飛び出した私には行く当てがなかった。
それもそうだ。
もう何年間も、職場と家の往復だけだったのだから。
飲み会は年一で、その日以外はいつも定時上がり。
友達も疎遠で、本当に何も持っていない自分を痛感して。
春の優しくない風が吹いて、濡れた頬をさらに冷やした。
そして無意識にたどり着いた場所は、やはり仕事場だった。
イタリアンではない、もう一つのお仕事。
高いビルの大きな
《帝都ホテル》
ここが私の昼の職場だ。
裏口から入ったものの、今日はロビーへ出たい気分だった。
豪華絢爛、高級感溢れる開けたロビーは夢にまで見た大好きな場所。
自分のちっぽけささえ小さすぎて気にならなくなって、誰か他の人生を見ることができる、触れることができる。
ロビーに出てフロントの方に挨拶をする。
少し驚かれただろうか、いつも昼にしか入れないシフトの人間なのにこんな時間にフラフラ訪れて。
生憎私の仕事はいわゆるフロントでもコンシェルジュでもない。
主にブッキングの整理や外国との配備など、ここでも仲介役兼雑用だ。
でも決してやめたいと思わない。
学部を中退した私を雇ってくれたこのホテルには感謝しかない。
けれど今日はメンタルが死んでいるから、何でも口を突いて出てくる。
ロビーのソファに腰掛け、はあ...と眩しい天井を見上げた。
「もし...卒業できてたらコンシェルジュ、なれてたかな,..」
卒業できていれば、お父さんが蒸発しなければ、兄ちゃんが助けてくれていたら、お母さんが生きていれば......。
宮下明彦...いい人だと思っていた。
完全に信じ切っていた。
私と付き合うなんて物好きな人だなとは思ったけれど。
まさか、...あの子たちのことを。
あの子たちの、まさかと思った。
自分が情けなくてどうしようもない。
あ...まずいと思った時にはもう遅くて、ビロードのソファに濃いシミが二つ、出来ていた。
紛れもなく自分の涙だった。
まずいことをしたと思ったが、弁償だとか申告するのも今は考えたくなかった。
拭くのも面倒で、自分が自分じゃないようだ。


