「手出しはせぬ方がぬしの為じゃぞ」
目の前の異形を見据え、そう言ったリブロジは俺の前へ出ると、振り向かないまま言葉を続けた。
「この異形、牛破はわしと同じ“叫びの能力”を持っておるからの」
村に突如襲来した巨大な異形。
その姿を見た瞬間、まるでそれを予期していたかのように冷静に武器を構えるリブロジに、俺は小さく息を吐いた。
さきほどまで泣いていたやつのセリフとは思えないな…。
異形襲来の寸前までボロボロと涙を流していたリブロジの姿を思い出す。
その涙はなんの前触れもなくあまりにも突然で、本人の意思とは無関係のようだった。
くしくも覚えのあるその感覚と光景にすぐに俺は理解する。
(由羅ちゃんがやったのか…)
いつの日か、俺の中の異物を解放してくれたその時と同じように、リブロジの事をいまこの瞬間、解放してやったのだろう…。
あの時の暖かな由羅ちゃんの光をこいつは感じているのか…。できることなら、俺ももう一度あの暖かな光を感じたいものだ。とさきほどは思ったものだが、まさか異形まで来るとはな。
しかし、ついこないだまで仲間として過ごしていた異形を、はたしてコイツにどうにかできるものなのか?
洗脳されていたとはいえ、その間の記憶を失ったわけではないだろう
異形と共に過ごした記憶はあるはずだ。情が残っていても不思議ではない。
リブロジには異形を消すことはできないかもしれない。と浮かんだひとつの可能性の予防線を張るように腰の剣に手を添えた
「加勢はするさ」
リブロジに並ぶように一歩前に出た俺に、リブロジが僅かに目を細めたのが視界に入った時「ヴォオオ!」と吠えた異形の叫びで俺の体がビシリと固まった。
(しまった…。)
この感覚は二度と味わいたくなかったのに…。と奥歯を食いしばる。金縛りのように動かない体がびりびりと震えだした
「だから言うたじゃろ」
停止する俺の前を、片眉をあげてわざとらしく歩くリブロジに、俺の口元がひくついた。
「心配はいらぬ。さきほど感じた暖かな光と目の前の悲しき異形と、どちらを優先すべきかなど…語るに及ばぬほど分かり切っておる事じゃ」
その大鎌が、襲ってきた異形の鋭く大きな角とガキンとぶつかった。力が拮抗しているのか、ズズズっとお互いの足が地面に轍を作っている。
「牛破…おぬしとわしの縁が、いま解き放たれ…おぬしの魂があるべきところへと帰ろうとしておる。悲しくも嬉しくも複雑な心地じゃの。…時がきたのじゃ。」
一瞬のことだった。
ギィンとはじいたリブロジの大鎌がそのまま振りかぶられ一閃、異形の体を二つに引き裂き
--異形の巨体がチリへと消えていく
「主の願いが叶うといいのう…。わしらはどこまでも力不足だったようじゃ」
風に流されるそれを見ながら、ツー…とリブロジの頬に涙が流れた時、俺の体の拘束が解かれ、動き出した自分の体に、俺は剣から手を離す
「…主ってのは、猫魔の事だろう?猫魔の願いとはなんだ?」
「わからぬ。ただ、叶うといい。と思うたのじゃ」
「……控えろよリブロジ。その発言は容認できかねるぞ」
ただでさえ曖昧な立ち位置なんだ。無用な発言はするな。と睨めば、リブロジが目を伏せたかと思うと俺をじっと見てくる
「…聡いぬしなら気付いておろう。もはや事はその段階ではない。」
「・・・なに」
「わしらの役目は終わった。どうにもできぬ」
由羅の選択を待つだけじゃ…。と呟いて、ドサリとその場に腰を下ろしたリブロジは自分の頬に残る涙の跡を指で拭う
「どうやらわしの役目は、主(あるじ)と時成を“運ぶ事”だったようじゃの。」
「…運ぶって、どこにだ」
口にだした疑問に見上げてきたリブロジの鋭い目が、“わかっているだろう”と問いかけてくる…。少しだけ目を逸らし、大きなため息を吐いた俺はぐいっとリブロジの腕を掴んだ。
「休む暇はないぞリブロジ。被害の確認がまだだ。」
働け新人。と片眉をあげて見下ろせば、リブロジの口角が僅かに上がったような気がした。笑った顔は初めて見たな。
ゆっくりと立ち上がるリブロジを見ながら、自分の心に問いかける。
リブロジの言うように、もはや自分の役目というものが終わっているのだとしたら、俺はどうするべきなのか…。
リブロジの役目が『運ぶ』事なら、俺の役目はなんなのだろう…。
何故か頭に思い浮かぶのは、かつて自分がこの手で滅した犬神の姿。
なぁ、犬神よ…。と問いかけようとして、ばかばかしいと頭を振った。
自分の役目は自分で決める
終わってなどたまるか。
