突然すぎるキスは、時成さんの血の味がした。
息継ぎすらままならない酸欠寸前の頭の中は、時成さんの事でいっぱいだったのに、まるで白い紙にインクを落とされたように無理やりにじわじわと別の何かが頭に広がっていく…
拒みたいのに拒めないそれは次第に私の頭の中を全て覆ってしまったーー
ーーそれは、とても断片的でところどころモヤがかっていて、音もノイズまじりでよく聞こえない。擦り切れ劣化したビデオテープの映像のようだった。
森の中のような木々が生い茂った場所。そこに見えた二つの人影に私は目を凝らす
(リブロジさん…?)
二つのうちの一つは子供のころのリブロジさんだ…
今の姿からは想像がつかないほど柔らかな表情と笑顔で、背の高い男性と何かを話している…
その男性の顔はよく見えない。だけど濃い青がかったその髪は時成さんにとてもよく似ている
(この映像はなに…?)
時成さんは私に何を見せているのか…
これが何か、リブロジさんのハートを増やすのに必要なものなのだろうか
ぐるぐると考えていれば、時成さんに似ている男性が突然グニャリとその造形をゆがませ人の姿から猫へとその姿を変化させた。
その猫は、つい先ほどまで目の前にいた猫とまったく同じだった。
窓をひっかき、リブロジさんと共にいたあの猫だ…!やはり普通の猫ではなかったようだ。
幼いリブロジさんは目の前で突如変化したそれに驚いたのか、尻餅をつき、怯えている。
恐怖に震えるリブロジさんに猫は近寄るとリブロジさんの膝に立ち、その額をリブロジさんの額とピタリとくっつける
それが触れた瞬間に、頭が何かにはじかれたようにガクンと揺れ、リブロジさんは気絶してしまった。
(っ…!)
ただ映像を見ているだけの私にどうする事もできないのに、気持ちが焦るのはどうしようもない…。暫くしてリブロジさんは目が覚めたようだったけど…何かがおかしい…。リブロジさんのその顔つきがさきほどまでとは明らかに違っていた…
目は虚ろになり正気がない…力が抜けているかのようにふらふらと立ち上がるその様子に猫に何かされたのだと理解するには十分だった…。
そのまま幼いリブロジさんは猫と共に森の奥へと消えていき、私の眉間に皺が寄る
(洗脳して…連れ去った…?)
目的はわからない。でもこれは明らかに誘拐だ。
何もいなくなったその場所に、精根尽き果てた様子でふらつき歩く一人の女性が現れ、その場に崩れ落ち、嘆き泣く姿が見えた。とぎれとぎれの音の中で何度もリブロジさんの名前を叫んでいる…。
きっと母親なのだろう…。いなくなった我が子を一体どれだけ探したのか、体中泥や傷だらけでその女性はずっと泣いていた…
もしかしたらこの母親はいまでも、リブロジさんを探しているのかもしれない…。そう思った時、ープツン。と映像は途絶えた
頭の中のもやが晴れていくと同時に、深い水中から浮上していくような感覚がした
「っはぁ、はぁ、はぁ…!」
水中から顔を出し、ずっと止まっていた酸素を必死に取り込むかのように息を吸い込めば
いつのまに起こした体に、自室の布団に寝かされていたのだと気付かされる。
(え?)
窓からは朝日が差し込み、あれから数時間と経っていることを告げている
なんで?いつのまに寝ていたんだろうか…時成さんは…?
………夢ではない。
リブロジさんが来たことも、時成さんにキスされた事も、さきほどの映像も…なにもかも現実だ…。
だって部屋の戸が壊れているし、私の首に包帯が巻かれている。リブロジさんの鎌が食い込んだ傷を誰かが手当してくれたのだろう…
さて、まず…やるべきことはなんだろう…と私は必死に冷静さを手繰り寄せる
こうでもしないと、時成さんにキスされたって事実だけで、頭が埋め尽くされ、何も考えられそうにない…
あの人が何故キスしてきたのかなんて私が考えてもわからない…
たとえそれがあのリブロジさんの過去の映像を見せるための手段だったとしても…納得できないし文句も言いたい…。だけど落ち着こう冷静になろう…
そりゃ最近はトビさんやキトワさんとかゲンナイさんも、たまに手とか頬とかキスされることはあったし…照れはするけど、慣れてきたといってもいいけど…。
誰もいきなり口にするなんて人いなかったのに…ましてや、舌もいれてきたよねあの人……。
(……もう少し、甘いものだと思ってたな…)
血の味のキスは、とても忘れられそうにない…
どうしてくれるんですか時成さん
ーーー
時成さんのものであろう血がついた寝間着を脱ぎ、朝の身支度を終えて一階へと下りると、応接室にどこか疲労している様子のサダネさん達が座っていた
三人が囲って見ているのは地図らしきもので、何かを話し合う皆に私は「おはようございます」と遠慮気味に声をかける
私の顔を見るなり、三人は何故かほっと息を吐き、安心したかのようなその反応に私は小さく首を傾げる
「おはよう由羅ちゃん」
「また何日も目覚めねぇかと思ったよ」
「帰ってきたら、由羅さんが気絶していたので驚きましたよ」
…なるほど。随分と心配をかけてしまったようだ…。申し訳なさに謝ろうとすれば「待った」とゲンナイさんの手のひらが伸びてきた
「由羅ちゃん…今回俺たちは敵の接近を許し、ましてや体の動きを封じられ、時成様がいなければあのまま由羅ちゃんを死なせてしまうところだった…。自警団代表として、由羅ちゃんを守ると命をかけた者として不甲斐なかった…申し訳ない…!!」
「え、そんな…」
「申し訳ありません」
膝に手を置き深く頭を下げるゲンナイさんに続いてサダネさんまでもが謝ってきて私は慌てて制止する
「もとはといえばリブロジさんの予告をちゃんと覚えてなかった私のせいですから」
私が忘れてさえいなければ、きちんと迎え打つ準備もできていたはずだし、ほぼ自業自得のようなものだ。
それに結界なんてものが施されていたというのだから、皆が気付いてくれただけでも奇跡に近い。
「助けてくれてありがとうございました」と頭をさげると、何故かナズナさんから舌打ちが聞こえてきた
なんですか、と視線を投げれば「傷は?」と不機嫌に質問され小さく笑う。ナズナさんって心配すると、不機嫌になりますよね…。
大丈夫ですよ。と笑顔を見せれば無言で目を逸らされる。どうやらガキマインド発生中だ…
「時に由羅さん、時成様の行方がわからないのですが、何か聞いてますか?」
「もしや異形の元へ行ったのかと目星のつけてあるいくつかの場所へ今から向かおうとしてたんだ。」
机に広げてある地図をみれば、たしかにいくつか印がつけられた箇所がある。異形の巣があるのだろうか…
…もしかして、このどこかにさきほど見た、あの映像の場所があるかもしれない…
「時成さんは、心配ありません。少し休む必要があるみたいで、安全なところで回復しています」
私の言葉に三人各々心底ほっとしたと力が抜けたようにソファに凭れた
「良かった。あの人を失うかと思った・・・」
「しかしあの時成様が回復を要するとは、」
「でも確かに最近は体調もすぐれなかったようですし」
心配ですね…。と少し顔を暗くするサダネさんに眉を下げる
皆がどれだけ時成さんを大事に思っているのかが痛いほど伝わってくる
時成さんは屋根裏で養生している筈だから、今回の文句と…一応、助けてくれた御礼ついでに、様子をみてこようかなと、私が応接室を出ようとすれば
結構強めの力でガシリと、サダネさんに腕を掴まれた
「どこに行くんですか由羅さん?」
「へ?」
にっこりと笑みを作り聞かれた問いに言葉が詰まる。何故だろうか…なにやらサダネさんから圧のようなものを感じる…
「お前はもう一番危険な存在なんだって自覚しろよ。勝手にうろうろできるわけねぇだろ」
呆れたようにそう言って、ナズナさんがため息を吐いた時、背後に現れた気配に私は振り向いた
「そういうことっすね!」
「サダネさん達お疲れ様~ここからは私達におまかせ~!」
「護衛交代だぜぃ!」
一体いつのまに来ていたのか
イクマ君とナス子さんとトビさんが親指をぐっと立てて私にウインクを飛ばしていた
え、ちょっとまって。
これじゃ時成さんのところにいけないのでは…?
