「作詞作曲のうち、作詞から作曲の順番で取り組むことを詞先といい、作曲から作詞の順番で取り組むことを曲先と言います。初心者におすすめなのは、作詞から作曲を行う詞先です……さっきのサイトと言ってること真逆なんですけどー!?」
 後ろに倒れ込んで、大の字に寝っ転がる。
 つゆ子さんから借りたパソコンでネットサーフィンして、かれこれ二時間は経った。授業用に買ったキャンパスノートの余りで作った歌詞ノートは真っ新のままだ。
 つゆ子さんは出版社のお偉いさんとの会食があるとかで、朝早くに家を出て行った。5秒に一回は「行きたくねえ」と溢しながら。大人って大変だ。
 しばらく真っ新なノートを眺める。唐突にとんでもなくすんごいインスピレーションが湧き上がるわけもなく。
 ため息をついて身体を起こす。
 こういう時は、何事もまずやってみるしかない。

 3時間後。
「──ハッ!」
 夕暮れの防災チャイムの音で我に返る。知らぬ間に私はギターを手にしていた。普通にギターの練習をしてしまった。作詞ノートは相変わらず白い。だめだだめだ、取り敢えずワンフレーズでも考えなきゃ……っていうかそもそもどんなテーマの曲にすればいいんだろう? やっぱり売れ線のポップロックな感じ? ということは、王道の恋愛ソング? 応援ソング? バンドならバチバチハードロック? 
 あーやばい、考えれば考えるほど分からなくなってきた。
 
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「ふんふん。それで私のところに来た、と」
「……はい」
 渋々頷く。ライブハウス『ハルジオン』の控え室のソファでふんぞり返るブルマンのギターボーカル、小波さんはやれやれと言った感じに首を横に振った。腹立つ顔だけど、困っているのは本当なので何も言えない。
「私の誘いを断っておいて曲の作り方教えてくださいってそりゃ虫が良すぎませんかね〜? あーあ。どーしよっかな〜? 天才ギタリスト小波さん、どうか初心者の私に教えてくださいって言ってくれたら教えてやろっかな〜?」
「……さい」
「なぁんだって〜?」
 耳に手を当てて、身を乗り出してくる。ほんとこの人大人気ない。大きく息を吸い込み、今か今かと待ち侘びている小波さんの腕を掴んで引き寄せる。耳との距離、ほぼゼロで声を荒げた。
「天才ギタリスト小波さん、どうか初心者の私に教えてくださーーい!!」
「ドゥワーー耳壊れる!」
 小波さんがソファから転げ落ちる。ふん。ざまあみろ。
「マジ……次は覚えてろよ……」
「で。曲作りのコツ、教えてください。約束でしょ」
「このヤロ〜生意気な。ったく、えーっと、コツ、コツねえ……」
 よたよたとソファに座り直した小波さんが、顎をさすりながらぶつぶつと呟く。数秒ほど思案した様子だったが、うん、と声をあげたかと思うとあっけらかんと笑った。
「今まで曲作りで悩んだことないから分かんねえわ!」
「……(コイツ……)」
 私の理性がもう少しお粗末なものだったら、拳が飛んでいたかもしれない。
 頬杖をついた小波さんが、まるで理解できません、って顔をした。それはこっちの台詞だ。
「自分の言いたいこと曲にすればいいじゃん。難しくなくね?」
「……はあ、小波さんに聞いた私が馬鹿でした」
「はあ? なんだよ。文句あんの?」
「──なんの話?」
 背後から落ち着いたアルトの声がした。振り返ると、ブルマンのベース一条さんがペットボトル片手に立っている。
「立夏が曲作りで困ってんだってさ」
「ちょ、」
「曲作り? あ〜常盤高の?」
「……はい」
「大変だね。これあげる。飲みな」
 一条さんから差し出されたオレンジジュースを、私はありがたく受け取った。わざわざ買ってきてくれたらしい。そういうさりげない気遣いが荒んだ心に染み渡る。
「私の味方は、一条さんだけです……」
「あはは。大袈裟だなぁ。で、えっと、なんだっけ?」
「曲作り」
「はいはい。曲作りね〜。コイツ、参考にならなかったでしょ。全部フィーリングだから」
「はい」
「オイコラ」
「一番最初って、ハードル高いよね。良くも悪くもバンドの方向性を決めるというか」
 首がもげるくらい頷いた。
 一条さんはクスリと笑って、首を傾けた。耳につけたシルバーピアスが蛍光灯の光で鈍くと光る。
「まずは相手を知る事が、曲作りの第一歩じゃない?」
「相手を……」
 凪いだ瞳が私をじっと見ていた。まるで獲物の動向を観察する猫みたいに。私は前髪を整えるふりをして、すぐさま目を逸らした。
 相手を知る。自分の気持ちを言葉にする。
 どっちも私の苦手な分野だった。

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「やってみたい曲?」
 次の日の午後。
 たまたま廊下ですれ違った冬野さんに声をかけた。両手いっぱいの課題ノートを抱えて、危なげに歩いていた彼女から、半分ノートを受け取り同じペースで横を歩く。
「ん~、改めて言われるとなんだろ?」
「じゃあ、好きな曲のジャンルは?」
「ポップかな。アジカンとか、エルレとかよく聴くよ」
 オルタナ系か……アングラな感じの曲だったら、高坂くんの声にも合いそう。彼の不器用で真っ直ぐな声質に合う歌詞をそれっぽく書けば、きっとそれなりの楽曲が出来上がるはずだ。
 視線を感じて顔を上げると、冬野さんがじっと私の顔を覗き込んでいた。思わずのけぞる。水槽の中の金魚でも見つめているような無垢な瞳だ。相変わらず、距離感が近い。
「これはあくまでわたしの意見だから、あんまり気にしないでね」
 愛想笑いで頷く。心の中を覗かれたかと思った。
「わたしは、立夏ちゃんのやりたい音楽をやるのがいいと思うよ」
 釘を刺された、のだろうか。知り合って間もない彼女の本心は、うころ雲のように掴みどころがなくて、何も読み取れない。
「……そういうのは別に、なくて」
「そうかな~? わたしは、立夏ちゃんのギター聴いたとき、思ったけどな」
「何を?」
 冬野さんが、私を指差した。
「ここが叫びたがってる、って」
 ネームプレートの辺り──心臓の真上を、人差し指が、とんとん、と2回叩いた。