「浮気者」
「へっ!?」
熱も下がり元気になった私が時成さんに会いにいくと
私の顔を見た瞬間、時成さんがポツリと呟いた言葉に何故かギクリと私の体が跳ねた。
「な、なななんですか急にっ!?」
隠しきれていない動揺を露わにしながら聞くと、時成さんはキセルの煙を吐き、じっと私を見つめてきた。その目はどこか探るように細められている…。
「…さきほど、この旅館でちょっとした修羅場があってね。客の男が浮気相手とここで逢瀬しているところに妻がのりこんできたらしい。」
「へ、へぇ…」
「たまたまその場にいた私に、なんとかしてくれと旅館の者が言ってきてね」
「えぇ、時成さんに色恋なんてものがわかるとは思えないのに…。無茶ぶりですね」
「まぁ…否定はしないよ。手こずったのは事実だし…結局と三人で話し合うと出て行ってしまったからね」
小さく息を吐き、コトリとキセルを座卓に置いた時成さんは「さて」と立ち上がると扉の前に立つ私にゆっくりと近づいてきた。顔ににっこりと胡散臭い笑みを貼り付けている時成さんになんだか嫌な予感がする…。
「聞くけれど、さきほどの由羅の反応は何かな?私になにか隠している事でも?」
「え、そ、そんな事な、ないですよ」
「…その反応は肯定していると同義だよ由羅。諦めなさい。由羅は隠し事には向かない性格だからね」
じりじりと詰め寄ってくる時成さんに部屋の隅まで追い込まれ、トンと壁に手をつかれれば、四方を囲まれ逃げ場がなくなる…。
少しでも動けば、触れてしまいそうなその至近距離に、私の顔がじわりと赤みを帯びたのが自分でもわかったけれど。
どうしてこんな尋問みたいな事をされているのかは、さっぱりわからない…。
「由羅はなにか私にやましい隠し事でもあるのかな?」
どこか怖い笑顔を浮かべ聞いてくる時成さんに私はポカンと口をあけた
(やましいかくしごと…?)
頭で時成さんの言葉を反復すれば
思い浮かんだのは今朝方、ナズナさんにおでこにキスをされた事だった…。
いやだけど、はたしてそれが時成さんの言う“やましい隠し事”にあたるのかは甚だ疑問だし…。わざわざ時成さんに報告する事でもないし…?
「なにも隠してません」
少しだけ首を傾げながら言い切れば、時成さんはグイッと私の顎を掴み
さらに距離をつめてきた。
「思い出してみなさい。由羅が熱に侵されている時だよ」
胡散臭い笑顔をひっこめ、真顔でじっと見つめてくる時成さんが少し怖い。
近すぎる距離にドキドキするよりも恐怖の方が勝りだした
時成さんが一体何を言っているのかわからない…。
私が熱の時?昨晩の事だよね?
特に思い当たることはないんだけど…と必死に頭を捻る…。
「…あ。な、ナズナさんと共鳴はしました…?」
絞りだすように告げれば「それはとうに知っている」と時成さんは答えた。…でも。じゃあ、あとは何…?と軽く混乱している私を見て、時成さんはしばらくの無言のあとスッと私から離れた。
そのまま座椅子に座り、項垂れるように片手で頭を抱える時成さんに、どうしたのかと近寄ると、そこから大きなため息が聞こえてきた
「時成さん…?」
「…少し…。自分に嫌気がさした。」
「え?」
「私はこんなにも幼稚な感情を持つ人間だったのかな…。」
どうしよう…何言ってるのかわからない…。
理解に苦しみながらも時成さんの前に正座をすれば、その目が私を見てくる。
僅かに細められたその瞳にドキリと胸が高鳴った。
恋心を自覚して一晩たった今。昨日ほどの動揺はないけれど、心臓がいつにもまして騒がしい…。そして何故だか時成さんが輝いて見えるのは、恋心故なのだろうか…
ぼんやりと時成さんを見ていれば、フッと小さな笑い声が聞こえてきた
「由羅」
「は、はい」
「今後はたとえ、熱に侵されていようが寝ていようが、決して隙をみせぬよう努めなさい」
・・・え。無理では?
だれしも睡眠中なんて無防備ですけど。と不満を表現するように顔をしかめた
時成さんはにっこりと胡散臭い笑みを浮かべると
少しだけ体を傾けて、私の唇をそっと指でなぞった
「っ…!?」
「特にここは、もう二度と触れられぬようにね」
ボフンと真っ赤になった顔でズザザザッと後ずさり、距離をとった私に、何故か満足気に時成さんは笑い、キセルに火を灯しだした。
「に、二度とって…」
いや、私のファーストキスは時成さんに無理やり奪われてるんですが…
その責任はどうお考えなんですか!?と頭の中で叫ぶ。
リブロジさんの過去を見せるためだったとしても、キス意外に方法はなかったのか…。
「キスの理由は、聞いてもいいんでしょうか…」
膝の上に作った拳をぎゅっと握り、俯いてちいさく聞いた私の問いに、
キセルの煙を吐く音のあと「あぁ」と時成さんは思い出したように答えた。
「あの時はああするしかなかったからね。光を通せば交信と同様に私の持つ映像を由羅に見せる事ができる」
「き、キス意外に方法なかったんですか?」
「ない事はないけど、あの時の私は瀕死だったし、映像を共有するには由羅にも集中してもらう必要があった」
「集中?」
「その頭を私の事だけにする必要があったんだよ」
「……。」
(たしかにキスされて頭は時成さんで埋め尽くされたけど…)
あまりにも事務的に説明する時成さんに、グサグサと私の心にナイフが突き刺さる。
なんだか無性に腹が立つ…。それに悲しいし、むなしい…。
まぁでも分かっていたけどね…
時成さんにとって私とのキスなんてそこらへんにいる猫とかにするのと同義なのだろう。
そこに特別な感情なんて一切ないんだ…。
少しでも期待した私がバカだった。
キスの理由なんて、聞くんじゃなかったな…。と、ため息をはいた。
「だけど、舌を使う必要はなかったかもしれないね」
「へ?」
「それは私情でしかないから、由羅には申し訳なかったね」
フッと小さく笑みを浮かべ、ポツリと呟いたその言葉を私の頭が理解する前に、時成さんはキセルの煙を吐き「まぁでも…」と言葉を続けた
「由羅も、私に嫉妬なんて感情を起こさせたのだから、おあいこだよね」
揺蕩う煙の奥で、にっこりと笑った時成さんの言葉の全てを
理解しようと苦しむ私の頭が、だんだんと熱をもっていくのが伝わってきて…、もはや熱がぶり返しているのではないかと思うほど、私の顔は真っ赤に染まった…。
私情だとか、嫉妬だとか…。
そんな期待させるような言葉は、やめて頂けないでしょうか…。
