本当に誰にも見つからずにきてしまった…!
たどり着いた旅館の屋根に立ち、時成さんの部屋の窓を目の前に、私はシオ君に頭を下げた
「シオ君!本当に本当にっありがとうっ!」
「いいえ、お役に立てたなら幸いです。」
にっこりと天使のような可愛いらしい笑顔を浮かべ、シオ君はぺこりとおじぎをした。
さながら執事のようなその振る舞いに、シオ君が次期国王様であることを忘れそうになる
「では、由羅様。失礼します」
「うん。あ、私がここに来たこと内緒にしてね」
承知しております。とふわりと笑い、ぴょんとシオ君は屋根を飛び降りた。軽やかに屋根を伝って去っていくシオ君はあっという間に見えなくなってしまった
忍者も顔負けの身軽さと身のこなしはあらためて人間技ではないなと確信する。
この国の次期国王様は凄い人だ。その可愛さと逞しさはきっと国民に愛され信頼される。シオ君ならその能力と同じように、国を更なる高みへとつれていってくれるだろう
淡い期待に胸躍らせながらも、いつまでも屋根の上にいるわけにはいかないので、窓に手をついて中の様子を伺う。
見えたのはガランと誰もいない部屋の中
(時成さんは、まだ屋根裏にいるのかな…)
窓を開けて、人の気配も物音もなしと確認してから靴を脱いで中に入った。
ふわりと時成さんの匂いが残るその部屋を見渡し、部屋の奥へと向かう
奥角の天井から屋根裏への梯子を下ろすための紐を手に取ろうとしたところでピタリと手が止まった
「…紐がない?」
それどころか、屋根裏への入り口戸がもうない…!
確かにそこにあった筈なのに、あるのは、ただの地続きの天井板だけ…。
な、なんで?なにこれどういうこと!?
椅子やらテーブルやらを重ねて脚立もどきを作り、なんとか天井に手が届くまでになって、拳を握りドンドンと叩いてみるも何も変わらず、すこし埃がおちてくるだけ…
…屋根裏の存在自体が、あとかたもなく消えてなくなっている…
でも待って。じゃあ時成さんは?一体どこにいるの?屋根裏にいる予定だと、言ってたじゃないですか……。
どういう事なのかさっぱりわからない…。
時成さんに何があったのだろうか…
困惑と心配と不安でぐしゃぐしゃになった頭が思考を停止して、力が抜けたようにその場にペタリと座りこんだ
愕然とする私の視界にふと、時成さんがいつも座っていた窓際の座椅子が映る
そうだ…いつもここに座って、キセルの煙をはいて…胡散臭い笑みで、にっこり笑っていた、のに……
(ちょっと…やめてよ。本当にどこに行ったんですか?)
勝手に、消えたりとか…してないですよね…?
そんなこと絶対に、許さない…!
じわじわと熱くなる目頭から涙が溢れてきそうになった時、座椅子の下に一枚の紙が落ちていることに気付いた
メモ紙のようなそれに手をのばし、掴んでたぐりよせその紙に視線を落とせば
そこには『由羅へ』と書かれていて目を丸くする
まるで寝ぼけながら書いたのかとツッコミたくなるほどへろへろな拙い文字たちに
昨夜の満身創痍になっていた時成さんの姿が浮かぶ…。
きっと気絶する直前、意識も定まらない極限の状態で文字を書いたのだろうことが分かって、また目頭が熱くなった…
グイッと目を擦り、一体なにが書いてあるのかと視線を下に落とす
『ここに来たということは脳みそつるつるな由羅らしいと思うのだけど、私のことより優先すべき事があるだろう?その頭をもう少し働かせてみてはどうかな』
文章でも相変わらずの物言いに少しだけ紙をやぶきたくなった……。手紙でも時成さんは時成さんだ。文字を書くのもしんどい状態だろうに、何故こうもわざわざ遠回しで棘のある文章にするのか…
そこから更にヨレヨレになりだした文字に私の眉間に皺がよる
『最善だと思う事を成せばいい。私の事なら心配はいらない。必ず戻ってくるからね』
それはいつですか、時成さん…
時成さんより優先すべき最善のことってなんですか?
時成さんが見せてきたリブロジさんの映像と関係があるんですか?いま、どこにいるんですか?どんな状態ですか?回復はできてますか?
何をどうすれば、貴方が戻ってこれるのか、もっと簡潔に、教えてくださいよ…
「本当に…いい加減な人ですね…」
不安や疑問に思うことはたくさんあるけど、最後に書かれた一文のせいで、ついに私の頬に一雫の涙が流れたーー。
『私は由羅を信じている』
ーーあぁ、もう本当に、この人は…
毎度思うけど、その根拠のない自信はどこからくるんですか…。
……わかりましたよ。時成さん
あなたが何を考えているのかも、どういう状態なのかもわからないけど…
仕方ないから、私もあなたを信じてあげることにします
あなたが信じてくれた私が、きっとなんとかしますから。必ず、戻ってきてくださいよ…
「約束ですからね」
屋根裏を見上げて呟き、立ち上がると私はくるっと体を反転させた
涙を拭い、気持ち新に意気込んで、部屋から出ようと戸に手を伸ばしたはずなのに、スパンっと戸が勝手に開いたせいで、手が空を切った…
目を瞬かせていれば、開いたそこから眉間に深く皺を刻ませたトビさんが私をジトリと見据えている
その額には大きな青筋があり、ひぇ、と私は思わず一歩下がった
「由〜羅ぁ~、ようやく見つけたぜぃ~」
「ど、どうしてここが…?」
マーキングされた頬はちゃんと拭いたのに…!
「シオになにか入れ知恵されたみてぇだけどなぁ、マーキングがキスだけと思ったら大間違いだぜぃ。なんなら今すぐにでもその体中に施してやらぁ」
「え、わっ!ちょ、〜〜っ!」
まるで猛獣の目をしたトビさんにガバッと抱きしめられて、声にならない悲鳴をあげれば
ーーゴンッとトビさんの頭にそこそこ大きな岩が落下し、トビさんが白目を向いて倒れた…。いや、…え!?
「もうトビさん〜!由羅ちゃんが怖がってるでしょ~!」
「野生に還りすぎっすよ!」
もう狩りは終わりましたよっ!と注意するイクマ君の声は、岩に埋もれ完全に気絶しているトビさんには届いていない…
それをした犯人であるナス子さんは私の顔の前にピっと人差し指を立てると、すこし不機嫌そうに説教を始めた
「こらっ!由羅ちゃん!もうすこし自分の立場をわきまえなさい~!鬼ごっこは確かにちょっと楽しかったけど!もう二度と許さないからね~!」
本当に心配したんだから〜!と頬を膨らませるナス子さんに私は素直に頭をさげる
「すみません。ご迷惑ご心配おかけしました」
「…許してほしかったらぁ~、一緒に湯屋に行って~由羅ちゃんのその柔肌を流させてもらーー」
「ナス子さん鼻血出てるっすよ」
げへへと涎と鼻血を垂らしてなにやら妄想しているナス子さんの言葉を遮り、イクマ君はドン引きの視線を向けていた。
私は小さく笑顔を浮かべながらも
時成さんの手紙を、大事に懐にしまった
待っててくださいね、時成さん
必ず成し遂げてみせますから。
