突然現れた白い鼠にキスをされ、激しく動揺しているのに、問答無用で脳内に広がる光景が私を更に混乱させる…。
この感覚には、覚えがあった。
かつて時成さんにキスされた時とまったく同じ感覚。あの時はリブロジさんの過去を見せられたんだっけ。
百聞は一見に如かずというし、こうなってはもう、それを見るしかないのだろう。諦めのような覚悟をして、脳内を満たしたその光景に意識を傾けた。
その瞬間にストンとどこかに降り立ったような不思議な心地になる。
自分の体は半透明ではっきりしていないのに、地面に立っている感覚はあって奇妙だ。
地面から前へと顔をあげれば、そこに映ったのは草木が生い茂る、先程まで私がいたはずの森の中で、わずかに土の見えるその場所で、青白い顔で目を閉じ、横たわる自分が、死んでいた。
「由羅ちゃん…!どうして…」
「そんな、いやだ……。由羅さんっ!!」
「由羅…、由羅…っ!このバカ女てめぇっ!ふざけんなよ!」
これは……、私が死んですぐの光景なのだろう…。
冷たくなっていく私の亡骸のそばで、サダネさんたちが泣き崩れている…。
悲しみと申し訳なさで、ズキズキと胸が痛い…。
見たことのないその三人の表情と涙を、そのままただ見ていることができなくて、伏せるように目を閉じて、ゆっくりと開いた時には、パッと目の前の景色が変わっていた。
突然景色が変わったことに驚く間もないまま、目の前に飛び込んできた光景に息をのむ。
ごつごつとした岩肌が目立つその場所でやっと人が1人通れるような小さな洞窟から出てきたのは、全身血だらけの時成さんだった…。
サダネさんたちがちゃんと見つけてくれたのだろう…。ゲンナイさんとサダネさんに支えられるようにして時成さんが救出されている。
っ!あぁ、良かった。生きている。ちゃんと自分の足で立っている…!そりゃ血だらけだし重症だけど、意識もある。よかった…!
この様子だと、三人とも時成さんのこともきちんと思い出してくれているようだとホッと胸をなでおろす。
よかった、と安堵する私の背後からザリっと誰かの足音がして、時成さんが顔を上げたと同時に私も振り返った。
「時成様…」
そこには、憔悴した様子のナズナさんが、私の亡骸を横抱きに抱え、時成さんを見ていた。
手足をだらりと垂らし、ナズナさんの胸に寄りかかる生気のない私を見た瞬間、時成さんの目が見開かれたのがわかった。
絶句し固まる時成さんのその表情は初めて見る顔で、めずらしいものが見れたとどこか遠巻きに思う。
ふらふらとした足取りで時成さんの手が私の死体へと伸びたときだった。
無意識に落とした瞬きで、再び景色がパッと変わった。
次に見えたのは、森を出てきた皆の姿だった。応急処置だけされたのか、包帯だらけの時成さんにゲンナイさんが肩を貸していて、サダネさんとナズナさんによって、私の亡骸が馬車の中そっと置かれていた。
大きな布がバサリと被せられたその光景に胸が締め付けられる。
無言の悲しみに暮れる三人が痛々しい。布に包まれた私の亡骸を前に立ち尽くす三人とは違い、時成さんは既にいつもの様子に戻っているようだった。キセルに火を灯し、胡散臭い笑みを浮かべ、時成さんは出発の命令を淡々と告げた。
なんだかおもしろくない…。サダネさんたちみたいにもう少し悲しんでくれてもいいのになぁ…。と、こんなことを思うのは不謹慎だろうか。
少しだけさみしく思いながら、馬車に揺られキセルの煙をふかせる時成さんを見つめた。
瞬きをひとつ。
まるでチャンネルでも切り替えるように、パッと、場面が変わる。
そこは、通常のものの倍以上もある木々達が生い茂る、巨大な森だった。
マナカノではないその景色に混乱する。え、ここはどこ…。
おそらくサダネさんたちも時成さんに指示されるままに来たのだろう、困惑しながらも、その荘厳な光景に圧倒されている様子だったけれど。森の入り口まできた時、馬車を止めさせ、そのまま待機の命令を出した時成さんの言葉にサダネさん達は素直に従っていた。
馬車を下り、私の亡骸を横抱きに抱えた時成さんは、そのまま森の奥へと振り返ることなく進んでいく。
迷わず進んでいたその足がピタリと止まったことに気づいて、ここが目的地だろうかと辺りを見渡してみれば、そこは円状に開けた草原のような場所だった。
その場所を囲むように木々が立ち並び、わずかに咲いている花が風に揺れ、木々の間から光が漏れる神秘的な光景に思わず感嘆を溢す。
時成さんはその中心に膝をつくと、そっと私の亡骸を地面に寝かせていた。
この神秘的な場所に、私の埋葬でもしてくれるのだろうか…。
ここもとても素敵だけど、できればもうちょっと賑やかなところが良かったなぁ…。と少し残念に思いながら時成さんを見る。
私の亡骸を前に無言で座る時成さんは、無表情のはずなのにどこか威圧されるような圧迫感を覚えて…、な、なんだかものすごく怒っているように見えるのは、何故だろうか…。
半透明の自分の体を動かして、時成さんの前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
幽霊のような今の私なら何をしても気づかれることはない、と無遠慮に近づき、時成さんが一体何を怒っているのか確かめようとした時、不意に時成さんの視線が動き、目の前の私へと向けられた。
パチリと綺麗に合わさった視線に驚きすぎて、ひっと小さく声をあげ、勢いよく後退り時成さんと距離をとった。
え、今…目が合った気がするけど、き、きのせいだよね…。
『気のせいではないよ』
「うぎゃっ、び、びっくりした!」
突然肩に現れた白い鼠に全身びくつかせながら、私は少し眉をよせる。
「いきなり出てこないでよ」
『時成が怒っているのも目が合ったのも、気のせいではないよ』
「いや、なんで…だって私はもう死んでるんだから時成さんにわかるはずないし、それに怒る理由も心当たりが全然…。」
『ないわけないよね。だって君は死んだんだ。時成を残して。再びね。』
「再びって…。」
『由羅、ここはね…この場所は、かつての君が死んだ場所なんだよ』
あぁ確か、災害の事故で死んだっていう、私の前世のことだろうか…。
『君は、時成に二度も、愛しい人の死という残酷な体験をさせた』
「…それは」
『かつて人間だった頃の時成は結果的に生を手放したけど、今回の時成はどうしようとしていると思う?』
鼠の言葉に私は怪訝に思いながらも、時成さんに視線を戻し観察する。
私の亡骸を前に正座する時成さんは目を閉じ、どこか集中している様子でわずかに眉間に皺がよっていた。
「…全然、わからないんですけど…、なにしてるんですか?」
意味不明なことしてないで早くきちんと手当受けてほしい…。包帯から血が滲みだしているし…せっかく生きているのにこのままだと普通に死にそうで心配になるんですけど…。
『いま時成は、僕と分離しようとしているんだよ』
「は?どういうこと?」
分離って…まるで異形とトキノワの皆の関係のような……。
「まさか…」
『やっと気づいたかな由羅。そう僕はね、時成の中にいた異形なんだよ』
突然すぎる鼠の言葉に、私の思考回路は見事に停止した。
