薄氷の城

 ユリアーナとヴィレムが通された部屋は、目を引くような派手やかな装飾などはなかったが、ファブリックは深みのあるグリーンを主体にワインレッドが差し色に使われていて洗練された印象ながら、落ち着いた空間に整えられていた。ユリアーナは一つ一つの調度を興味深そうに見ている。

「どうしたんだい?」
「彫刻などは施されていませんが、よく見ると調度の全てに木象嵌(もくぞうがん)を施されています。このコンソールテーブルなどは、貝殻もはめ込まれていてとても凝った作りでございます。」
「旦那様、奥様、お茶をご用意いたしましょうか?」
「頼むよ。ボー。」

 ボーが、部屋に準備されていたティーセットを乗せたワゴンに近づくと、部屋で待機していた侍女がボーの近くへ寄ってきた。

「私は王宮侍女のジョゼと申します。当国の給湯器は魔術で火をつける仕組みになっておりますので、湯沸かしは私がやらせて頂きます。」
「お願い致します。」

 ボーは戸惑いながらも、ジョゼに頼んだ。
 ジョゼは、上部のふたを開けると、炭に向って何かを唱えた。すると、炭は黒色から少しずつオレンジ色になり、パチパチと爆ぜる音がし始めた。

「もう水は入っておりますので、暫くしましたらお湯がご用意出来ます。この蛇口を捻ると出てきますが、捻りすぎると勢いが良く出てきてしまいますので、お気をつけ下さい。」
「…ありがとうございます。」

 部屋の中央に据え置かれたテーブルセットにユリアーナとヴィレムは向かい合って座った。

「旦那様、こちらのテーブルも木象嵌が施されています。全てのモチーフがアイリスのお花のようですね。」

 部屋で控えていたもう一人の侍女エリーズが、 “僭越ながらご説明させて頂きます” と前置きして、

「当国では、虹の女神へ対する信仰がございます。そのために女神の名が付いているアイリスのモチーフは我が国ではありとあらゆる所に使われており、とても人気が高くなっております。」
「そうなのね。教えてくれてありがとう。そう言えば、お二人のお名前は?」

 プラチナブロンドに透明感のあるブルーの瞳を持つエリーズが最初に口を開いた。

「私は、エリーズ・バローと申します。」

 次に、ゴールドブロンドに飴色の瞳のジョゼが話す。
 
「私は、ジョゼ・ゴーチェと申します。」
「エリーズとジョゼね。私は全く魔力を持たないから、あなたたちの助けが必要です。一泊の間だけれど、よろしく頼みますね。」
「とんでもないことでございます。こちらこそよろしくお願い申し上げます。」

 二人は揃って頭を下げた。そこに、ボーがコーヒーとハーブティーを持って来た。
 
「ユリアーナ、少し休んだら街へ出てみるかい?」
「よろしいのですか?」
「父上も見てくれば良いと仰っておいでだった。」
「ならば、行きたいです。」
「エパナスターシでは二人で街を歩くことなんて出来なかったから、どうだろう、ゆっくりと外を歩いてみるのは?」
「えぇ。ぜひ。歩きたいです。」
「ならば、ボー。ユリアーナの召し替えを頼む。私は騎士たちと話をしてくるから。」
「かしこまりました。」


∴∵


 宿から少し馬車を走らせてアーダプルの市街地へ入った。そこで二人は馬車を降り、歩き始めた。プリズマーティッシュ側の案内役兼護衛としてルネとエリーズが帯同した。
 アーダプルの街は国境付近の街らしく、ユリアーナやヴィレムの知るエシタリシテソージャの雰囲気を所々に感じる。
 ルネが二人を連れてきたのは、アーダプルで一番規模の大きい市場だった。午後と言う事で、既に閉じてしまった大道店もあるが、人々の生活を直に感じることは出来た。

「私は、エパナスターシでは街を歩いたことがない。幼い頃から民を守り慈しむことや民への接し方など教えられてきたが、民の生活のことは知らずに来てしまった。この様な一つ一つの生活があって、国が作られているのだと分かってはいても実際にそれを垣間見るのとはやはり違うね。」
「国が違うのはもちろんなのですけれど、地方都市と言うのは王都とは違い、より人々の暮らしが身近に感じられるのですね。」
「お二人がよろしければなのですが、町場のティールームへおいでになってみてはいかがでしょうか?」
「ルネ殿、そんな勝手をして、君が咎められたりはしないのかい?」
「父や両陛下から、皆様がプリズマーティッシュの滞在を思う存分楽しめるよう留意する事と言われております。お二人が、この国の民の生活を垣間見たいのでしたら、町場の店へ行ってみるのも一つかと思いまして。」
「ユリアーナどうしたい?私は、ルネ殿の提案に乗ってみたいと思うのだけど。」
「えぇ。私も。エパナスターシでは気軽に出来ませんから。」
「それでは、お勧めのお店がありますので、ご案内致します。」

 店は、ゆっくりと十分程歩いた所にあった。木彫りの看板には可愛らしいティーカップが描かれている。店の名前はユリアーナには読めなかった。
 ルネは躊躇(ちゅうちょ)せずに店の扉を開ける。淡褐色の髪の毛を小綺麗にまとめた恰幅の良い中年女性が元気に挨拶をする。ルネがニコリとすると彼女は奥の窓際の席を指した。

「あの席でよろしいですか?」
「あぁ。どこでも構わないよ。」

 ヴィレムが椅子を引くと、ユリアーナは軽く笑って腰掛けた。ルネはユリアーナの隣の椅子を引くと、ボーにそこへ座るように言った。

「いいえ。私が旦那様や奥様とご一緒に座らせて頂くわけには…」
「今日は、ボー様もお客様の一人です。さぁ、おかけ下さい。メイド役はエリーズがいますから。」
「私は、公爵家にお世話になっていますが、平民の生まれです。そんな私が…」
「ボー。今日は私もあなたとお茶を飲みたいの。だめかしら?」

 ボーは引かれた椅子に静かに腰を下ろした。
 ルネは、ヴィレムの隣の席に腰掛けながら、

「ヴィレム様、ここのコーヒーはとても香り高く、お勧めですよ。ユリアーナ様にはこちらのプチフールの盛り合わせはいかがでしょう?」

 と、メニュー表を開いてユリアーナに渡した。メニュー表には、プリズマーティッシュの公用語のロッシュ語の他に、エシタリシテソージャの言葉でもメニューが書かれている。
 
「まぁ。エシタリシテソージャの言葉でも書かれているのですね。これなら私でも読めます。ルネ様、この緑茶とは何ですか?」
「ドォウノケシ王国はご存知ですか?」
「エシタリシテソージャの北東に隣接する国だったと記憶していますが。」
「はい。とても小さな国なのですが、国の南側に諸島があり、そこで作られているお茶です。王妃陛下の出身国でも同じ製法のお茶を飲んでいたそうで、今は我が国でも定着しています。」
「では、私は緑茶を頂きます。」
「私は、コーヒーにしよう。」
「ボー様は何になさいますか?」

 ルネは、ユリアーナに向けていたメニュー表をボーに向け直した。

「私は、奥様と同じものを。」
「緑茶ですね。」


∴∵


「ご注文頂いたものは、全ておそろいですか?」
「はい。」
「ごゆっくりどうぞ。」

 給仕が離れたところでユリアーナは自分の前に置かれたカップの中を覗き込んだ。

「うわぁ。綺麗な緑色なのですね。」
「王妃陛下の国では、何も入れずに飲むのが主流のようですが、我が国ではこのお茶独特の渋みを苦手とする人が多く、濃いめに抽出した緑茶にミルクと砂糖を入れて飲むのが主流になっています。私も砂糖とミルクを入れた緑茶が好きで、朝は必ずこれを飲んでいます。陛下にこの話しをするといつも苦笑いをされてしまいますが。」

 ユリアーナとヴィレムは揃ってクスリと笑った。ユリアーナは、ミルクと砂糖を入れて、ゆっくりとかき混ぜた。

「失礼だが、この様な平民が来る店で渡来品を売ってそれを飲む者がいるのか?」
「輸入品で少し高価ではありますが、自国で採れるコーヒーや紅茶とは然程値段は変らないのです。両陛下の求愛エピソードなどもあり、国民には緑茶が人気です。少し高くとも、たまの贅沢として国民は飲んでいます。」

 ヴィレムは、ルネの説明に何度か小さく頷いて見せた。

「この店は、大変賑わっているね。」
「低価格の店ですが、清潔で料理も美味しいので人気なのです。」