薄氷の城

 何通か手紙のやりとりをしてから、ユリアーナからの返事には、 ‘一度娘たちの成長を見に来ませんか’ と書いてあった。その時に、二人の娘が今何歳になったのか知らないことに気が付いた。よくよく思い出しても、長女のエフェリーンを抱いたのは、生まれたその日だけだったし、次女のマリアンネに至っては生まれたその日の事を思い出せなかった。

「先ほどは大丈夫でしたか?マリアンネが思い切り暴れたでしょう?もうすぐ二歳になりますが、最近は自分で何でもやりたがる一方で、出来ないことに苛立つのか…その苛立ちがああやって爆発してしまうみたいで。」

 ユリアーナは少し赤くなったヴィレムの手の甲をそっと撫でた。

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 午後、フェルバーンの屋敷に到着し、ユリアーナの案内でガゼボにやってくると、少し遅れて乳母たちに連れられたエフェリーンとマリアンネがやってきた。久し振りに見た長女のエフェリーンはフェルバーンの私兵に抱っこされていた。庭のバラを指さし何か話す。兵士は破顔し ‘そうですね。バラが綺麗ですね。’ と言葉を返す。エフェリーンはその後もその私兵をティムと呼んでよく懐いているようだった。
 次女のマリアンネは乳母に抱かれていた。少し前に何かあったのか、目元に涙がついていた。私がそれを拭おうとハンカチを出し、目元を拭った途端に手を払われ足蹴にされ、泣き叫ばれた。引っかかれた手の甲が赤くなったのを見て回りの騎士や兵士、乳母は顔を青ざめさせたが、ユリアーナは私の目を見て少し困った顔をした。その表情には、困ったと言いながらも慈愛が満ちていた。

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「久し振りに娘たちと会って、いかがでしたか?」

 離れて暮らし始めたのは、去年のまだ暑い頃だった。それが、秋になり、冬を越し、春になった。

「私は、エフェリーンやマリアンネをまるで見ていなかったのだな。アンドレの様に小さかったのに、ああして話して意思疎通をするほどに成長した。息子でなければ完璧ではないと思い込み、娘たちをあまりにも気にかけずに過ごしてしまった。」

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 私とユリアーナがゆっくりと話せるようにと、少し庭で二人を遊ばせた後、娘たちは部屋へと戻っていった。マリアンネはまだ庭にいると泣き叫んでいたので、可哀想だからもう少し遊ばせていれば良いと言ったが、庭に出る前は部屋から出たくないと泣き叫んだらしい。今は何するのもそんな調子なのだとユリアーナは言っていた。そんな妹をエフェリーンは(なだ)めるために撫でた。そして最後に私を見ながら不明瞭な発音で、 ‘お父様、またいらしてね。’ と天使のような笑顔を見せた。

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「エフェリーンは辛うじて、私のことを父だと認識してくれた様だが、父は常に帰って来る存在ではなく、たまに来る存在なのだと思われてしまっている。マリアンネに至っては父だと認識してもらえているのかも怪しいな。少し触れただけで大泣きされるとは思わなかった。」

 ヴィレムの普段は見せない弱々しい表情に、ユリアーナは微笑んだ。

「あの子は本当にそう言う時期なのです。昨日は、乳母のアマリアも私も大嫌いだと言って物を投げてきたり、叫んだり。執事長のラウにしか抱っこさせませんでした。」
「そんな我が儘で、あの子はこの先大丈夫なのだろうか?フェルバーンのレンブラントと縁組みの話しがあっただろう?」

 ユリアーナは、ヴィレムの記憶力に驚いた。正直、あの時期のヴィレムにはユリアーナの話しなど頭に入っていないと思っていた。

「子どもが通る成長過程なのだそうです。エフェリーンの時は戸惑いました。理屈など何も通じないので、どう注意すれば良いのか分からず…。」
「あの子にもそんな時期が?」
「はい。エフェリーンは、城の庭で遊んでいて急に自分のいる場所から空が見えないから、庭の木を全て切れと暴君の様な事を言って泣いていました。ある日は右に曲がることを嫌がって大暴れしたり。」

 少し微笑みながら、カップに視線を落とすユリアーナは優艶で、ヴィレムは場違いにも彼女を抱きしめたいと思った。その時、急にユリアーナの視線がヴィレムに注がれ彼はうろたえてしまった。

「今はすっかりお姉さんになって、アンドレが泣いていたりするとあやそうとしてくれたりします。本当に大変でしたが、乳母のシーラが根気強く付き合ってくれていたので、感謝しかありません。」
「今からでも遅くはないだろうか。」

 ユリアーナはニッコリと笑って、一つ頷いた。

「もちろんです。旦那様。」
「決して、心が君から離れたわけではないし、娘たちが可愛くないわけでもない。ただ、完璧な君と、完璧な家庭を築くためには息子が必要だと思い込んでしまった。今考えてみれば、私も君もまだ年ではないのだから、焦らなくても良いと分かるのだが。今までの全てのこと、君を傷付けてしまったこと、娘たちを顧みなかったこと本当に申訳なかった。しかし、どんなに考えてもやはり、ユリアーナと一緒にいたいんだ。一緒にいるのは君がいいんだ。」
「エフェリーンは今、妹や弟、乳母のシーラや私から日々色々と刺激を受けています。自我が芽生えてきた所為で反抗することも多いですけれど、会話が出来るようになりました。突然段差を飛び降りたり、危なく思うこともありますが、出来ることが増えてきました。きっと同じ様にマリアンネもアンドレも成長していってくれるはずです。私も、その過程を旦那様と一緒に見届けていきたいと思っております。」

 ヴィレムは、ユリアーナの瞳を見つめ、安堵からニッコリと笑った。

「でも、旦那様。ご容赦いたしますのも今回だけ。一度きりでございますよ。」