それから、私は高坂くんにもらった灯台の合鍵でギターの練習場所を得た。高坂くんは、春休みに突入してからも軽音部の練習があるとかで、いろんなお家からご飯の匂いがする時間帯に灯台にやってくるのだった。
アウトドアチェアを向き合わせて、静まった夜の海風を背景に私たちは練習に勤しんだ。
「今ってどんな練習してるの?」
「リズム練と、コード練と、今度ライブでやる曲の練習、って感じだな」
意外とまともな練習してる。基礎練とか全くしなさそうなのに。思ったことが表情にも現れていたのか、高坂くんがむっと口を尖らせた。
「今はうちのベースに色々教わってんだ。本職はベースだけど、ギターも弾ける奴だから」
「そう言うことか」
そんなに珍しいことではない。容量のいい人だと、どっちも弾けたりする。ここに置いてあったメトロノームも、どうやらそのベースくんに貸してもらったものらしい。ベースは縁の下の力持ち、特にドラムとともにリズム隊を担うポジションだからリズム感が特に重要だ。ベーシストなら当然組み込みたい練習だろう。
そしてもう一つ気づいたことがある。
「高坂くん、指疲れないの?」
「人並みに疲れはするけど」
「ふうん」
ギター始めたばかりの初心者が大体陥る、指の力をこめすぎて痛くなるやつがないこと。私もギターを始めた頃は辛い思いをしたものだ。
「手見して?」
「手? はい」
「右じゃなくて左」
「ん」
差し出された左手を掴んで触れると、指先が硬い。何度も豆ができて潰れたような跡もある。
「高坂くんって、なんかスポーツでもしてたの?」
「えっ、ま、まあ……野球してた、けど」
「なるほど」
彼の指先を押したりなんやらしていると、いきなり手が引っ込んだ。驚いて顔を上げると、複雑な顔つきで左手を握りしめる高坂くんがいた。
「……ごめん?」
「もういいだろ」
「……照れてる?」
「照れとらんわ」
そっぽをむかれてしまった。なんで?
「高坂くん」
「……」
私の声を無視してコード練を始め出した。さて、どうしたものか。色々考えた末、苦し紛れに提案してみる。
「アルペジオやってみる?」
ギターの音がぴたりと止まる。
「アルペジオってなんだ?」
「一音一音鳴らすやつ。高坂くんなら、指弾きの方が綺麗に出来ると思うよ。指の力強そうだし」
顔を上げた彼の表情は、先ほどまでの険しい顔つきから一転して口元への喜びが抑えきれていない。
「……やる」
あ〜単純でよかった〜。
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向上心の高いおかげか、高坂くんのギターの腕前はメキメキ上達していった。
そして、春休みも2週間が過ぎ、いよいよ始業式前日のことである。いつもの時間に灯台にやってきた高坂くんは、頬にでかいガーゼを張ってやってきた。心なしか表情も不機嫌だ。
無言でギターのストラップに腕を通す彼の背を見ながら、私は手を叩いて指を立てた。
「もしかして、乱闘?」
「違うわ!」
「え? 違うんだ。じゃあ、俺の女に手ェ出すな的な……」
「もっと違うわ!」
「……(声でか)」
「お前ん中の俺のイメージどうなってんだ」
険しい顔で睨まれて、私ははは、とだけ笑って誤魔化すことにした。
その後、彼は一向に怪我の理由について口を割ること無く、練習が終わった。いつもなら、灯台の入り口前で解散する流れなのだけれども、今日は違った。
「柳さん!」
すでに灯台か背を向けて歩き始めていた足を止め、振り返る。まだ入り口前で突っ立っていた高坂くんが、ものすごい勢いで私の前まで走ってくる。その時から嫌な予感がしていた。
高坂くんは何を思ったか、私に向かって綺麗なお辞儀を決め込んだ。
「頼む! 一生のお願いだ!!」
デジャヴかな?
#
高校の始業式は筒がなく終了した。
私がこれから一年を過ごすことになる3年A組には、高坂くんは居ないようだ。それっぽく無難な挨拶をして、出身が東京っていうだけで興味を持ってくれたクラスメイトの数人から話しかけてもらうことができた。
午前中で学校が終わり、私は教室のロッカー上に置かせてもらったギターを手に──第二音楽室へ向かった。
人気のない第二校舎は、授業以外はほとんどが文化部による部活で使われる棟らしく、文化部の中では代表的な吹奏楽部は第一校舎の広い方の音楽室を使っているらしい。要するに、とても静かだった。
第二音楽室のドアの小窓を覗いて、中を確認してみる。端っこに置かれた年季を感じさせるオルガンピアノと、ちょうど音楽室の真ん中ら辺にYAMAHAのドラムが鎮座している。年季の入った、しかし手入れの行き届いたアンプもある。あのアンプ爆発させたのか高坂くんは……というか、高坂くんは居ないようだ。
「……先いるって言った癖に……」
「──入部希望?」
「ヒッ」
ガラスに反射した見覚えのない人影と声に思わず肩が跳ねる。勢いよく後ろを振り返ると、人当たりの良さそうな笑みを浮かべた薄いフレームメガネを掛けた青年が立っていた。彼の背中にも見慣れたケースが見えた。
「え? 入部希望者? ほんとだ〜」
今度は、下に二つ結びをしたのほほんとした少女が、青年の後ろからひょっこり顔を出した。2人の視線は興味津々に私のギターに注がれている。
高坂くんのバカ! こうなるのが嫌だったから先に居てって言ったのに!
「ギターやるの?」
「……アッ、は、はい。一応……」
「ギター何使ってる?」
「アッ、ギブソン……」
「いいの使ってるね〜」
人見知りが発動して全く自然な会話ができない。向こうからグイグイこられるといつもこうだ。この子、爆速でパーソナルスペース入ってくる。苦手なタイプだ。高坂くんと同じパッションを感じる。
冷や汗をかきながら少女の質問に答えていると、傍で聞き役に徹していた青年が、「ああ!」思い至ったように手を叩いた。
「キミ、ひょっとして──布袋さん?」
「…………、違います」
ちなみにあの伝説のギタリストとなんの関わりもない。
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「いや〜ごめんね。最近ハルが爆速でギター上手くなっててさ、流石におかしいって、巡と問い詰めたら、最近知り合ったさすらいのギタリストに教わってるとか言い出すからさ〜」
誰がさすらいのギタリストだ。
「それ以上何にも口を割らないから、僕たちの中で布袋さんって呼んでたんだよね。まさか転校生さんに教わってたとは」
「立夏ちゃん、お菓子あるよ〜。いる?」
「あ、どうも……」
横から差し出された個包装されたクッキーを受け取り、ちまちま食べる。机を長方形に四つくっつけた、簡易テーブルに座り、奇妙な座談会が繰り広げられていた。知り合いのいない完全アウェー空間である。もうすでに帰りたい。
「えっと、改めて自己紹介しようか。僕はベースの相馬秋也。ベース歴は中学くらいからだから、5年くらいかな」
「それから、生徒会長で〜す」
「二学期までだけどね」
高坂くんの言ってたベースって、この人の事だったのか。見た目からして勉強のできそうな利発的な人だ。
「わたしはドラムの冬野巡。ドラムは高校からはじめました〜。ハルとは保育園からの幼馴染で、実家が冬ノ月って旅館で〜す。あ、これ実家の温泉饅頭。よろしければお納めくださ〜い」
「……あ、ああ。わざわざすいません」
再び手のひらに饅頭を乗せられる。あの高坂くんと幼馴染なだけある。通りで同じシンパシーを感じるわけだ。
「柳さんが来てくれて助かったよ。うちのギター、ライブ前なのに飛んじゃって」
「……そういえば、ギター飛んだのって高坂くんのこれと関係あるの?」
私が頬を指差すと、2人は顔を見合わせた。
「ハルとギターが取っ組み合いの喧嘩してね。その時できた傷らしいんだ」
「喧嘩!? なんでまた」
「……うーん」
相馬くんは何故だか歯切れ悪く、愛想笑いをした。
すると、隣に座っていた冬野さんが饅頭を齧りながら口を開いた。
「ギターが練習日に体調不良って嘘ついて、女とデート行ったからね〜4回くらい。しかも毎回別の女」
「あ〜(察し)」
「練習中に女が4人くらい乗り込んできても〜〜修羅場」
「巡〜? うちの軽音部の痴態をそんなぽんぽん暴露しないで?」
「一番必要な時にあの場に居合わせなかった癖に口挟むの?」
「ごめんて」
「挙句にわたしもギターの女だって勘違いされて、乱闘に巻き込まれそうになったしね〜」
「お気の毒に……」
乱闘ってあながち間違いでもなかったのか……。
いきなり、私の手をガシッと掴んだ冬野さんが、鬼気迫る顔つきで見つめてくる。
「だから、立夏ちゃんがうちの軽音部入ってくれて本当嬉しい」
「エッいや、あの、まだ、入ると決めたわけじゃ……」
「そうなの〜? でも早いに越した事ないからさ、もう入ろ? ほらここに偶然入部届とペンもあるよ」
「ちょっ、なんでペン握らせるの?」
「ここに名前書くだけだから。何にも怖くないよ〜」
「力強! 相馬くん、見てないで助けて! 相馬くん!? 相馬ーー!」
「──すまん遅れた!!」
ベストタイミングでドアが開いた。
ギターを背負った高坂くんが私たちの姿を見て、戸惑いながら「闇金の差し押さえか?」とだけ言った。当たらずといえども遠からず、だった。



