乙女ゲームの世界でとある恋をしたのでイケメン全員落としてみせます






 わずかに晴れた霧の中。
 猫魔が目の前に佇み、じっと私を見つめていた…。

 その手足は血であろうもので赤黒く染まっていて、明らかに猫魔の血ではないソレに…私の顔は青ざめていく。
 両手が染まるほどの大量の血の痕に、その血が誰のものかなんて考えたくもないのに…否が応にも脳裏に浮かんでくる最悪な光景を、必死に否定する…。
 

『待っていたよ。』
「っ…」 


 私の頭に直接響いてきたその声は、時成さんのものにひどく似ていて、ズキリと頭に重い痛みが走った。

 猫魔はグググとその巨大な姿を小さくすると、いつかの日にリブロジさんと私の部屋に現れたときのような、ごく普通の猫の姿に化け、私の足にその身をすりよせてくるとゴロゴロと喉を鳴らした…。


『ずっと、待っていたんだよ。』


 金色の瞳に見上げられ、私の手の指先が小刻みに震えだした。霧は晴れてきているはずなのに、体がまだ動かせない。


『君があの人の魂を持っていると、気付くのが遅くなってごめんね』
『でももう大丈夫だよ。これからはずっと一緒にいるからね』
『私がずっとあなたを守ってあげるからね』
『あなたの中に帰ってしまった異形の魂も大丈夫。また取り出せる。』
『簡単だよ。だから寂しくないよ』
『あの時のように、たくさんの動物達と仲良く暮らしていこう』


 まるで津波のように、次々と押し寄せる猫魔の言葉と感情に、押さえつけられ拘束されている感覚に陥る。

 私は、猫魔が求めるその人ではない。猫魔の求めるものに応えられはしないのだと、すり寄ってくる猫魔をふりはらわなければいけないのに、私の体は震えるだけで動いてくれない。

 霧のせいなのか、幻覚なのかすらわからない…。
 体も動かず声も出せない。自由なのはぐるぐると回る思考だけだけど…
 金色の瞳に射抜かれれば、それすらも奪われてしまいそうになる…。

 白い霧に囲まれた中でのこの状況が、まるでこの世に私と猫魔しかいないと言われているようで、ガクリと力が抜けた足が、その場に座り込んだ。
 
 猫魔はぴょんと私の膝に飛び乗ってくると私の肩に前足をそっと添える。
 私の顔の目の前に金色の瞳がふたつ覗き、じっと見つめられたかと思えば、そっと猫魔の額が私の額へと近づいてくる。

(あぁ、まずい…)

 これはリブロジさんの記憶の中でみた。このままお互いの額が合わされば…私はきっと猫魔に洗脳されてしまうのだろう…。

 逃げ出したいのに、体が動かない
 ぶるぶると震える手で猫魔をなんとか掴んだけど力の入らないそれはなんの抵抗もできはしなかった…。

 ゆっくりと近付いてきた猫魔の額が私に触れるその時だった。
 ーーズガァァン!と空から雷でも直撃したかのような物凄い音が鳴り響き、私の体がビクリと震え、同時に硬直がとけた。
 咄嗟に猫魔を払いのけ、無理矢理体を動かし距離をとる。

 猫魔はもう私を見ておらず、音のした方を見ながら、鬱陶しそうに自身の手をぺろりと舐めていた。



「よぉ猫魔。霧が少し晴れたお陰で、お前の胸糞悪い匂いの追跡ができるようになったよ」
「リブロジさんがもう能力を使えない影響か、結界も以前のものよりも劣っていましたね。どうやらもう能力の真似ごともできないようです。」
「ハンっ!どうやらテメェも弱ってるみてぇだな猫魔ぁ!」


 さきほどの大きな音はサダネさん達が結界を破壊した音だったのか、と理解したすぐあとに私の頭にひとつの疑問が浮かぶ。

 助けにきてくれた三人の様子は…泥土の汚れや、かすり傷ぐらいで…赤黒く染まっている猫魔の腕の返り血の量ととてもつりあわない…。

 三人が無事だと安堵する間もなく、私の目の奥がじわりと熱をもった…。

 だって、じゃあ…待ってよ…。
 猫魔の腕は…そこにある、おびただしい量の返り血は…
 一体、だれのものだというんですか…。


「由羅ちゃん、無事か!?」


 こちらに駆けてきた三人に、私は漠然と呟いた
 

「時成さんは…?」


 どこにいるんですか…。と聞いた声は震えていて…。私の質問に返ってきた三人の表情と言葉に、私の頭に、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃が走った…。

 

「あ??」
「ときなり?」
「誰のことですか?」


「え・・・?」
 


 ・・・嘘でしょ?
 何言ってるんですか、なんで首を傾げるんですか?
 時成さんがわからないなんて、そんなことあるわけないでしょう



『この世に』


 混乱する私の頭に、猫魔の言葉が響く。


『同じ思念はふたつといらないんだよ。』
『あのまがい物はもういらない。』
『最期も、なさけなくあっけないモノだった。』


 テレパシーのように頭に直接響く言葉とともに見せられたのは、血に染まった地面に倒れ、ピクリとも動かなくなっている時成さんの姿だった…。


「い、ぃや…っ!やだ!いやだ…っ!」


「由羅さん!?」


 私にだけ見せているのだろうその光景はあまりにも耐えがたく、動揺を隠しきれないまま私の目からはボロボロと涙が溢れ出していた…。


「おい、由羅どうした!」
「何が起こってる!」


 三人が混乱しながらもそれぞれの武器を猫魔に向けているのが気配でわかった…。
 私は地面に膝をついたまま、ボロボロと流れる涙が地面に染みを作っていく…。


 本当に、いい加減にしてくださいよ…。
 よわっよわにもほどがあるでしょう…時成さん…。
 
 皆にきちんと守られろと、あれほど言ったのに…、
 あぁでもそうか…。
 
 猫魔が皆の記憶から時成さんを消したから…、誰も時成さんを守れなかったのかもしれない…。
 …いやそもそも時成さんは消滅したがっていたんだから…もしかしたら時成さんは自らそうなるように仕向けたのかもしれない…。

 違和感にもっと早く気付くべきだった…。
 無理やりにでももっと注意しておくべきだった…。

 自分へなのか時成さんへなのか、またそのどちらへもなのだろうか…
 胸に渦巻く怒りと悲しみに、私は唇をかみしめ、拳を握った…。

 
  
 ひとりで死ぬなんて許さない。

 皆に忘れられたままで去るなんて許さない。

 
 このまま勝手に死んだら、
 絶対に、許しませんからね…!


(時成さん…!)