響輝はシンガポールと日本のハーフなんだよ。英語に韓国語、中国語にフランス語とか話せるんだよ。トリリンガルってすごくない?」
「す、すごい……ですね」
あまりアイドルグループに興味のない私だったのだが、一応響輝の写真を送ってもらうことにした。
「高園さんも一緒に響輝同盟入ろうよ〜」
「響輝同盟……?」
「響輝ファンの呼び名だよ。響輝のファンのことを、響輝はそう呼んでるの」
「へえ……」
響輝同盟……ね。
「今度ライブDVD貸してあげるから、ぜひ見てみてよ!絶対に高園さん好きだと思うの!」
「えっ。……あ、ありがとう」
なんとなく断りづらい雰囲気になってしまったので、お礼だけ伝えて席を立った。
「推しメン……ね」
私にもいつか、その推しメンという人は現れるのだろうか。
* * *
翌週の土曜日、私は本屋さんに向かうため駅からほど近いところにあるショッピングモールの中を買い物のために歩いていた。
土曜日ということもあり、館内はとても家族連れやカップルで賑わっている。
「きゃっ!」
人混みの中を歩いていたら、誰かとぶつかってしまい尻もちをついてしまった。
「いたっ……!」
「す、すみません! 大丈夫ですか?」
転んでしまった私に声を掛けてくれたのは、深めに帽子を被っていた男性だった。
マスクもしていたが、マスク越しにでも私はその男性に見覚えがあった。
なぜならーーー。
「あなた……もしかして……」
咲坂さんから教えてもらった、あのスプラッシュトレインというアイドルという人だからだ。
【響輝……?】という名前をふいに口にした瞬間、響輝らしき人は唇に手を伸ばし「しっ」という仕草を見せた。
「ケガはない?」
と、響輝は手を伸ばしてくれるから私は「は……はい」と響輝の手をそっと取って立ち上がった。
この人は本当に響輝……? でも目元にあるそのホクロは、間違いなく響輝だ。
私が見た写真の響輝には、右目の下にホクロがあった。 今私が見ているこの人の右目の下にも、同じ位置にホクロが……ある。
「良かった。……このことは、内緒で」
「え……?」
そして響輝は、「ケガがなくて良かった。 じゃあね」と微笑むと、私の頭をぽんと優しく撫でると、ゆっくりと背を向けて歩き出したーーー。
「……これって、夢じゃないよね?」
何が何だか、よくわからない私だった。
だけど……なぜかわからないけど、心臓の動きがいつもより早い気がしてならなかった。
「え、でもあの人は……」
あの目は確かに、響輝だったーーー。
あれ、なんか私の心臓がうるさい……。
【1話だけ大賞完】



