薄氷の城

「お帰りなさいませ。」
「あぁ。イルセ、出迎えは必要ないと言っただろ?」
「しかし、この城を守る者としては、旦那様のお出迎えはしませんと。私の体調はお気遣いなく。」

 ユリアーナが里帰りをしてから、アルテナ公爵家ではますますイルセが女主人の様に振る舞っていた。ヴィレムは、軽いため息を吐いた。

「ネス、イルセを部屋まで連れて行ってくれ。」
「はい。畏まりました。旦那様。奥様、大事なお体ですから。旦那様にも心配をおかけしてしまいます。さぁ、参りましょう奥様。」
「えぇ。」

 イルセは、ネスに向ってニッコリと笑う。ヴィレムはネスが恭しく返事する姿を見て、言わんとするところを汲み取っていない様子に苛立ちを覚える。フェイルはそのままヴィレムと共に部屋まで付いていく。

「旦那様、実は王妃陛下より奥様のお好きなイチジクが送られてきまして…」
「お祖母様には私からお礼を…」
「いえ、それが、イルセ様がお礼状をお書きあそばされまして…」
「なに?お祖母様宛てにか?」
「はい。」
「それで、お祖母様からは何か言ってきたか?」
「いいえ。まだ何も。」
「なんと、余計な…なぜ、フェイルがいながらそんなことになった。」

 フェイルは、自分の元に来たユリアーナ宛ての手紙や贈り物は一度ヴィレムに報せ、フェルバーン家に届けさせたりしていたが、イルセを女主人として扱うメイドたちはユリアーナ宛てもヴィレム宛ても全てをイルセに渡してしまっていた。

「私のところに全てが来るわけではございません。特に大きな贈り物などの荷物は裏口に届いてしまうため、下働きや若いメイドが受け取りますので。」
「何が言いたい?何だか非難がましく聞こえるのは、どうしてだ?」
「奥様は、仕事に不都合な事がなければ厳しく言って聞かせる様な方ではございませんので、今まで旦那様には申し上げませんでしたけれど、旦那様のお母上である王太子妃殿下が特別目をかけて下さっているとイルセ様が言い広めていらっしゃるため、メイドの一部はイルセ様を女主人のごとく扱っております。」

 フェイルはヴィレムが物心付いたときには侍女として仕えてくれていた古参の使用人だ。ヴィレムはこのフェイルには頭が上がらない。段々と彼女の怒りや呆れが声色から伝わってくる。

「特に最近は、お子様が生まれる準備で新しいメイドが増えました。その若いメイドたちはイルセ様を主人だと思っている様子です。」
「何故、フェイルがきちんと教育をしないんだ。ユリアーナもお前を信頼して任せている部分もあるだろう。」
「私も、放っておいているわけではありません。何度言っても、聞く耳を持たないのです。それは、何故かとお聞きになりますか?旦那様の態度です。」

 気が付けば、フェイルは腰に手を当てて話している。

「旦那様は、奥様に対してもお嬢様方に対しても接し方が相応しくございません。あれでは使用人が奥様やお嬢様方を侮る様になってもおかしくありません。それは、フェルバーン家出身の奥様に対し不相応な扱いでございます。」
「私は別にユリアーナを侮ったりなどしていない。」
「奥様のご懐妊に対する態度もですか?」 
「それは、イルセは公爵家の跡取りを産む大事な体だからだ。イルセに家内の事を任せるつもりなどない。」

 フェイルの真っ直ぐとした視線から目を逸らして答える。その態度にも半ば呆れ気味になりながらフェイルは言葉を返す。
 
「メイドの中には、イルセ様が跡取りを産み、奥様に取って替わり正妻の座に就くと考えている者もいます。その証拠が、今回の奥様の里帰り出産だと。」
「これは、イルセの生家の都合で、ユリアーナも理解しフェルバーンへ帰ると申し出てくれたのだ。」
「それでもです。ならば、イルセ様の方を別邸に移されるなど、方法がございますでしょう。」
「それでは、生まれる我が子を直ぐに抱けないではないか。別邸までは二日もかかる。」

 フェイルは大きくため息を吐く。
 
「別邸が遠いと仰るなら、陛下にでもお願いして離宮を借りれば良かったのです。本来なら側妻が里帰りをするものです。奥様を里帰りさせるその扱いが軽んじてると言っているのです。それに奥様がご出産なさる子も我が子ではございませんか。お嬢様方も我が子でございますよ。」
「しかし、女ではこの家を継ぐことはできぬ。」
「跡取りが重要だと、私も十分理解しておりますが、旦那様は陛下にお願いをしてまで、奥様とご結婚されたのですよ、あちらはまだ考えられないと言っているのを無理に婚約されたのです。」

 触れられたくない部分に触れられ、ヴィレムは不機嫌そうな顔をする。普通ならば、王子殿下にこの表情をされれば、口をつぐむのだろうが、おむつをしている時からヴィレムの面倒をみている彼女にその手は通じない。

「フェルバーン家には、旦那様から今回の事への説明と謝罪はなさいましたか?」
「何故、私が謝罪するのだ?」

 怒りからの呆れ、それを通り越して再び怒りの感情がこみ上げる。
 
「大切な娘がまるで、側妻の様に扱われているのです。それを良しとする親などおりません。それに相手は我が国の閣議長でございます。旦那様が直接説明し、謝罪するのが通りでございます。」
「ユリアーナが説明しているだろう。」
「していてもです。改めて旦那様がご説明なさらなければなりません。それに、奥様は詳細はお話しになっていないと思います。」
「ユリアーナが説明を必要ないと思ったのならば、エルンストに私から話す必要などないだろう。」

 フェイルは、落胆の色が隠せない。
 
「理由もなく伯爵で、議長のお父上を持つご令嬢が側妻の扱いを受けているなどフェルバーン家ではいかほどの…。奥様は説明の必要がないと判断をしたのではなく、説明出来ないのでしょう。」
「何故だ?」
「本来なら、王位の継承権が低い旦那様の婚姻は、父上であらせられる王太子殿下の裁量に任されています。しかし、旦那様との結婚に難色を示していたフェルバーン家を承知させるためには両殿下の力では足りず、両陛下のお力をお借りしたのです。謂わばこの婚姻は王命。奥様にはもちろん拒否権などございませんでした。それでも、フェルバーン家でしたら断固拒否も出来たでしょう。陛下もエルンスト様がそう固く意思を示せば旦那様ではなくエルンスト様のご意見を尊重されたことでしょう。しかし、フェルバーン家はこの婚姻を受け入れた。王家はその判断に名誉を守られたのです。この決断に恩をお感じになった王妃陛下は、ご自身が一番大切にしていたティアラを奥様に譲り渡した。両陛下がこの結婚の後ろ盾をなさったのです。」

 フェイルの表情は、話しながらどんどん悲しいような表情に変っていった。

「そして王太子殿下とエルンスト様は旧知の仲。この様な状況の中で、アンドレーア殿下の口利きで側妻が用意されたと、奥様がご実家にお話しになると思いますか?その側妻が男子を産む予定で、旦那様はその準備に忙しいから自分は里帰りしたいと説明出来ると思いますか?旦那様やアンドレーア殿下がイルセ様の懐妊に喜んで自身の懐妊を言い出さなかったお方です。するわけがないでしょう。」

 フェイルは自身の気持を落ち着かせる様に、大きくため息を吐いた。

「ともかく、使用人の態度の一因は旦那様のその行いです。奥様が帰ってこなくとも旦那様に奥様を咎める資格は塵ほどもございませんからご覚悟なさいませ。」