君の一番になりたかった。【短編集】


近くの公園に立ち寄って全てを話し終えた頃には、雨は過ぎ去っていた。

旭陽と付き合い始めた頃のこと。
旭陽が、少しだけ、当時は気づかなかったくらいにほんの僅かに私に冷たくなっていたこと。
それに気づけなかった自分を本気で後悔したこと。
突然別れを告げられたこと。
私はまだ、どうしようもないほどに旭陽が好きなこと。

千紘は私の言葉が終わるまで、何も言わずに聞いてくれた。


「…………そっか」


そして、ただ一言、そう呟いた。


永遠にも思える長い沈黙のあと、「こんなこと言ったってしょうがないんですけどね」と前置きしてから、千紘が続けた。


「俺だったら、そんな簡単に手放したりしないのにな。先ぱ、……彼女のこと」

「私も、旭陽の手だけはずっと放したくなかった。……でも、旭陽は、ちがった」

「……人の気持ちって、他人からはどうにもできない。それはわかってるんですけど、でもやっぱり悔しいですよね」

「……千紘に私の気持ちなんてわかんないよ」


違う。
こんなことが言いたいんじゃないのに。

優しく話を聞いてくれた千紘に向かって、それでも当たってしまう自分の脆さに苛立ちを覚える。

けど、千紘はやっぱり、どこまでも優しかった。


「先輩の気持ちが正確にわかるわけじゃないけど、好きな人と気持ちがつり合わない辛さは知ってます」

「…………」

「自分が一番隣にいると思ってたのに、そうじゃないことを急に知った悔しさも」


千紘はどこかずっと遠くの空を見据えている。

悲しいとも悔しいともとれるようなとれないような、微妙な色を含んだ瞳で。

彼の目線の先にはきっと、”一番隣にいると思ってた人”がいるんだろう。
遠い遠い、とても隣までなんて行けないような場所に。

いつの間にそんな存在ができていたのか。

千紘には、私の知らないことがたくさんある。
現に今、誰のことを考えてるのか、何を思っているのか、私は何も知らない。


旭陽だってそうだ。

あれだけ大好きだったのに、ああそうだ、前に好きだった人の名前も知らない。

私が初恋じゃなかったことだけは知っていたけど、その前の人にどうやって恋をして、どうやって終わったのかも聞いてなかった。

全部を知ることができないなんて当たり前のことだけど、でも、本当はもっとずっと隣で、もっと色んなことをゆっくり知っていきたかった。

あなたが私の初恋なんだよっていうことも、いつか話すつもりで結局できなかった。

私は旭陽の、何を知ってたんだろう。



「…………あれ」


ふと横を見ると、いつの間にか千紘がいなくなっていた。

不思議に思って周りを見渡すと、すぐに見つかった。

ブランコの側にしゃがんで、木の棒を持って何かを描いている。

私が気付くのを待っていたのか、目が合うとにっと笑って手招きをしてきた。


「何してるの」


私が傍に行ってしゃがみこんだのを見てから、千紘は地面にある妖怪のような生き物を指して言った。


「これ小春先輩ね」

「……ん??」

「似てないとかは受け付けません。で、こっちが旭陽先輩」

「……旭陽って河童みたいな見た目してたっけ」


軽く肘鉄を食らわされた。


「最初の二人はこんな感じ。お互いに、きっと誰よりも大切な人だった」


ふたりの間に大きなハートが描かれて、その左右に、私達に向けた矢印がひかれる。


「けど、いつの間にかそれは偏ってて、気付いた頃にはこうなってた」


私に向けた矢印の傘の部分が消されて、ハートは一方的なものになった。


「先輩はずっとそれを知らなかった。急に言われて、それと同時にさよならを告げられた。だからこそ、余計に傷ついた。でもさ、」


もう一度、線に傘を書き足す。
さっきと同じように、ハートはお互いを向いている。


「こうだった時間は確実にあった。これだけ大きな愛をお互いに向けられてたときの思い出は、決して無くなるわけじゃない。今までも、これからもずっと残り続ける」


言われてみてハッとした。

確かに、私はずっと、旭陽の気持ちが無くなってしまった後のことばかり考えていた。

旭陽だって『好きだからこそ叶えられた』と言っていた。

旭陽が私を好きでいてくれた時間は、たしかにあったのに。


「でもそれは呪縛とかじゃなくて、ちゃんといい想い出です。
今はまだ辛いかもしれないけど、旭陽先輩を好きになって、付き合ってよかったって言える日が、きっと来ますから」


その人のために泣けるくらい素敵な人を好きになった自分を、まずは精一杯褒めてあげて下さい。


それを聞いた途端、私の中の何かがとけていく気がした。

止まっていたはずの涙が、再び溢れてくる。

でも、それは後悔でも苦しさでもない。


お互いがお互いを一番大切に思っていたときのたくさんの思い出を、綺麗な想い出にしてのこすため。

これまでの自分と、旭陽と、その間にあった大きな気持ちにちゃんと別れを告げるための、最後の雨だった。


ごめんね、旭陽、それに私。

何も気付いてあげられなくて。

私と出会ってくれて、好きになってくれて、ありがとう。

私は旭陽の、全てが大好きでした。



深い深い後悔を全部のせて、全身が枯れるくらい、声を上げて思い切り泣いた。

その間もずっと、千紘は黙って私の隣にいてくれた。