彼の後を尾けてゆくと、あの夜甲冑に襲われた場所に出た。
(なぜこんなところに?)
 
 そっと繁みから様子をうかがうと向こうがふり返り、あわてて顔を引っ込める。
 もう一度そっと顔をのぞかせると、今度は誰の姿もない。

「お嬢さん、ぼくに何かご用かな?」
「きゃっ!」
 いきなり背後から声をかけられ、ククーシュカは驚いてしりもちをついた。

「こそこそと後を尾けるのはよくないよ」
 道化師の面の奥からは、聞き覚えのある声がした。
 彼は(こうべ)をたれ、うやうやしくあいさつをした。

「こんばんは、ククーシュカ」
「……む、息子さんといっしょじゃないんですか」
 知らず知らず後退りする。

「ぼくもいろいろ忙しくてね」
 おびえるククーシュカをおもしろがるように、相手は近づいて来た。
 ふるえながらもククーシュカは尋ねる。

「瞳に……赤い石の入った鳥の面をお持ちですね」
「そうだと言ったら?」
 彼は肩をすくめて仮面に手をかける。
「じゃああの夜、わたしたちを襲ったのは……」
 
 答えの代わりか、はずした道化師の面の下は、コンティ伯だった。
 
 最悪の告白だ。
 なのに、彼は笑っている。
 
 聞きたくはなかった。
 コンティ伯がひとを襲ったなど、罪が暴かれても隠し通せても、ヨルンドにはつらい事実ではないか。

「どうしてこんな……」
「それを教えるには、まだきみとは親密さが足りないな。それとも、これから仲よくなるかい? なーんて」
 笑いながら、長い腕が伸びてきた。
 追いつめられ、ククーシュカの細い首に指が回される。

「きみがいると、どうやらぼくはクロエと結婚できないらしい」
「な……?」
「……クロエは、ぼくよりきみに興味があるみたいなんだ」
 声色が変わった。恨みを込めた手に力が入る。

「……かはっ」
 息がしぼり取られる苦しさがのどを襲う。
 絶息寸前、森が燃え、炎に囲まれた日のことが脳裏を過ぎった。
 
 あのとき、ひとりで死ぬのが怖かった。
 だが今は、恐怖とは違う願望がのどの奥から沸き上がってくる。

(──死にたくない!)
 
 ククーシュカは喘ぎながらも、コンティ伯の腕を思いきり打った。
「っ!」
 甲冑の男は、左腕にアルジェントから負わされた傷があると、彼が言ったのを思い出したのだ。
 
 解放されたものの、咳き込み、肩が激しく上下する。
 コンティ伯は左腕を押さえながら、声をふるわせ笑った。

「ククーシュカ……きみはそんなにおてんばだったかな。よくないなあ、あの粗暴な神父の影響を受けたんじゃないのかい」
「トリアー神父がどんなひとでも、あなたよりずっとすばらしい人間です!」
 コンティ伯の顔から、貼りついたような笑みが消えた。

「祭りは終りだ、ククーシュカ」
 
 飾りだと思っていた湾刀で斬りかかって来るコンティ伯を、すんでのところでよける。
 囚われれば殺される、その一心で躱した。
 
 エルフの五感はヒトのそれより敏感だ。
 ククーシュカもすばやいほうだが、彼はあの甲冑を纏い自由に動ける身軽さを備えている。あの夜以上に一撃が速い。
 
 (やいば)にかすめられ、転び、だんだんとすり傷が増えていった。
 何も武器を持たない自分は、ただ逃げるだけだ。
(……武器!)
 
 何を思いついたか、ククーシュカは相手がナイフを翳した体勢のすきを突き、身を低めて体当たりした。
「がっ……!」
 
 道化師の衣装の太ももに、串が刺さっていた。
 フルーツ串の備品が一本、エプロンのポケットに入っていたのだ。
 コンティ伯は逆上し襲いかかって来た。

「このっ!」
「あっ……!」
 わき腹を蹴られ、ククーシュカは簡単に転がった。

「クロエはさあ、お前が好きなんだと! お前さえいなければ、いなければ!」
 怒りと嫉妬で躰を踏まれ、もう反撃できない。
 月光に反射するナイフの刃が見えたとき、ククーシュカは初めて死を覚悟した。
(みんな、トリアー神父……!)
 
 だが次の瞬間、背後から突進して来た黒い影に、コンティ伯は組みつかれ突き飛ばされた。

「──貴様!」
 アルジェントが怒りの形相でこぶしをふり翳す。
 コンティ伯は何度も殴られ、たちまちがくりと躰を折った。
 さんざん打ちすえられ湾刀も奪われると、観念したのか苦笑する。

「……神父が信者に乱暴していいのかなあ」
「ただですむと思うなよ! こんなことをして、ヨルンドに顔向けできるのか!」
 胸ぐらをつかまれ、コンティ伯は顔をゆがませた。
「ああ……そもそもあいつ邪魔なんだ。ぼくの子どもじゃないしね」
「なっ……?」

「亡くなった妻の息子だよ……ぼくは入婿でさ、結婚してさあこれからってときに、彼女はやっかい者を残して逝ってしまったのさ」
 
 やっとの思いで身を起こしたククーシュカは、絶望で青ざめた。
「ヨルンドは、いつもあなたの帰りを待ってたのに……!」
「ぶどう農園はもともと妻の実家だ。だからぼくは妻さえいれば、荘園主の肩書きなんていらなかったんだ。本来ぼくは聖都の演者だもの」
 
 演者──それならばわかる。あの身軽さは、壇上で鍛えたものだったのだ。
「劇場で、彼女がぼくを見初めてくれたんだ。なのに突然ひとりになってさびしかったよ」
 アルジェントに殴られてぼろぼろなのに、夢見るようなまなざし。
(このひとは子どもなんだ。本来、子どもを護らねばならない立場なのに)
 ククーシュカは愕然と彼を見た。

「でも、そんなときぼくに──」
 
 突然、コンティ伯の動きが静止した。
 口からゴフっと血のしずくがふき出し、そのままゆっくりと前に倒れる。

「!」
 彼の背には、生えたように一本の鉄矢(クォレル)が突き刺さっていた。

「伏せろ!」
 アルジェントがククーシュカをかかえて身をかがめる。
 だが二本目が襲って来ることはなかった。

「やられたか……」
 菓子用の串などとは威力が違う。無論、即死である。
「大丈夫か、ククーシュカ。遅くなってすまなかった」
 抱きかかえられ、力が抜けた。

「トリアー神父、コンティ伯がケーレス……」
 なんのいきさつも説明できず、ククーシュカはそのまま気を失った。