ククーシュカたちがレヴァンダの馬舎へ着くと、待ちかまえていたようにイスマイルが走って来た。

「どこへ行かれていたんですか、アルさま!」
 ふだん冷静な彼がめずらしく取り乱している。
「ああ、ちょっと聖都にな。すまん、みやげはなかったな」

「何をのん気なことを──また出たんですよ、犠牲者が!」
 
 楽しかった一日が一転、ただ事でない悪夢のような知らせにククーシュカは青ざめた。
 アルジェントも急いでマントを羽織り直し、険しい顔でイスマイルに尋ねる。

「場所はどこだ」
「毛織り物工場の近くです」
「被害者は」
「染色見習いの、村の少女で──」

「!」
 
 ククーシュカは駆け出していた。
「あっ、おい待て!」
 アルジェントの声が後を追う。

(染色見習い? まさかクロエが……!)
 現場には、すでに何人かの警吏が調査に当たっていた。
 陽が落ちた街角は暗く、様子がわからない。
 
 ククーシュカが人ごみをかき分け進むと、遺体にかけられた鹿革から血の気を失った白い腕と栗色の髪がはみ出して見えた。
「クロ──!」
 
 集った群衆から飛び出そうとするククーシュカを、引き止める腕があった。
「放してください、トリアー神父! クロエが!」
「わたしはここよ、ククーシュカ」
 
 腕をつかんでいたのは、ほかでもない彼女だった。
「──よかった、無事だったんですね、クロエ!」
 ククーシュカは安堵して胸をなで下ろした。

「落ちついて、大丈夫?」
 ぎゅっと手をにぎられたが、ククーシュカはふと我に返り、鹿革におおわれた遺体に目を向けた。
「ええ、でも、じゃあ……」

 力なく開かれた五指の一つに、見覚えのある布が巻いてある。
 赤いラインの入った麻布。
 
 あれは、あれは──

「そんな……トリーネさん!」

「どいて、どいて!」
 警吏たちが彼女を荷物のように運んで行く。
 ふわりとめくれた鹿革の下から恐懼の表情がのぞき、ククーシュカは悲鳴をこらえうずくまった。


「知りあいだったのか」
「はい。料理教室で……」
 
 彼女もまた、毛織り物工場で働いていたのだ。
 教会に着いても、ククーシュカはカタカタとまだふるえが止まらなかった。横にはクロエがつき添っている。

「お前はもう休め。今夜は月も暗い、栗毛はわたしが送って行く」
「結構よ。家もすぐそこだし」
 アルジェントに対しては、いつもの調子でにべもないクロエだ。

「だめだ、今夜の被害者も自宅のすぐそばで襲われたんだぞ」
「わたしもいっしょに行きます。ひとりで帰らないでください、クロエ」
 ククーシュカにすがりつかれ、クロエはふたりに送ってもらうことにした。
 
 家は、街道から少し離れた場所にあるという。
 人通りの少ない小道を、ククーシュカは不安げに見回しながら歩いた。
(こんな暗くてさみしいところ、また邪霊でも出そう)
 
 突如、アルジェントの足が止まる。
「……トリアー神父?」
 ククーシュカが不審に彼の視線の先を辿れば、暗闇にぼうっと白い顔が浮かび上がっていた。
「!」

『顔』の首から下はなく、明らかに生きた人間ではない。
 アルジェントは剣を抜いた。
 カンテラに反射し『顔』の(まなこ)が赫く光る。

(──ケーレス!)
 
 だが慄きと同時にククーシュカは叫ぶ。
「トリアー神父、後ろ!」
 
 ふり返った瞬間、凄まじいキックの衝撃を受け、アルジェントは数メートルふっ飛ばされた。
 小道わきの塀に激突、間髪入れずに敵から剣がくり出されるが、からくも回転してよける。
 
 アルジェントが咳き込みながら体勢を立て直すと、暗闇に男が立っていた。
 いや、甲冑に兜を身につけており性別は不明。身丈や武器から推測しただけだ。

 がしゃん、という金属音とともに、甲冑は再び猛然と襲って来る。
 動きはそこそこだが装備を纏ったうえでの目測だ、鎧を脱げばより速いかもしれない。アルジェントも慎重に剣を返す。
 
 甲冑の重さをものともせず、リズミカルに急所を突く刺突。
 その楽しげな殺気に、アルジェントは嫌悪が走った。それは、リリウムとはまた違う狂気だった。

 こちらから剣を叩きつければ紙一枚すれすれの(きわ)で躱し、相手からの攻撃を剣の腹で受け止めれば、力を引いて跳躍する。
 重厚な武装とは裏腹に、一見まともに戦う気がないように見える。
 追撃を仕掛けるふりをして剣を引き、アルジェントの太刀筋が崩れた一瞬を攻めてくるのは、すきを狙っているのだろう。

(小賢しい戦い方だ。だが──)
 場数の違うアルジェントからすれば、恐れるに足らない。大胆に踏み込み、斜め下から斬り上げる。
 
 腕の鎖帷子に一閃が入った感触。
 左腕を押さえた甲冑に、アルジェントは剣を突きつけた。

「兜を取れ」
「……」
「さもないと──」
 剣をふり上げたアルジェントの目尻に、
「!」

 どこからか小石が爆ぜ飛んで来た。思わずひるんだすきに甲冑は逃げる。
「待て、くそっ!」
 片目を押さえよろめくアルジェントに、走り出すクロエ。
「わたし、あの男追うわ!」
「ならん、栗毛!」
 
 クロエを止めに追おうとしたククーシュカだったが、いきなりアルジェントが低い苦鳴とともによろめいたので、急いで駆けよった。
 甲冑の鉄靴で、胸を蹴られた打撃に違いない。

「大丈夫ですか、トリアー神父!」
「かまわん──あれを取って来い!」
「あれ?」
 
 アルジェントが指した先には、あの『顔』が落ちていた。
 ククーシュカが手に取ってみると、それは嘴の尖った白い鳥の仮面だった。
 裏返すと、瞳の部分に赤い天然石が埋め込まれている。

(この石が反射して光ったんだ)
「囮だったのだ。吊るされた跡がある」
 
 見ると、小道わきの左右の木に細い縄がわたされていた。
 さっきの立ち回りで仮面は落ちたのだろう。

「これに気を取られ()られるところだった。お前のおかげで助かった」
「後ろから足音が聞こえたので」
「わたしには感知できなかった。エルフの長耳だからこそ聞こえたのだ、ありがとう」

 アルジェントの言葉が、胸に反響した。
 ダンターの祓いが完了し、ほめられたときと同様、お礼を言われたのも初めてだった。
 しかし、余韻にひたっているひまはない。

「栗毛はどうした」
 アルジェントがよろよろと立ち上がると、ちょうどクロエが小道の向こうからもどって来た。

「この先で見失ったわ」
「今日はやめましょう、トリアー神父。捜査は明日に」
「いや、だめだ! ここでケーレスを取り逃すわけにはいかん!」
 
 鬼気迫るものがありククーシュカは一瞬たじろいだが、アルジェントの額には脂汗が浮かんでいた。
「まだ調べることが──」
 そのまま地面へ向かって崩れる。
「神父さま!」

「──とォ、間にあいましたね」
 間一髪、自分より大きな僧服(カソック)を支えたのはイスマイルだった。

 
 アルジェントを教会の司教室に運んでもらい、ククーシュカは起こったことをくわしくイスマイルに話した。
「そうですか。では、警吏を総動員させてあの辺りを捜索します」
「あの、トリアー神父は大丈夫でしょうか」
 気絶したきり、目を覚まさない。
「平気ですよ。明日には元気になっているでしょう」

 そんな明日の天気を予報するような軽さで、彼は教会を後にした。まだ捜査が残っていると言う。
 その口調も動作も機械的で合理的、アルジェントのほうがまだ人間味がある。
 立場が違ってもふたりは親しく見えたので、彼がまったく心配していないのがククーシュカは納得がいかなかった。
 
 アルジェントは強烈な蹴りを食らい、塀に激突し昏倒したのだ。
 胸部──肋骨か内臓が傷ついている可能性だってある。

(イスマイルさん、神父さまのこと、どうでもいいのかしら)
 アルジェントが怪我をしていたとしても自分には何もできないが、ククーシュカは眠る彼の容態をとなりで見守ることにした。
 
 改めて見回すと、きちんと整頓された部屋。
 頸垂帯(ストーラ)も祭典ごとに色分けして壁に吊るされており、彼の几帳面な性格が垣間見える。
 
 だが、がらんとした室内は生活感がなく、住人がいるようには思えなかった。
 ただ片づいているというよりは、極端にものが少ないのだ。
(でも、もの作りは好きなんだ)
 矛盾を感じるが、それは彼が自分の空虚さを埋めるような、そんな心象風景がククーシュカには浮かんだ。

 深夜になり、ククーシュカはいつの間にか腰かけていた椅子で自分も眠り込んでいた。
 はっと目を覚ますと、アルジェントの呼吸が荒くなっている。
(発熱している)
 
 急いで発汗作用のあるニワトコのお茶を作ったが、飲ませる方法がわからない。
(口移し……無理無理!)
 ぶんぶんと(かぶり)をふり、冷たい水にひたしたリネンのタオルをきつくしぼり、ひたいに乗せる。
 
 しばらく様子を見ていると、アルジェントは苦しげにうめき始めた。
 また頭痛がぶり返したのだろうか。眉間にしわが刻まれ、こめかみにも汗が浮かぶ。
 同じ名前をひたすらうわ言でくり返していた。

(何か悪夢を見ていらっしゃる?)
 起こした方がいいだろうか。
 タオルがずり落ちそうになったのでククーシュカが手を伸ばすと、いきなり手首をがしりとつかまれた。

「きゃっ……!」
「な、なんだお前、ここで何をしている」
「あの、トリアー神父、熱があったので……」
 
 何か思い当たるふしがあったのか、彼は怪訝に尋ねてきた。
「わたしは、今何か……?」
「え、ええと、どなたかのお名前をしきりに……」
 
 そのとたん、アルジェントはかっとなり叫んだ。
「この部屋から出て行け!」
「ト、トリアー神父?」
 息を呑むククーシュカにドアを指さす。

「いいから出て行け、今すぐ!」
 
 わけもわからず、逃げ出すようにククーシュカは司教室を飛び出した。
 ひとりになった部屋で、かたわらのお茶に気づいたアルジェントは、ぬるくなったタオルをにぎりしめシーツを叩いた。
「……くそっ!」