「では、行こうか」
出発を告げ、馬車内に座るやすぐに、キセルの煙を吹かせる時成さんの隣に、私は腰掛けた。
前を駆け出した三頭の馬にそれぞれ跨り掛けるのは、サダネさんとゲンナイさんとナズナさんだ。
さきほどまでの寝起きと二日酔いの表情はなく、真剣な面持ちには僅かに困惑も混ざって見える。
どうしてリブロジさんがこの三人を選んだのか、わからないけど、感知にも実戦にも優れている三人だから心配はないだろう。
三人の戦闘態勢の服装や装備と違い、まったくといつも通りの恰好でキセルをふかす時成さんに、私は少し呆れる。
ラスボス前だというのに、あまりにも軽装すぎる。いや、この人が戦う姿とか想像もできないけれど、もう少し動きやすい服にするとか武器を持つとか何かしらあるのでは?
そんな事を考える私に気付いたのか、時成さんはにっこりと胡散臭い笑みを浮かべると「私は道案内ぐらいしか役に立たないからね」と、煙をふく。
まぁたしかに…。時成さんの不思議な力も光が弱まっている今はろくに使えないのだろうし…。その通りなのだろうけど…。
「こうなると私はもはや、ただの人だね」
悲しいでも嬉しいでもない。よくわからない表情をして呟いた時成さんに私は眉を下げた。
「人間でもそうでなくても、時成さんが弱いのは変わらないんですから、大丈夫ですよ。」
「それは何が大丈夫なんだろうね」
適当な言葉だね。と喉を鳴らしながら笑う時成さんに私も小さく笑みをこぼす。
「せめて武器のひとつでも持ったらどうですか」
「いらないよ。」
「…なら、自分が弱いことをきちんと自覚して、皆にしっかりちゃんと、守られてくださいよ。絶対ですからね!」
「そうするよ」
フッと僅かに目を細め、時成さんは私の頭にポンと手をおいた。
それから小一時間ほど経ったころーー。
猫魔がいるであろう森の奥へと馬車は進み、草木が激しい獣道になると、私たちは徒歩での移動を余儀なくされた。
馬車から降りれば、森独特のにおいが鼻を掠め、なんの獣かもわからない鳴き声が聞こえてゾクリと背筋が凍る。
「今のところ、猫魔の気配はないな…」
ピリピリとした緊張と警戒の中、ゲンナイさんが先頭を進み、私と時成さんの両サイドをナズナさんとサダネさんが固めていた
三人の緊張がいやというほど伝わってきて、私の体も震えだしているのに、隣の時成さんは、いつもの通りでケロっとしている。今から生死を分ける決戦だというのに…。この人相変わらず感情バグってるな。…それとも…もう、覚悟を決めてしまっているからだろうか…。
私も覚悟を決めなければ…。この世界のことも、時成さんのことも…。
私は両方、諦めたくはないのだから…。
そのためにも、まず猫魔を倒すのは絶対条件だ。
右手に握っている小刀に視線を向ける。いつかゲンナイさんにもらったそれを結局私は一度も使っていないけど、今日はこれで、猫魔にとどめをささなければならない。
そのためにもまず猫魔を見つけて、弱らせなければならないけど、そもそも本当に三人だけでよかったのだろうか、と今更な疑問がうかんでくる。
もっとたくさん…それこそトキノワの皆全員で一斉に攻撃したりしたほうが良かったのでは?そう思ってしまうほどに、猫魔の強さは、他の異形とは違う異質さがあったのを覚えてる。
ゲンナイさんたちの実力を疑っているわけではないけど、こちらの被害を最小限にするために、今からでも皆を呼び寄せたほうがいいのでは?
「由羅、雑念は終いにしようか」
「…へ」
「猫魔がもう目の前にいるからね」
時成さんのその言葉で、サダネさん達が仰天したように慌てて武器を構えるのが見えた。三人の感知能力が猫魔を捉えられなかったのは何故なのかなんて、理由はすぐにわかった。
目の前にぶわりと白い霧が広がってきたからだ。
それはあっという間に辺りを覆い尽くし、視界にはそれ以外何も見えなくなってしまう。
トビさん達といった遠征でのときと同じように、白い霧は広がると同時に体の感覚までもを奪っていく…。
目も耳も鼻も、何も感じなくなっていき、内心大混乱している中、あの時のように勝手な行動はするまい、とその場に立ったまま、私は誰かが助けてくれるのを大人しく待つ。
だけど何分と待っても状況は変わらず、感覚のないはずの私の鼻が僅かな血の匂いを捉えた。
誰かが近くにいるのだろうか…?
もしかして時成さん達の誰かが怪我でもしたのだろうか、と顔から血の気がひいていく。
いてもたってもいられず、動こうとした体が止まったままなのは、私の目の前に、
ふと気配が落ちてきたからだ。
白い霧が僅かにはれ、目の前の気配が大きくなる。
瞬きを数回繰り返し、目を凝らせば
巨大な体をもつ金色の瞳と目が合った…。
「あ」
ちょっと、まずいかもしれない…。
