he said , she said[完結編]

「いけません」と小さく固い声が言う。

いけません。母親か女教師の叱り言葉のような文句を、口説いている女性の口から聞かされるとは。

逃げるように瞳子が身をひるがえし、階段を早足にかけ上がる。
直弥も慌てて続く。

いけません。
こちらに背を向けたままアスファルトの地面に視線を落として、瞳子はもう一度口にした。ふるふると首を振る。
「わたしたち、まだ…」

まだ、なんだと言うのだ。行き場を失った欲望が己の中で渦巻いている。
この女が欲しいと切実なまでに思う。
しかしそのためには———

「あのっ、」言葉がつっかえてしまった。日頃は淀みないトークを得意としているというのに。
それでも彼女の背中に言う。言わねば瞳子は自分の手をすり抜けて、もう戻ってはこないだろう。
「…結婚を前提にお付き合いしてください」

自分がこんな陳腐な決まり文句を口にする日が来るとは。
ことの成り行きにいちばん驚いているのは、おそらく直弥自身だった。