薄氷の城

「私、女性が剣を振る姿を初めて見ましたが、旦那様の仰るとおり、男性戦士と引けを取らない迫力でございますね。」
「いや、さすがにこの対戦は迫力が段違いだよ。しかも、エリザベート殿下はよく見れば、氷の魔術を使っていないかい?」

 ヴィレムは、ヴィクトルに問いかけた。

「はい。仰るとおりでございます。」
「しかし、魔術を発動させるには想像をする事がとても重要で、我が国やプリズマーティッシュのように温暖な地域では氷を使うことがとても難しいと聞いたことがあるが。」
「はい。左様でございます。しかしながら、王妃陛下のお育ちになった国では氷は手に入りやすい物だったそうで、殿下方も小さな頃から陛下の出す氷や雪に触れておりましたのでその点では難しくなかった様でございます。」
「そうなのか。」

 ヴィレムがヴィクトルの方を見ながら話していると、ユリアーナや他の観客たちがアッと驚きの声を上げた。ヴィレムがコートに視線を戻すと、ヴィクトワールが、棒立ちになっている。慌ててオペラグラスでヴィクトワールを見ると、両足の膝の辺りまでが氷で覆われていてコートに固定されている。

「何が起ったんだ?」
「私にも突然の事で、何が何やら。ただ、殿下の攻撃を、ヴィクトワール様が避けて、体勢を立て直したところ物音一つ立たずに、気が付けばヴィクトワール様の足が氷づけになっていたのです。」

 コートにいるヴィクトワールは、必死に何かを詠唱している。しかし、足の氷は溶ける気配さえしていない。

「まるで植物が生えるように、土から氷が生えてきたのです。これも、殿下の魔術なのでしょう?本当に魔術とは、不思議なものですね。」

 エリザベートは、ゆっくりとヴィクトワールに近づき、大きく剣を振りかぶった。観客の短い悲鳴が聞こえる。

「終了。勝者 エリザベート・ダンドリュー。」

 アンリの大きな声が会場中に響いたときには、剣はヴィクトワールの首筋、数㎝のところで止まっていた。
 エリザベートは、剣を静かに下ろしてヴィクトワールの足の氷を消滅させた。彼女が差し出した手をヴィクトワールは力強く握り、固い握手を交わした。
 ヴィクトワールが入場してきた扉の方へ歩むと、エリザベートは剣をコートに突き刺し、駆け出した。その様子を観客が注視していると、コートと客席の間に設けられたフェンスを軽い身のこなしで越え、階段を一気に駆け上がった。その先には、プリズマーティッシュの両陛下がいるガゼボがある。
 ある程度上がったところで、エリザベートは止まった。ガゼボでは、リオが苦々しい顔をしている。

「母上、私は勝利致しました。これで私の結婚をお認め下さいますね。」

 ユリアーナのたちのパビリオンには、その声が届かなかったが、観客たちの反応で、彼女が何か重要な事を言ったのだという事は分かった。
 ヴィレムは、解説員のヴィクトルに目を向けたが、この事はヴィクトルも知らぬ事のようで、彼は首を振った。
 リオとエリザベートが何やら言い合いをしているうちに、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。そこかしこから悲鳴が聞こえ、ユリアーナもあまりの轟音にヴィレムの胸に抱きついた。同じパビリオンで見ていたクリストッフェルは気まずそうに目を逸らす。
 リオとエリザベートの話しは、物別れに終わったようで、リオは一生懸命にエリザベートに向って何かを言っているが、エリザベートは背を向け歩き出してしまった。しかし、彼女の行き先は決まっているようで、歩調には迷いがない。
 空は晴れていて、雲一つないが、鳴り止まない雷鳴に観客たちは恐怖で縮こまっている。

「大丈夫かい?ユリア。」

 ユリアーナは、頷いてゆっくりとヴィレムの胸から離れたが、耳は塞いだままだ。

「兄上、ヴィレム兄上。エリザベート殿下はもしかして私どものパビリオンへ向ってきていませんか?」

 ユリアーナだけに関心が向いていたヴィレムが、クリストッフェルの指さす方に目を向けると、確かに、エリザベートはこちらに向ってきているように見える。そして、とうとうパビリオンの真下までやって来た。
 その時、一段と大きな雷が落ち、女性だけではなく男性たちも短い悲鳴を上げる。だが、エリザベートは身をすくめることもなく真っ直ぐにこちらを見ていた。
 ヴィレムが構えていると、

「ドンデレス公爵クリストッフェル殿下。どうぞ私と結婚して下さい。私の生涯をかけ、貴方に忠誠を誓い、真心を持って貴方の伴侶としてつとめを果たしたく存じます。」

 戦いが終わり、あちらこちらに切り傷や火傷を負った王女殿下は、その場に片膝を立てクリストッフェルの方へ長くて白い手を差し出した。


∴∵
 

「近衛騎士団 第一団隊 団隊長 フェルナン・ヴァンドーム。」

 体格の良い騎士たちの中でも一段と長身の彼は、ダークブロンドの髪を一つの乱れもなく整えている。ゆっくりとコートの中心へ向う姿は荘重としており、彼が今までに築いてきた騎士としての礎をその身で体現しているようだった。
 今年、三十五になり壮年と呼ばれる年齢になりながらも、国王譲りの端正な顔立ちに彼の熱烈な愛好者は多く、今も女性たちの声援は止まない。

「国軍 特殊魔獣討伐部隊 隊長 ピエール・ヴァシュレ。」

 彼の父、アラン・ヴァシュレは国王レオナールの従兄弟で公爵であり、彼自身も伯爵の爵位を持っているが、騎士団ではなく、平民と一緒に試験を受け国軍の兵士になった変わり者だ。彼もまた目鼻の整った姿をしている。フェルナンよりも十程若く、その上実力主義の精鋭部隊の隊長という優秀さで女性からの声援はフェルナンに劣らず、大きい。

「マルゲリットは、行かなくても良いの?エリザベートのことが心配だろう?」
「大丈夫。父上と一緒に優秀戦士を選ばなくてはいけないから。席を外すことは出来ないわ。それに、ジルベール伯父上に任せておけば大丈夫でしょう。」
「あの凍り付いたように誰も身動きできなくなった場で、エリザベートを静かに退場させる手腕はジルベール様ならではだね。」
「エリザベートが肩に担がれただけ、だけれどね。他の誰も王女にあんなこと出来ないものね。」

 マルゲリットは、クスリと笑った。

「私が王太子でなければ、唯一の妹の願いを叶えるために力になってあげたいけれど…。」
「エパナスターシがどう思うかと言うよりも、エシタリシテソージャがどう思うかが分岐点になるだろうね。そのためにも両陛下とも少しは水面下で話しを進める時間が欲しかったのだろうね。」
「母上はね、エリザベートにはあんなに怒っていたけれど、エシタリシテソージャのウルバーノ王太子に恩を売って文句を言い出さないように手を打ったりしているのよ。まったく、甘いのだから…。」
「義理の兄としても、クリストッフェル殿下がエリザベートの手を取って下さることを願っているけれどね。あのエリザベートが結婚したいと言い出すほどなのだから。」