村じゅうが待ち望んでいた祝祭が始まった。 
 
 祝砲が高らかに空に響くと通りには子どもたちが駆け出し、人々があふれ出す。
 広場には肉を焼く匂いが立ち込め、ワイン樽も並ぶ。
 
 ナイフ使いの道化師、花をまく民族衣装の踊り子。
 楽団もいっせいに演奏を始め、これまでにない活気が村にあふれている。
 
 笑い声と歌声の群衆の中には、もちろんククーシュカの露店もあった。
 トリーネの形見のスカーフをお守りのように首にまき、緊張気味に立っている。
 
 だが店は、これまでぱっとしなかった菓子枠ということもあり、多くのひとが列を成していた。

「いらっしゃい! 誰も食べたことのない、ヘルシーでさわやかな新しいケーキよ!」
 クロエが助っ人に来てくれなかったら、ククーシュカにはとても対処できなかっただろう。

「お菓子なのに躰にいいの?」
「でもおいしいわ。いくらでも食べられそう」
「朝食にも出せるわね!」
 
 実際口にしてもらうまでは不安だったククーシュカだったが、店は大繁盛だった。

「せっかくだから味見してあげますよ」
 列には、イスマイルのほかにルカやオロスコたちの姿もある。
「こっちにも頼むぞ」
「うむ、うまい」
 
 イスマイルは、ケーキの断面をまじまじと見て言った。
「まっ黒のケーキとはなんて面妖な」
「ココナッツの殻の炭を混ぜてあるんです。健康にもいいんですよ」
 
 びっくりするような見た目なので食べてもらえるか心配だったが、売れ行きは好調のようだ。
 持ち帰りやすいよう、子どもも食べやすいよう、カップケーキ仕様にしてあるのも高評価だった。

「この生地の味は……もしかして栗ですか」
 ケーキをほおばったイスマイルがはたと静止する。

「イスマイルさんのソイチーノがヒントになりました」
「わたしの」
「はい、小麦は高いので、栗を挽いて牛乳で捏ねて作ったんです」
「ではわたしに感謝するのですね!」
「も、もちろんです」 
 
 指をさされ苦笑するククーシュカだったが、実際みんなの協力なしには得られなかったと実感する。
 
 ルカとオロスコも感嘆して唸った。
「これはホールで食いたいな」
「なんという菓子なんだ?」

「これは『白と黒のケーキ』と名づけました」
「まんまですね、芸のない」
 手厳しいコメントをあげながらも、軽やかに咀嚼するイスマイル。

「なるほど、生地の黒さとクリームの白さを表現しているのか」
「でもこれはなんだか、黒い服に白い頭の……あの男みたいだな」
 意味深に笑いあう夫婦を、ククーシュカはきょとんと見つめた。

「ところで、その(くだん)の御仁はどこへ行った?」
 オロスコが人ごみに目を(めぐ)らせる。
「こんな人出のときは要注意だって、捜査に出かけています」
 搬入のときは、後でのぞきに行くと言ってくれたのだが。
 
 しょんぼりするククーシュカに、イスマイルたち三人は顔を見あわせた。
「せっかくのお祭りですからね、アルさまにも楽しんでもらわねば」
「そうだな、捜して来てやる」
「シメてこよう」
 
 最後のルカのひと言が気になったが、客はひっきりなしに来る。ククーシュカは急いで接客にもどった。
 
 午後になっても、アルジェントはもどって来なかった。
 ケーキは完売し後からやって来た客が暴動を起こしそうだったので、ククーシュカはクロエに手伝ってもらい、即興で簡易的なドルチェを作った。
 
 煮つめた砂糖液にくぐらせた、串に刺したいろいろなカットフルーツ。
 見た目もきらきらとかわいらしく、我先にと子どもが買いに来た。

「ククーシュカってば、どこでこんなお菓子思いつくの?」
 アルジェントの串焼きから──とは言えず、笑ってはぐらかす。
 
 クロエが売り子なのでコンティ伯が来るかと思ったが、ヨルンドはひとりでやって来た。
「いらっしゃい、ヨルンド。お父さまは?」
「父さまは今日も仕事。でも、終わったら来るってさ」
 
 いつものように冷めた口ぶりだ。あまり期待していないのだろう。
 ひとりで祭りを回ったと思われる、戦利品で手のふさがった少年の口に、ククーシュカは飴がけのフルーツ片を一つ放り込んでやった。
 
 やがて夜の帳が辺りを包み、後夜祭が始まった。
 すべて売り切った露店にすわり、ククーシュカは記念すべき一日をふり返った。
 
 実際に店に立ち、いろんなひとたちと交流ができたことも収穫だった。聖都から来た客もたくさんいた。

(ほんの一年前までは、森の中しか知らなかったのが遠い昔のよう)
 アルジェントに、聖都へ連れて行ってもらったことを思い出す。
 
 同族のエルフがほかにいたことも、彼らが人間と共存して生きていることも、何もかもが驚きだった。
 広いと思っていた森は、聖都に比べると水たまりと湖ほど差があった。
 
 料理ができるようになって、お菓子も作れるようになった。
 少しだけ湧いた誇りと自信。
 友だちもできた。知りあいも増えた。
 
 そうして、大切なひとも──

「きゃっ」
 突然腕を引かれて、ククーシュカは声をあげた。
 
 驚いたのは、クロエの手が思いのほか冷たかったからだ。陽が落ちて温度も下がったようだ。

「ククーシュカ、踊りましょうよ」
 クロエが赤いドレスの民族衣装をわたす。
「だめです、わたし踊りは……」
「大丈夫よ、ほら!」
 見ると、みな仮装して広場中央のファイアーストームを囲んでいる。

「仮面をつければ、下手でも誰が誰だかわからないでしょ」
 
 確かに、仮面に加えてかぶりものや変装、角や獣の耳まで生やしている人外風の者もいる。
 これならば、ククーシュカもエルフだと気づかれる心配はない。

「広場で待ってるわよ!」
 駆けてゆくクロエを見送る。
(……行ってみようかな)
 
 ククーシュカは露店の裏手に回り、ドレスに着替えた。
 少し気恥ずかしくて、店のエプロンをまく。
 ヴェールをそっと取った。
 代わりに、トリーネのスカーフできゅっと髪をしめる。
 
 ──お前自身の問題だ。
 アルジェントの声が甦る。

(本当は参加したかったんだ)
 ドキドキと心臓が早鐘を打ち、入り口で仮面をもらうとひとの輪に入る。
 
 人間のダンスは知らない。
 だがエルフは元来、踊りの好きな種族である。
 足慣らしもせず、ククーシュカはすぐに速いテンポの舞曲を理解した。
 
 ヒールが地を蹴ると、スカートがまるく広がる。
 胸は弾み、緊張は高揚へと変わる。
 活発なステップ、流れる景色。
 目まぐるしく交代するパートナー。

 ふいに大きな腕につかまれ、ぐんと力強く引きよせられた。
 がっしりとした民族衣装の男性。銀の狼の仮面をつけている。
 
 ククーシュカは目をぱちくりと開いた。
「……トリアー神父?」
「ほう、よくわかったな」
 仮面の中から、聞き慣れた声がする。
 
 自分が洗濯に使う薬草が、彼から香ったのだ。
 ククーシュカは、ソープワート草にティーツリーの香りを移して服を洗う。  
 この匂いがするのは、村では自分とアルジェントしかいないだろう。
 もっともこんなに高身長の男性は、アルジェントとオロスコ以外、この村にはそういないが。

「ど、どうしてトリアー神父がここに」
「人数が足りんと借り出されてな」
 アルジェントは、話しながらも足取りは正確だ。

「ヴェールを取ったのだな」
 顔は見えなくともアルジェントの声に誇らしげな響きを感じ取り、ククーシュカはうれしくなった。

(わたし、トリアー神父と踊ってるんだ。なんて素敵)
 こんなに躍動感あふれるダンスを、彼が踊れるのも驚きだった。
 
 転瞬、曲調が変わる。すべるようなワルツだ。
 ゆったりとした踊りも、アルジェントは完璧だった。
 
 一見強引に見える動きも、品よくリードしてくれる。育ちのよさを感じずにはいられない。
 それに教皇庁に騎士として勤務していたということは、華やかな催しもあり訓練されていたのだろう。

(女のひとと踊るの、慣れているのかな)
 そんなことを考えていると、ふいにアルジェントが耳もとで囁いた。
「気をつけろ、クク。こんな雑踏にはケーレスは必ず現れる」
 
 そうだ、もともと出店の目的も、教会に人を集め事件の情報を収集するためなのだ。
 浮かれていた胸に不安が走る。
「やつは、左腕にわたしが斬った傷を負っている」
 するりと手が離れ、パートナーが変わった。
 
 数人が入れ替わり立ち替わりして、次の相手を目の前に、ククーシュカはびくりと仰け反った。
 目の前の男性が、白い鳥の面をつけている。
 あの夜、仕掛けられていた罠と同じものだ。

(このひとが、わたしたちを襲った?)
 しかし、あの甲冑を纏った人物とは背格好が違う。
 ククーシュカは息を弾ませながら尋ねた。

「あの、そのお面、どこで購入されたのですか?」
 青年は朗らかに答える。
「ああこれ? 水都(すいと)のカルネヴァーレで買ったんだよ」
「ほかにも持ってるひとはいますか?」
「行ったことのあるやつなら持ってるんじゃないかな。水都(すいと)ならどこでも売ってるありふれたものだし、ほら」
 
 彼が指した方向には、確かに同じ仮面をかぶった男性が数人いた。
 これでは手がかりにならない。
 がっくりと力の抜けたククーシュカに、青年はおかしそうに笑う。

「これがそんなに気になるの? 安物の劣化版だぜ」
「劣化版?」
「本物は飾り用で、瞳の部分に天然石が入ってるんだ」
「……天然石って、赤い?」
「なんだ、知ってるんだ。そうそう、確か彼なら本物を──」
 
 その持ち主の名を聞くとすぐ、ククーシュカは弾かれたように駆け出した。
 アルジェントを捜したが、ひとが多過ぎて見つからない。
 
 逸る心を抑えながら広場から出る。
 露店もほぼ店じまいでひとの気配はない。
(トリアー神父と合流してからのほうがいいかもしれない)
 
 そう思った矢先、広場から悲鳴があがった。
 音楽隊も演奏を止める。
 何かあったのだろうか。

「誰か刺されたぞ!」
 その一声にわっとダンスの輪が崩れ、辺りは蜂の巣をつついたように騒然となった。
「みなさん、落ち着いて、取り乱さないで!」
 イスマイルが声をかけるも、みなパニックになり四方へ散り散りに逃げ惑う。
 
 ククーシュカは遠くからそれを見ていた。
 ひとり、群衆とは違う方向へ、広場の外へ出て行く影がある。
(あれは……)
 
 その人物は、道化師の面をつけていた。