ここ北海道に引っ越して14年。 福岡を離れて19年。
思えばあっという間だった。 あの日はまだまだ36歳だったのに、、、。
そしていろんな人を好きになった。 その恋は叶うこと無く終わった。
スナックの目立たないママも居た。 珍しく真面目な人だなって思った。
名字が同じだったから余計に引かれたんだ。 これでいいなと思った。
良子は二つ上のお姉さんだった。 小さな店で客が来るのを待っていた。
隣に座っておとなしくなったなって思ったらいつも寝てたよね。 (安心してるんだな。)
そう思ったから起こすことも無かった。
珍しいよね、ママが客の隣で寝てるなんて、、、。
良子が店を閉めたのは2010年の夏。
それからぼくらが会うことは無かった。
やっと3月になり、少しずつ春の空気が北海道にも流れてきた。
とはいってもまだまだ窓の外は冬景色だ。
まあ先月みたいにドカ雪が降り積もることはもう無いだろう。
でもまだまだ油断は出来ないんだよな。 4月になってもドカ雪が降ることは有るから。
さあさあ今日も仕事ですよ。 雛祭りの日だねえ。
仲良しのおばあちゃんに桜餅をあげましょうか。
毎回毎回くっ付いてくるんだよな。 一人だったら寂しいよな。
マッサージを終えて思いっきり背伸びをさせてやります。
そしたらさあ、どさくさに紛れてぼくの上に重なってくるの。
「このまま寝たいわ。」って言うもんだから最初の頃はドキドキしたよ。
そりゃそうでしょう。 ばあちゃんとは言っても女なんだから。
今じゃねえ、最期を看取るまできちんとやってねって言われる。
やっとかないと娘さんにお説教されちまう。 怖い怖い。
久子姉さんだってもうすぐ80なんだよね。 考えなきゃなあ。
90年代までは年を取ったら老人ホームにっていうのが自然の流れだった。
あの頃は役所が決めたとおりにやれば問題も起きなかった。 行政措置だったから。
でもそれで施設からすれば思い通りに金を引っ張ることが出来たんだ。
ぼくが務めた老健でも幽霊職員とか幽霊入居者とか居たもんね。
介護保険法が出来たことでそれは叶わなくなった。 余分な金を引っ張れなくなった施設はぼくらを解雇してきた。
だってマッサージは介護報酬の適用にはならなかったから。
それだけじゃない。 2005年には【施設介護から在宅介護へ】っていう流れを作ってしまった。
各家族化が進んでしまったこの国で在宅介護は賄えないと思う。
その以前から老々介護が喧しいくらいに問題になっているんだから。
それにもかかわらず自民党と公明党は在宅介護へ物を言わせずにシフトしてしまった。 結果、どうなったね?
マッサージ師は老健や特養での仕事を完全に失ってしまった。
「まだまだニーズは有りますから大丈夫でしょう。」なんて公明党の議員は笑っていたけれど、あんたらが仕事を潰したんだよ。
その実感は無いよね もちろん。 あんたらは高級生活保護者だから。
そして認知症の高齢者を高齢の家族が見なきゃいけなくなった。
徘徊しようと病気になろうと家族が全責任を背負わされることになった。
おかげでどれだけの悲惨な事件が起きたと思ってるんだ?
認知症のおじいちゃんが線路を横切って電車に轢かれた。 それだって会社は自殺だと判断する。
そうなれば巨額な賠償を家族に求めてくる。 払えるわけが無いだろう。
徘徊していたじいちゃんが殺されたとする。 目撃者が居なければ犯人はまず捕まらない。
そしたら家族はただただ泣き寝入りさせられるだけだ。
昨日まで何ともなかった妻がいきなり家出してう行方不明になる。 そんなことだって起きたよね。
各家族ではいつ何が起きても対処できないんだよ。 どうするんだい?
思えばあっという間だった。 あの日はまだまだ36歳だったのに、、、。
そしていろんな人を好きになった。 その恋は叶うこと無く終わった。
スナックの目立たないママも居た。 珍しく真面目な人だなって思った。
名字が同じだったから余計に引かれたんだ。 これでいいなと思った。
良子は二つ上のお姉さんだった。 小さな店で客が来るのを待っていた。
隣に座っておとなしくなったなって思ったらいつも寝てたよね。 (安心してるんだな。)
そう思ったから起こすことも無かった。
珍しいよね、ママが客の隣で寝てるなんて、、、。
良子が店を閉めたのは2010年の夏。
それからぼくらが会うことは無かった。
やっと3月になり、少しずつ春の空気が北海道にも流れてきた。
とはいってもまだまだ窓の外は冬景色だ。
まあ先月みたいにドカ雪が降り積もることはもう無いだろう。
でもまだまだ油断は出来ないんだよな。 4月になってもドカ雪が降ることは有るから。
さあさあ今日も仕事ですよ。 雛祭りの日だねえ。
仲良しのおばあちゃんに桜餅をあげましょうか。
毎回毎回くっ付いてくるんだよな。 一人だったら寂しいよな。
マッサージを終えて思いっきり背伸びをさせてやります。
そしたらさあ、どさくさに紛れてぼくの上に重なってくるの。
「このまま寝たいわ。」って言うもんだから最初の頃はドキドキしたよ。
そりゃそうでしょう。 ばあちゃんとは言っても女なんだから。
今じゃねえ、最期を看取るまできちんとやってねって言われる。
やっとかないと娘さんにお説教されちまう。 怖い怖い。
久子姉さんだってもうすぐ80なんだよね。 考えなきゃなあ。
90年代までは年を取ったら老人ホームにっていうのが自然の流れだった。
あの頃は役所が決めたとおりにやれば問題も起きなかった。 行政措置だったから。
でもそれで施設からすれば思い通りに金を引っ張ることが出来たんだ。
ぼくが務めた老健でも幽霊職員とか幽霊入居者とか居たもんね。
介護保険法が出来たことでそれは叶わなくなった。 余分な金を引っ張れなくなった施設はぼくらを解雇してきた。
だってマッサージは介護報酬の適用にはならなかったから。
それだけじゃない。 2005年には【施設介護から在宅介護へ】っていう流れを作ってしまった。
各家族化が進んでしまったこの国で在宅介護は賄えないと思う。
その以前から老々介護が喧しいくらいに問題になっているんだから。
それにもかかわらず自民党と公明党は在宅介護へ物を言わせずにシフトしてしまった。 結果、どうなったね?
マッサージ師は老健や特養での仕事を完全に失ってしまった。
「まだまだニーズは有りますから大丈夫でしょう。」なんて公明党の議員は笑っていたけれど、あんたらが仕事を潰したんだよ。
その実感は無いよね もちろん。 あんたらは高級生活保護者だから。
そして認知症の高齢者を高齢の家族が見なきゃいけなくなった。
徘徊しようと病気になろうと家族が全責任を背負わされることになった。
おかげでどれだけの悲惨な事件が起きたと思ってるんだ?
認知症のおじいちゃんが線路を横切って電車に轢かれた。 それだって会社は自殺だと判断する。
そうなれば巨額な賠償を家族に求めてくる。 払えるわけが無いだろう。
徘徊していたじいちゃんが殺されたとする。 目撃者が居なければ犯人はまず捕まらない。
そしたら家族はただただ泣き寝入りさせられるだけだ。
昨日まで何ともなかった妻がいきなり家出してう行方不明になる。 そんなことだって起きたよね。
各家族ではいつ何が起きても対処できないんだよ。 どうするんだい?



