「ね、ねぇ何これ!ナニコレ!涙が止まらない~!それに、気持ちが怖いのか嬉しいのかよくわからない~!」
時成様と由羅さんが応接室から地下室へといなくなってから、数分後の事だった。
あまりにも突然にナス子さんが大量の涙を流しだし動揺する様子に、話を聞けばそれは自分にも身に覚えのある感情だった。
「ナス子さん落ち着いて。今あなたの中に由羅さんの光を感じるはずです…。」
「へ…あ。…本当だ…?」
「身を任せて大丈夫です。受け入れてくれます」
ボロボロと涙を流しながらも、俺の言葉にナス子さんがゆっくりと目を閉じた。
その時だったーー…。
ーガシャァァアアン!と玄関の方から大きな音が聞こえ、聞こえてきた町民の悲鳴に、反射的に体は動き、武器を手に外へと駆け出した。
「ビィ!ガァガァ!」
「異形…!」
そこにいたのは大きな無数の翼を持つ黒い鳥の異形。トキノワの玄関を破壊し、俺と目が合ったかと思えば、天高く頭上へと飛びあがった。こちらをじっと見つめ、空を旋回するその異形を睨みつけていれば、同じく外に駆けだしてきたナス子さんが、ドサリと腰をぬかしていた。
「あ、う…嘘…!」
ガタガタと震えだし怯えるナス子さんの視線の先に、大きく丸い体を持つ猪のような異形が見えた。
(なんだあの異形は…)
頭上にいる鳥の異形は何度か見た事はあるが…あの猪のような異形は見たこともないし、聞いたこともない…。
その大きな体には、鋭い角と牙が6つあり、足も6本ある。
こちらを静かに睨むその異形を見てナス子さんの顔が絶望に歪む。
「や、やだ…あの時の、異形だ…!」
あの時とは…ナス子さんがアネモネさんと共に襲われたという10年前の事だろうか…。
だとしたら、あのナス子さんがここまで怯えてしまうのも納得がいく。
当時を思い出し恐怖にすくむナス子さんの前に進み出ると、俺は武器をかまえた。
(まずいですね…)
この様子では、ナス子さんを頼るわけにはいかないし、俺ひとりで異形二匹を相手にできるかどうか…。
決して得意でも長けているわけでもない自分の戦闘力で、どうにかできるか。と頭の中にあらゆる戦略を渦巻いていく。
あの丸い異形に関してはなんの予測もつかない上に、今にも突進してきそうなその迫力に、自分の頬にひやりと汗が流れたのが分かった。
ーパキ。とガラスを踏む音に、視界の端に、壊れたトキノワの玄関から由羅さんと時成様が出てくるのが見えて、慌てて叫んだ。
「二人とも中に避難していてください!異形が二体出現しています!できるかわかりませんが、なんとか追い払いますので」
ぐっと武器を握り直し、まずはやっかいそうな猪の異形から、と駆け出そうとした俺を「サダネ」と時成様が呼び止めた。
「時は来た。“不殺の規則”は今この時、終わったものとする。」
「え…」
「追い払うのではなく、消滅させなさい。」
サダネの相手はあそこだよ。と空を指差した時成様に俺は一瞬目を丸くさせるも、すぐさま頷き頭を下げた。
迷い考える必要はない。時成様が言うのならば、それは絶対の事だ。
トキノワの屋根にかけ上がり見据えるは、こちらをじっと見ながら飛ぶ鳥の異形。
自分の武器である鉄の棒の真中に力を込めれば、それはパキリとふたつに分かれ、その中に収納されていた鉄の糸を取り出していく。ピィィと伸ばした鉄糸の先端には、釣り針のようなかえしがある杭がついている。
ひゅんひゅんとそれを頭上で回し、鳥の異形へと狙いを定めた。
やれるものならやってみろ。といわんばかりに、複雑に素早く動く鳥の異形を、俺の目は瞬きさえ忘れ捉え続けた。
どんなに速く動こうが、距離をとろうが
この俺の“目”からは、逃れられはしない…。
ーバシュと放ったそれは空を裂き、勢いよく鳥の異形へと突き刺さった。つながった紐を手繰り寄せ、とどめの一撃をその体に貫けば、シュゥゥと音をたて消えていく…。
その鳥の異形の目が最後のその時まで、じっとこちらを見つめていた事に、言葉にできない虚しさが、俺の中にあふれた。
なんだ…。この異形は…
まるで俺に消される事を望んでいたかのようだ…。
(いや、きっと気のせいだ…。)
異形にそんな感情があるはずがない。と余計な思考を振り落とし、もう一体の異形と対峙しているだろう時成様達の元へ急いで戻った。
気配がない事から町民たちは無事避難したようだ、と安堵しながらトキノワに戻れば、玄関前に佇み、キセルの煙をふかせる時成様が見えた。
その奥では由羅さんがナス子さんに寄り添っている。何か話をしているようだけど、今まさに突進してこようとしている猪の異形に(まずい)と駆け出そうとした俺を再び時成様が呼び止めた。
「サダネはここにいなさい。」
「う…は、はい…。」
にっこりとどこか怪しい笑みで言われ、俺はその場に立ち留まった。
ーーー
(…ぁ、あぁ、あぁ…!)
体の奥底からわきあがる恐怖とトラウマがこんなにも強いものだったのかと、改めて気付かされる…。
10年の間、一度も相まみえることのなかったその宿敵。大きく丸い体を持つその恐ろしい異形。私とアネモネを襲った仇…。
恐怖にすくみ、地面に座りこむ私の体を何か温かいものが包んだと思えば、由羅ちゃんが私を抱きしめていた…
「大丈夫!大丈夫ですよナス子さん…。」
「ゆ、由羅ちゃ…」
「ナス子さんにある異形の塊は消し去りましたから。ナス子さんはもう異形に縛られてなんかいません。もう怖がらなくていいんです」
由羅ちゃんの言葉にハッと思い出す。そうだ…。たしかにさっき由羅ちゃんを感じて、不思議な感覚を味わった…。悲しいような嬉しいような…。
由羅ちゃんが私の中にある何かを消して私を解放してくれたような感覚…。
「アネモネさんも、もうすぐ目覚めますよ。ナス子さん」
にっこりと優しい由羅ちゃんの笑顔に泣きたくなった。
自分の中に堅く固まっていた何かが優しく解されていく心地に、恐怖にすくんでいた体が動きだす…。
由羅ちゃんが教えてくれた未来を見るには、過去の清算をしなければならない。
後悔と恐怖におびえている過去の自分と別れを告げなければ…!
「ごめん由羅ちゃん!もう大丈夫!」
もう守られるだけの私ではいたくない。今度こそ大切なものを守れる自分になりたい。
見ててね、アネモネ、由羅ちゃん。
由羅ちゃんを見れば、自然と自分の顔が笑顔になっていくから不思議。暖かくて、優しくて、柔らかくて、愛しいから、とても不思議。
ードンッと大きな地響きに、異形がこちらに猛スピードで突進してくるのが見えて、私も数歩前に出る。
ス、と片足を後ろに下げ、片手を前にやり半身で構えをとった。
その異形の鼻先が目先に迫った瞬間、全身全霊で踏み込んだ私の足が地面にズンとくぼみを作った。己の拳に力を込めれば、言い知れぬ高揚感がわいてくる。
(あぁ、凄い…)
今なら私、なんでもできる気がする。そう思った時にはもう、異形に対する恐怖など微塵もなく…
「はあっ!!」
勢いよく突き上げた私の拳が異形の体に綺麗な風穴を作っていた。
「グギャァ、ア…」
悲痛な声をあげ、目が白くなっていく異形は、シュウシュウと音をたてやがてチリへと消えていく。
それを背景ににっこりと由羅ちゃんに振り向けば、目を丸くして腰が抜けたようにへたり込む姿が見えて、頬が緩む。
由羅ちゃんが可愛くて愛しくてどうしようもない感情が襲ってきて、思わず飛びつき抱きしめれば、また私の頬に涙が伝った…。
「由羅ちゃん大好き~愛してる~!」
あなたの元にかえるこの時を、ずっと前から待っていた気がするのは、気のせいかな…?
