薄氷の城

 騎士の声かけに、ヴィレムが答えると扉はゆっくりと開いた。そこから姿を現したのは、着古した木綿の服を着ているが、確かにコンスタンティンだった。

「コンスタンティン。本当にコンスタンティンなのか?」

 明るい声で、駆寄ったのはヴォルテルだった。ヴィレムはただ、そこに立ち尽くした。

「ご無沙汰をしています。ここでは、エヴァリストと名乗っています。ジャン殿下よりここに私を待っている方々がいると聞いて参りました。私も二人にお会いできて嬉しく思います。」

 そう言うと、コンスタンティンはエパナスターシの礼の姿勢を取った。ヴィレムは、自分たちの向かいの席に腰掛けるように促した。

「お二人は、驚かれたことでしょう。私自身も何をどう説明すれば良いのか…。」
「なぜ、そのように元気ならば、何かしらの方法で連絡しなかった?」

 ヴォルテルは、小さな子に話しかけるように優しく聞いた。

「実は、私は記憶を完全に失っていました。魔獣に襲われた怪我の後遺症をジャン殿下に治して頂いたとき、記憶が戻ったのですが、それは少し前の事でした。その時点で私は六年もの間をエヴァリストとして生きていて、今もコンスタンティンの人生は一部しか思い出せていません。どうやっても自分の今までの事を詳しく思い出すことが出来ないのです。生まれた国はエパナスターシ王国、名前はコンスタンティン・エイクマン。長く続く伯爵家の生まれで、ユリアーナ・フェルバーンと婚約を控えていた。」

 ヴォルテルは、隣に座るヴィレムの少し張り詰めた雰囲気を感じ取る。

「それくらいで、なぜ自分がここにいるのか、どうやっても思い出せないのです。ただ、魔獣に襲われたらしい私は、どうしてかプリズマーティッシュの森の奥で意識を失った状態で発見されたのです。そんな自分を引き取り、薬を与え、介抱してくれたのが今の家族で、エヴァリストと言う名もその家族からもらったのです。」
「コンスタンティン、こちらで誰かと暮らしているのか?」
「祖父と、妻と息子が二人います。」
「結婚しているのか?」

 ヴィレムは驚いたように問いかけた。

「殿下もでしょう?それほどに長い時間、私はエヴァリストとしてこちらで生きてきたのです。私にはこちらに愛する家族がいて、生活も成り立ち始めました。私は、こちらで生活していこうと考えています。」
「しかし、その…これを言っても良いのか、いま愛するご家族がいるのは分かるが、エパナスターシのご家族はどうする?お父上も、お母上も君が戻ることを信じて待っておられる。養子を取ることもなく。」

 コンスタンティンの眉が、ピクリと動く。
 
「お母上は、君の行方不明の報せを聞いてから体調を崩されて寝込んだりされているようだ。実は、君の元許嫁のアンナは私の弟のフリッツと結婚をしていてね、アンナは時折エイクマン家へ伺って様子を見ているんだ。それで、エイクマン家の事は耳に入ってきている。ご両親は今でも昨日の事のように胸を痛めていらっしゃる。そして君がいつか戻ってくると信じていらっしゃる。」
「どんな結論を出すにしても、一度エパナスターシへ帰って来てはどうか?君が生きていることは、まだ、この国にいる者しか知らないが、レネにこの事を告げないわけにもいかないだろう。どう選択するにせよ、レネには自分自身で話した方が良いと思う。私が父親ならばそうして欲しいと思うだろう。」

 暫く三人は黙り込んだ。次に口を開いたのもヴィレムだった。

「ユリアーナは私と結婚して公爵夫人となっている。彼女も君のことをとても心配している。一度、彼女と会って話してやってくれないか?」
「えぇ。お話しするだけでしたら。」
「ありがとう。コン・・エヴァリストと呼んだ方がいいのだろうか?」
「はい。ここでは、エヴァリストで願います。」
「わかった。ありがとうエヴァリスト。では、ユリアーナを呼んでくる。」

 そう言って、ヴィレムだけが部屋を出て行った。


∴∵


 騎士の声かけがあり、ユリアーナが合図をするとジョゼが扉を開いた。そこには見慣れぬ服装をしたコンスタンティンが立っていた。

「お入り下さい。」

 ユリアーナが声をかけると、コンスタンティンはゆっくりとした歩調で部屋へ入ってきた。ユリアーナはそれに合わせるようにゆっくりと立ち上がる。

「エ・・エヴァリスト。」

 消え入りそうな、小さな声で言った。

「エヴァリストとして生きて、六年になりました。公爵妃殿下もお変わりないようで。改めて、ご挨拶申し上げます。ユリアーナ殿下。」

 コンスタンティンは、王族に対して行なう礼の姿勢をする。

「姿勢をお戻し下さい。どうぞ、こちらへ。」

 コンスタンティンは、ユリアーナの目の前の席に静かに座った。

「本当に、お元気そうで。怪我などは?していないのですか?」
「半年以上、臥せっていました。記憶がなく、自分がエパナスターシの貴族、コンスタンティン・エイクマンであることを思い出したのも最近の事でした。」
「そうでしたか。」
「長らく、国にいる親しい人たちに不義理をしてしまった事は申訳ないと思っています。ただ、この六年の間に、結婚し子宝にも恵まれ、慎ましやかですが生活も出来ています。エヴァリストとして、平凡ですが幸せに暮らしています。」
「そうですか。それは、本当に良かった。エイクマン家のご両親のことはお聞きになりましたか?」
「はい。ヴォルテル様から聞きました。アンナ様やヨハン様が今もエイクマン家へ行ってくれていると。」
「はい。私は、公爵家の人間となってしまい、エイクマン家へ気軽に伺うことが出来ない身になってしまいましたが、アンナやヨハンが折に触れて訪れて、私にも様子を知らせてくれています。」

 ユリアーナは、紅茶を一口飲んだ。

「旦那様から、エパナスターシへ帰るつもりはないと聞きましたが。」
「はい。意識のない私を拾い、体も動かず寝たきりの状態だった私を介抱し支えてくれたのは、祖父のユーグと妻のエディットでした。二人はこの国の平民です。エパナスターシへ一緒に行ったとしても、二人には身分がないですし、二人をここへ置いて帰るつもりもありません。」
「お二人の身分だけですか?エパナスターシへ帰らないと仰る理由は。他に気掛かりなことは?」
「差し当たっての問題は。」
「では、旦那様へ相談してみましょう。お力になって下さるはずですから。私からお話してみます。」

 コンスタンティンは、何か呆けたような顔をしていた。

「どうなさいましたか?お具合が良くないのですか?」

 少し間をあけて、

「いいえ。妃殿下は、ヴィレム殿下の事をとても信頼なさっておいでなのですね。」
「…、そうですね。互いに憂いなく、許容できる関係でありたいと思っています。」
「憂いなく…許容できる。…だからこの場に殿下がいらっしゃらないのですね。お二人は、とても良い関係でいらっしゃるようだ。」

 照れたように、少し微笑みながら俯いたユリアーナを、コンスタンティンは、懐かしく思いながら見ていた。

「あなたの生存を早馬で陛下へお伝えしますね。その上で、ご家族にエパナスターシでの身分を与えてもらえるようにお話しをしなければなりませんから。よろしいですか?」
「はい。両殿下に全てお任せ致します。」

ユリアーナは軽く頷いて、再び口を開いた。

「昔なじみの者として、一言だけ言わせて下さい。…もう、あなたの幸せのために私が出来る事はないと分かっているわ。だから、あなたが幸せであるようにと心から祈ることにする。コンスタンティン、本当に無事でいてくれてありがとう。」
「では、僭越ながら私からも一言。あの頃も今も、君の幸せを心から望んでいるが、君を幸せにするのはもう僕ではない。君が君らしさを失わず、素敵な人生を送れるように僕も祈っている。ユリアーナ、結婚おめでとう。末永く幸せに。」

 幸せとは、どんなことなのだろうかと考えた。例えば、愛する人が何かに躓いた時、一番に手を差し伸べることが出来ること。それも一つかもしれない。もうその権利すら与えられないこともあるのだから。
 ユリアーナは、部屋を出て行くコンスタンティンの背中に小さな声で別れの言葉を呟いた。