埋葬の儀はトリーネのとき以来だ。
 ふたりは、あの墓標の立つ丘に来ていた。
 
 青い麦のような束をククーシュカが供えるのを見て、アルジェントが読み上げていた聖書を閉じる。
「その草はなんだ?」

「乾かしたラベンダーです。あんなことになったけれど、クロエは友だちでした。せめて、これで彼女がゆっくり眠れたらと」

「そうか」
 アルジェント一本手にする。

「わたしも今なら──」
「え?」
「いや、なんでもない」
 アルジェントはふっ切れたように苦笑した。

(今なら、少しは神を信じることができる。そうでなければ説明がつくまい。
 わたしの頭に立ち込める闇を、小さなエルフが祓ってくれたなどと──)
 
 そんな思いが湧いたが、もちろん口にも顔にも出さない。
「まったくお前はひとがよすぎる」
 呆れて嘆息するアルジェントに、ククーシュカはにこやかに微笑み返した。

「いいえ、わたしは悪い子なんだそうですよ」
 
 
 イスマイルが訪ねて来たのは、翌日のことだった。
 もちろんあの後、アルジェントを司祭館まで運んだのは彼である。

「イスマイルさんは、トリアー神父がワーウルフだとご存知だったんですね」
「まあ、つきあい長いですからね」
 
 甲冑のコンティ伯と戦った際、アルジェントが蹴りを食らって昏倒しても、彼は部下でありながらなんの心配もしていなかった。
「明日には元気になっている」というのも楽観視ではなく、獣人である彼の回復力を知っていたのだ。

「ところで……イスマイルさん、聞きたいことがあるのですが」
「なんです」
「トリアー神父はモテるのでしょうか」
 唐突な質問に、飲んでいたお茶をふき出すイスマイル。

「はっ……!?」
「ダンスもお上手ですし、お顔の傷も強そうですし、きっと聖都では女性に人気があるのでしょうね」
「いえまったく」
 
 口もとをぬぐいながらも真顔で即答するイスマイルに、ククーシュカも続ける言葉がない。
「あのひとがこれまでモテた試しはありません。わたしのほうがモテます。大丈夫です」
 何が大丈夫なのやら。

「顔面は水準以上ありますのでもっと騒がれてもよさそうなのですが、なんせあの性格ですからね」
 そこはククーシュカも納得がいく。
 イスマイルはすました顔を取りもどし、カップをおいた。

「彼は実は教皇庁ゆかりの貴族家の出身なんです。ダンスが踊れるのは、最低限の社交には精通しているからですよ。獣化して縁は切られましたが」

「そ、そうだったんですか……」
 それでも彼が教皇庁のもとで働くのは、戦で百人を殺めてしまった贖罪なのかもしれない。
 少し表情を曇らせるククーシュカにイスマイルは肩をすくめた。

「まあ、ワーウルフもエルフも『仲間みたいなもん』じゃないですか?」
 その言い方がアルジェントと似ていたので思わず笑う。
 ククーシュカの素性は彼にもとっくに知られていたらしい。
 というより、水面下で調査を行っていたのはおそらくイスマイルなのだろう。
 
 そこに扉が開き、アルジェントが帰って来た。
「役所から営業許可証をもらって来たぞ」
 そう、教会にいよいよ菓子店がオープンすることになったのだ。
 
 あれから、いくつか品数も加わった。
 白と黒のケーキのほかにも、試作で作ったフルーツのタルト、どんぐりのクッキー、ブラックベリーのパイなど。
 子どもたちに人気だった飴がけのシリーズも、種類が増えた。
 
 そして──
 
 事件は終わったのだが、彼は不思議とまだここにいる。
 それはククーシュカにとって、とてもうれしいことだったのだが、

「安く売るな、自分の値段だ」
「原材料の産地をアピールしろ」
「コンセプトだ、ブランディングだ」
 と、彼はかなり口出しを──いや協力をしてくるので、さすがのククーシュカも辟易していた。

「もう、ここは若者のセンスに任せてください!」
 アルジェントは不本意に眉をよせる。
「失礼な、わたしとて若者だぞ、まだ二十歳だ」

「……はたっ!? い、意外とお若かったのですね……」
 近くでよく見ると、確かにアルジェントは肌のきめも細やかだった。

「あ……お顔の傷、消えてきたのですね。よかったです」
 出会い頭に慄いた、鼻梁を横切る傷一文字が薄くなってきている。

「たいした怪我ではない。この村に来る途中、木から降りれなくなった猫がいて、助けたらひっかかれただけだからな」
「え……歴戦の印では?」
「そんなことを言った覚えはないが」
 
 何もかも斜め上の事実に、唖然とするククーシュカ。
 カウンターの後ろでは、イスマイルが真顔のまま声を殺して笑っている。
 
 そんなふたりを不満げに見ながら、アルジェントは自室へもどった。
 もう一つ、やり残した仕事があったのだ。
 
 机の引き出しを開け、既存の報告書を皿の上で燃やす。
 そして新たに羊皮紙を取り出すと、羽根ペンを走らせた。

〝調査の結果、リリウム司教を掃討。遺物と被害者の遺体はすべて回収。その際、救出したエルフの保護を申請する。
 なお、教会の業務は引き続き継続したく──〟

 トントンとノックの音。
「トリアー神父? そこにいらっしゃるんですか」
「ああ、今行く。なんだ?」
 アルジェントは報告書を封蝋で閉じると、ククーシュカに向き直った。

「お店の名前なんですが、どうしようかと」
「うむ、ここに来るまで紆余曲折あったからな。『愛と哀しみの・ドルチェヴィータ』とかはどうだ?」
「それはちょっと……かなりいやです」
「平行して祓魔の仕事も続けるし、ぴったりではないか」
「えっ、聞いていませんが」
 ククーシュカはめずらしく露骨に顔をしかめた。


 それから数百年が過ぎ──
 レヴァンダ村、現在。
 
 小さな山あいの村の教会に併設されたお菓子屋さんは、今日も買い物客でにぎわっている。
 
 いつかアルジェントが言ったように、今や砂糖はすべての家庭の食卓に並び、もはや憧れの調味料ではなくなった。
 
 聖水で作ったハーブキャンディや、自家製バターのナッツ入りキャラメルなど、たくさんの菓子が店内には並ぶ。
 かわいらしい民族衣装のエプロンドレスを着た店員のおすすめは、やはり『白と黒のケーキ』だ。

「ここの伝統的なお菓子なんですよ」
 もうめずらしくもないエルフのマークがプリントされた包装紙で包み、細いリボンを結ぶと、観光客は大事そうにかかえて帰る。
 
 それは、ひとりの少女が遠い昔に作った素朴な焼き菓子。
 
 彼女が錬金術師だったとか祓魔師だったとか魔女だったとか、
 狼をいつもそばに従えていたとか、
 いろいろな言い伝えがあるが、砂糖が希少だった時代に新しい甘味(かんみ)を作り出した修道女として、
 その店は『シスター・エルフの菓子店』と今も語り継がれている。