「……爽ちゃん。」
でも、私を呼ぶ声は大樹じゃない。
先輩の、憂りっくんのぶれない声域。ゆっくりと甘い、和音の余韻が心地いいやつ。
染まりきったカエデの絨毯が広がる中、先輩が真っ直ぐと私を見つめるのだ。
「昨日、キスしたこと、……ごめん。」
先輩。それ、もうメールで聞きました。
昨日の女子会中に入ってきたメッセージで。
《今日は爽ちゃんの初めてをかっさらってごめん。本当にごめん。蚊に刺されたと思って忘れて。》
先輩にとっては忘れたいと思っている、私の初キス。
「はは。気にしないでください。アラサーで初めてとか、ドン引きですよね……」
大丈夫ですよ、そんなに謝らなくたって。謝られるほど悲しくなりますから。
「そうじゃなくって。忘れてって送ったこと、謝らせてほしい。」
「……え?」
「忘れてっていったこと、忘れてくれへんかな。」
「え、えっ?!」
ちょっと頭の中を整理して、何を忘れればいいのか考えてみる。ほおん。。
そ、そんなこと、お安い御用ですよ。
蚊に刺されたこと、なかったことにしましょうか?
でもそれを忘却するとして、私は一体何を覚えていればいいの?



