「ぅぁぁああ…っ!」


 ナズナさんの傷に触れたその瞬間、ブワリと熱気と息苦しさが襲ってきた。
 まるで噴火している火山の中に飛び込んでいるような感覚がして、まともに息ができない。
 それと同時に、体の節々を握りつぶされているかのような圧迫感までも襲ってきて、苦しさと痛みに涙が滲んだ…


(これが、瘴気…!)


 今にも意識が飛びそうだし、むしろ飛んでほしいとさえ思うほどの苦痛に頭がおかしくなりそうだ…


「うぅ…!」


 だけど、ダメだ…!
 …ゲンナイさんも、ナズナさんも私よりもっとつらい瘴気に耐えてるんだから…!

 時成さんが言うように私に少しでもその苦しみを和らげられる可能性があるのなら…!
 私はそれに報いたい!


「っお願い…!」


 お願い、お願い!ナズナさんを助けたい…!


 ひたすら一心にそう願いを込めて、ナズナさんの傷に触れる手にグッと力を込めた時だったーー。
 ーーブワリ、ともう一度。今度は冷たい冷気のような風に包まれたかと思うと、その瞬間、私を襲っていた息苦しさも圧迫感も痛みも、なくなっていた…


 何が起こったのかわからず「あれ?」と私はパチパチと目を瞬く


「嘘、だろ…」


 皆の視線が私に集まっているのが分かって
 苦しみにもがくだけだったナズナさんがその体をゆっくりと起こした


「瘴気が、やわらいだ……?」


 信じられないものを見るかのように私を見るナズナさんの顔に、少しだけ生気が戻っていて…願いが通じたのだ、と私はほっと息をはいた


「良かった…なんとかな、っ…た…」


 安心したその瞬間、グルンと黒目が上を向いて意識の居所を見失い気絶しそうになる。

 あぁ、待って。まだダメだって…


「まだ、ゲンナ、イさ、…も…」


 フラフラとゲンナイさんに向かって手を伸ばしたところで、拒む私の意志を無視してプツンと私の意識は途絶えてしまった…

 倒れる体をドサリと誰かに受け止めてもらったような感覚と「由羅、良くやったね」と時成さんに褒められたような気がした





ーーー





 まだ、信じられない…

 あの女が触れた瞬間、体の奥底にまで侵食していた瘴気が和らぎ…
 痛みも苦しさもほぼなくなって、腕の傷から滲み出ていた黒い瘴気の霧はシュゥゥ…と音をたて消えていった

 他のやつらも驚きで固まっている中、あの女の体がフラフラとゲンナイの方へ傾いていく


「おい!どうした!」


 まさか瘴気が全部そっちに移ってしまったのだろうか、と焦って声をかけても女の耳には聞こえてないようで


 「まだ、ゲンナ、イさ、…も…」と小さく聞こえてきた言葉に目を丸くする


(コイツ…!)


 プツンと糸が切れたように倒れた女の体を時成様が受け止めて「由羅、良くやったね」と小さくそう呟くと時成様は女をソファに寝かせていた


「キトワさん連れてきました!」
「おまたせ!来たよ!どういう状況?」


 やってきたイクマとキトワに時成様は「後はよろしく」とだけ伝えて去っていくけど
 時成様を呼び止めて、説明を乞うこともできないほど自分の頭が混乱しているのがわかる


「ちょっと混乱しすぎて理解できねぇぜぃ…」
「俺もです…」
「同じく…」


 トビとサダネ、ゲンナイまでも目を丸くしたままで気絶しているあの女の顔をじっと見ていた

 そりゃそうだ。瘴気を和らげるなんざ、そんな所業、前例がねぇ…


「よくわからないけど、瘴気が酷いのはゲンナイかな?ナズナは少しで良さそうだ」


 薬を作るよ。と用意を始めたキトワの言葉に俺は慌てて叫ぶ


「ちげーんだ、キトワ!俺の瘴気がどうやらそこで気絶してる女に移っちまったかもしれねぇからまずソイツを…」
「え?移ったって…この子?誰か知らないけど…瘴気は感じないよ?寝てるだけだね」


 言われて改めて驚愕した。

 ハ?つーことはなんだよ。やっぱりこの女が瘴気を…
 あの異形の瘴気を、浄化したとでもいうのかよ…


(一体何者なんだ。この女…)





ーーー





 どうやら気絶してしまったみたいだ。

 目覚めて視界に入ってきた天井の風景を見てそんな事を一番に思った。
 だいぶ寝てしまっていたのだろうか…今は一体何時だろう…そういえばこの世界の時間の概念って私の知る世界と一緒?一日って何時間…


「……。」


 って、のんきに寝ぼけてる場合じゃない!とカッと目を開くと、ガバリと布団を放り投げて体を起こす


「ゲンナイさんの瘴気も…!」


 どうにかしないと!

 私の脳裏に、瘴気の苦しみに歪むゲンナイさんの顔が過った時だった
 寝ていた私の傍に座っていたらしいナズナさんと、パチリと目が合う
 え、なんでいるんだこの人…


「目覚めて開口一番に他人を心配だぁ?なんだそのお人好し、どこまで演技だお前」


 なんだか物凄く不機嫌そうだけど、眉間に皺を寄せるそのナズナさんの顔色はとても良さそうで、ガキっぽさも口の悪さもいつも通りだと私は深く息を吐いた。


「ナズナさん、いつも通りの感じに戻ってますね。安心しました」


 それは良かったんですけど何故ここに?私の部屋のはずですが、もしやずっといたの?
 もしかして私の様子を見てくれていた。とかするんだろうか、いやまさか。と考えていればナズナさんはそっぽを向きながらポツリと話し出した


「瘴気を浴びれば通常は、キトワの薬を飲んでも一週間は寝込むんだ。なのに今回俺は、一晩とたたず回復した」


 時成さんの無茶振りではあったけど役に立てたなら良かったと笑顔を浮かべた。
 本当に無茶振りだったけどね。せめてそうする前に説明がほしかった、と今でも思う。


「なんで…瘴気の浄化なんてこと、できたんだ。お前何者なんだ」


 眉間に皺を寄せ凄い形相で睨んでくるナズナさんに、私は平然と「え、知りません」と返事をする。
 私の返事に目を丸くした後ナズナさんは盛大に顔を顰め、納得いかないとばかりに畳に拳を打ち付けていた。ドンと鈍い音がして、畳がへこんだ。

 「自分の事だろうが!」と怒るナズナさんの声が大きくて、思わず耳を塞ぐ。
 こっちは寝起きなんだから少しは声のボリュームを落としていただけないでしょうか…

 それに私は時成さんにされるがままなのだからわからなくて当然だし、なんで瘴気の浄化なんてことができたのか…むしろこちらが聞きたい。いやもう本当に。


「…時成さんに聞いてくださいよ。特別私が何かしたとかの自覚はないです。私はただあの時は必死で“ナズナさんの苦しみをどうにかしたい”としか思ってなかったんで」

「…ハ?」

「はい?」

「っ…おま、……」

「なんですか?」


 ナズナさんの色白の肌がカァァと赤くなっていくのを見て、何故?と首を傾げる。

 え、なに怒ったのかな?それとも照れたの?…どっちにしてもなんで?

 何か変な事言ったかな。と俯いてしまったナズナさんと、その髪の隙間から覗く、真っ赤になっている耳をぼんやり見る。どうしようこれ…

 ナズナさんはしばらく無言だったかと思うと顔は上げないまま「お前の体調は、どうなんだよ」と小さな声で何故か怒気を含みながら聞いてきた。情緒大丈夫?