薄氷の城

「奥様、出発して一ヶ月が経ちましたがお疲れではありませんか?」

 王都に入って二十㎞ほど走った所にモナハドールと名付けられた離宮があり、そこで一行は王と王太子に謁見するための召し替えをする事になった。
 離宮の外観は煌めくように美しく、華やかに輝いていた。中へ入ってもその作りは絢爛豪華で、普段から高級な物に触れているユリアーナさえも息を飲んでしまうほどだった。
 ユリアーナは、暫く廊下を歩いた一室に通され、そこで身なりを整えていた。

「大丈夫よ。この国は何から何まで色鮮やかで、見ていて飽きないわ。疲れも忘れてしまったわ。」

 そんなことをボーと話していると、部屋がノックされ、ヴィレムの声が聞こえた。ボーが扉を開ける。

「入って大丈夫だろうか?」
「えぇ。構いません。旦那様はもうお支度が済みましたの?」
「私は、儀礼用の服に着替えただけだから。そのドレスとても似合っているよ。」

 ユリアーナは座ったまま自分のスカートを眺めてみた。
 この国に敬意を示すために、王家の紋章に使われている灰色が混ざった薄青色のドレスを仕立てた。エシタリシテソージャでは既婚女性が肌の露わになるドレスを着ることを良しとしない文化があるため、今回のドレスは、トップス部分がスタンドカラーで繊細なレースのロングスリーブになっていて、スカート部分は光沢のあるシルク生地になっている。

「ありがとうございます。旦那様の儀礼服も久し振りに拝見致しましたが、一段と威厳のあるお姿でございますね。見惚れてしまいます。」
「…ありがとう。私たちは子供がまだ小さいこともあって、舞踏会などには出席していないが、ユリアーナの美しいドレス姿が見られるのならば、舞踏会には積極的に参加した方が良いのかもしれないね。」
「二人で頻繁に舞踏会へ出席する事になっても、私に見飽きたりしないで下さいませね。」

 ボーはユリアーナに付けていたケープを外す。
 
「奥様、お化粧のお直し終わりました。旦那様、お茶がご用意出来るように整えられておりますが、お茶をご用意致しましょうか?」
「あぁ。頼む。」
「かしこまりました。」


∴∵
 

 暫くすると、扉がノックされ、ブラームが対応する。何言かの会話を交わして扉は閉じた。ブラームがそのままヴィレムの所へやってきた。

「旦那様、奥様。王宮へ出発されるお時間になりました。」
「分かった。」

 ヴィレムは、席を立ちユリアーナの隣へ行くと、サッと手を差し出した。ユリアーナはその手をにこやかに取って、立ち上がった。

「では、行こうか。」
「はい。旦那様。」


∴∵

 
 宮殿は、貴族しか立ち入る事を許されておらず、平民のボーは離宮での留守番になった。その代わりに、エパナスターシ王国の侍女で子爵令嬢のハンネがユリアーナの世話係として馬車に同乗していた。現地の言葉で “覇者の門” と名付けられている城門を通り抜けると、真っ白な馬車道の両脇に花弁が幾重にもなっている鮮やかなピンク色のバラが今が盛りとばかりに咲いていた。
 暫く進むと、 “歓喜の門” があり、その先にもう一つ門があってやっと城が現れた。馬車回しに王太子夫妻の馬車が到着し、その後ろにアルテナ公爵の馬車が止まる。ヴィレムが降りて、続いてユリアーナが降りようとしたところで、ドンデレス公爵の馬車が到着した。
 宮殿のエントランスの入り口は、金で細やかな細工が施されていて、今までの建物よりも一段と華やかに見える。五人が揃ったところで、侍従が案内を始めた。
 中に入るとそこは明かりが灯されてはおらず薄暗かった。
 しかし、大きなはめ込み式の窓にはエシタリシテソージャの得意とするガラス細工が使われていて、外からの光が透って白い床に色鮮やかな影を落としている。
 ユリアーナは、美しい絵画を踏んで歩いているような気持になり、そろりと歩いている自分を小さく笑ってしまった。
 通された控えの間で暫く待っていると、再び従者がやって来た。案内に従って長い廊下を歩き、止まったのはなおいっそう立派で重厚な扉の前だった。従者は扉を開けると、中へ入るように促す。
 通された五人は、前列にマウリッツ王太子とアンドレーア王太子妃、その後ろにヴィレム、両脇にユリアーナとクリストッフェルが立った。
 
「国王陛下のお成りでございます。」

 五人は顔を伏せ、王に対する礼の姿勢を取る。足音が一頻(ひとしき)りして、

「面を上げよ。(われ)が国王エマヌエーレである。」
「私は、エシタリシテソージャ王太子、ウルバーノと申す。」
「私、エパナスターシ王国、王太子マウリッツ・ローデウェイク。拝謁を賜りましたこと厚く感謝申し上げます。」

 プラチナブロンドの髪に、曇天の色の瞳を持つ王と王太子は表情を一切動かさずにエパナスターシ一行(いっこう)の挨拶を受けている。
 玉座は、この国の西部で僅かに採掘される乳白色の石で作られた物で、椅子と呼ぶには(いささ)か無理があるように思うほど大きい。
 エマヌエーレ王の右側に王太子のウルバーノとその妃のジュリアが、左側には王妃エリザベッタが立っている。王妃の隣にはウルバーノ王太子とジュリア妃の第二王子、ヴィットーリオとその婦人アイーダがいて、二人の間に生まれた第三王子のアルナルドも並んでいる。ユリアーナは彼に目を留めた。髪はゴールドブロンドで、瞳は離れていても分かる鮮やかな青色。少年期特有と言うのか、何だか少しだけ不安定さを感じさせる。それは身長の割に細い体躯のせいなのか、親指で太ももを忙しなく擦る癖のせいなのか。

「有り難きお言葉、恐悦至極に存じます。」

 マウリッツの言葉で、ユリアーナは我に返る。五人が再び礼の姿勢を取ると、エマヌエーレ、ウルバーノ、エリザベッタの順で部屋を出て行く。
 エシタリシテソージャでは、エパナスターシよりも女性の地位が低い。公の場で女性が言葉を発する機会は殆どなく、今回の謁見も、アンドレーアやユリアーナはもちろんエシタリシテソージャの王妃エリザベッタすら言葉を発する機会は与えられなかった。
 扉が閉まる音がして、五人は姿勢を戻した。これから再びモナハドール離宮へ戻り、旅の服装に着替えてウルバーノたちが合流したら改めてプリズマーティッシュへの旅が再開することになっている。

 五月十七日の午後、モナハドールにウルバーノ王太子夫妻、その第二王子ヴィットーリオ・フェルリ公爵、側妃のマリーナ、ヴィットーリオと正妃アイーダの間に生まれた第三王子のアルナルドの五人が合流した。