「異形の目撃情報が多発しすぎて、対応がまったく追いついていません」
ミツドナから帰ってきた翌日。
時成さんの予想通り、嵐の前の静けさが終わったとばかりに、状況が一気に慌ただしくなった。
トキノワの応接室で苦々しい顔で報告するサダネさんに時成さんがポツリと呟く。
「結局と、時間が足りなかったね。」
それは、浄化の力の強化がもう間に合わないという事だろうか…。
えっと…そうだと、どうなるんだっけ…?現状をゲームで例えるのなら、いまはラストバトル前のようなものだから…こちらの準備が間に合わなかったということは、もしかするとこのままだとバッドエンド的なものになってしまうの?
え?私の浄化の力が足りないせいで?いやそんなのダメでしょう…。
顔面蒼白で絶望する私の顔をちらりと見た時成さんが「大丈夫だよ由羅。」と私の頭に手を置いた。何がどう大丈夫なんですか。時成さんの大丈夫は信用ならないんですよ。
半泣きでジトリと時成さんを睨んでいると、事務室からパタパタと慌ただしくこちらに駆けてくる足音が聞こえてきた。
「フダツの村でも二体出現しました!キトワさんとナズナが対応に向かってます!」
スパンと応接室の戸を開けると同時に報告したナス子さんに、サダネさんの顔がさらに険しくなった。
机に広げている地図には、異形が出現した土地に印がつけられている。ナス子さんの報告によってそこにさらに新たな印がつけられた。
現在、地図にある印は4つ。それぞれ二人ずつトキノワの皆が出動しているので、残っているのは、今ここにいるサダネさんとナス子さんと私、それと私の隣でキセルをふかす時成さんだけだ。
「これほど同時多発するのは10年前以来だね」
「…一体何が起こっているのでしょうか。」
「やっぱりリブロジを取り返そうとしているのかな~…」
ポツリと呟いたナス子さんの言葉に目を伏せる…。
異形が突然暴れだした理由、リブロジさんを取り戻すため、というわけではない気がする…。
「それか単純に、異形を牛耳ることのできたリブロジがいなくなって、猫魔だけでは異形達を制御できなくなっているのかもしれないね」
「え、でも…猫魔は異形達のボスなんですよね?普通ボスのいうこと聞くものでは?」
「どうかな。由羅も私のいうこと聞かないだろう?」
「…」
にっこりと胡散臭い笑みを浮かべた時成さんに押し黙る。私的にはずいぶんということ聞いてるつもりですが…。と反論できないのは何故か時成さんから圧を感じるからだ…。何故…。
少しだけ不服な顔をする私の隣で「ただの残留思念に、ボスは名ばかりなのかもしれないね」と言うと時成さんはソファから立ち上がった
「由羅、おいで。準備をはじめよう」
「え?」
サダネとナス子は待機。と静かに告げた時成さんは、応接室の押し入れを開けると、そこにある隠し戸を開けた。そこから地下へと続く階段が現れ、この世界に来て間もない頃、そういえばこの地下室へ行ったなぁ、と懐かしくなる。
振り向かないまま、階段を下りていく時成さんについていく。いまだなんの説明もないままだけど、準備ってなんのだろうか…時成さんはなにか打開策でもあるのかな…。
相変わらず少し埃くさいそこに、ろうそくが灯り、時成さんが木箱に腰をかけたかと思うと、私に手招きし、隣に座りなさいと促される…。
木箱といっても大人二人座れるほどの余裕はなく、否応なしに密着するその距離に、そっと視線を逸らした。
「さて、いつもいつも説明不足だと文句を言われるからね。そうなる前に、由羅の質問に答えようか」
「あ、自覚あるんですね。」
ようやく自分の説明不足を反省したのか。と時成さんを見れば、にっこりと胡散臭い笑みがろうそくの火で微かに揺れていた。
「…質問の、時間の猶予は、どれほどですか?」
「わからない。だけど、できうる限り時間の理を歪めてみよう」
由羅の質問に全て答えるよ。と優しい笑顔を見せた時成さんに、少しだけ泣きそうになる。
この人は、随分と…人間らしい表情をするようになった…。それが心の底から嬉しいと感じるのに、時成さんが人間らしくなるほど、消えてしまいそうで何故かとても怖くなる…。
ぐっと下唇を噛んで、私は時成さんを見つめる…。
「今、なにが起こっているんですか…?」
「正確には私も分からないけど、おそらく異形の暴走が起こっている。猫魔には異形を束ねるだけの力がないのだろう…。残留思念が弱まっているのか、もともとその力がないのかは分からないけどね。」
「…リブロジさんがいないから…?」
「そうだね。今まではリブロジを通した猫魔の指示で動いていた異形達も、現在の暴走するその動きはそれぞれの意思からのようにも見える。」
「いま起こっているこれが、アネモネさんの言っていた『時が来た』という事なんですか?」
「そうだと思うよ。その『時』とは、『異形が猫魔からの支配を解かれた時』なのだと私は思っている。だから今この時が、異形を倒す唯一の瞬間だとね」
「異形を倒し、猫魔も倒したら…世界の歪みは消えるんですよね?」
「うん」
「その時は、同時に私の中の光も消滅し、それとつながっている時成さんも、消えてしまう…」
「そうだね。」
「……時成さんは、消えることを、望んでますよね…?」
「…そうだね。」
僅かに眉を下げ、小さく微笑んだ時成さんに、私の頬に涙が伝う。ずっと感じていた予感が見事に的中したけれどまったく嬉しくはない…。
「……どうして、ですか…」
「…どうしてだろうね」
…ほら、答えてくれないじゃないですか。
いつもいつも肝心な質問に限って、きちんと答えてくれたことがないんですよ、あなたは…。
「時成さんの生きる未来がどうやったら叶えられるのか、教えては、くれないんですか…?」
ずっと考えていた…。
時成さんが消えてしまう未来を知ってから、ずっと…。
だけど私にはわからない…。
ポタポタと流れる涙をそのままに、見上げた時成さんの顔は優しく微笑んでいるだけで
その顔が、答えを教えてはくれないのだと告げていて、奥歯を食いしばる…。
「消えてほしくない…。一緒に…いたいです…。」
絞りだすように懇願すれば
時成さんの手が私の背中に行き、そっと私の体を優しく包み込んだ。
触れたそこから伝わる温もりのせいで、涙が止まってくれない。
