秋雨が濃霧に変わる頃、男はため息混じりに悪態をついた。
 
 門前通りで待ちあわせたはずの部下がなかなかやって来ない。
 今夜は当番だと、あれほど念を押したのに。

 自分たち自警団と、警吏の者たちで村を見回ろうと決めたのは、紛争後まだ間もない頃のことだった。
 
 ここのところ村では、老若男女を問わず村人が姿を消す事件が、次々と相次いでいた。
 数日後には、被害者は無残な遺体となって見つかる。
 悪霊の仕業だという噂が次第に囁かれるようになり、陽が落ちると出歩く者は少なくなっていた。
 
 だが男は、そんな架空の存在など信じていなかった。
 おおかた、戦いに敗れた残党が犯人だろう。

 男は雨つぶの滴るフードを上げ、カンテラで行手を照らした。
 すっかり灰色の帳が下りた景色は、地元の者でなければここがどこかわからないほどだ。
 遠くの水車小屋のブナの木が不気味に枝を広げ、朧に異形のように浮かんでいる。

「しょうがねえ、ひとりで行くか」
 やつには後で大目玉を喰らわそう。
 部下は信心深い(たち)だ。恐れて家にこもっているのかもしれない。

 ずっと立っていては躰も冷える。
 男はぶるっと身ぶるいをし、携帯していた小壜(フラスコ)からぶどう酒をあおった。
 村はずれの川まで来たとき、ふと水車に何かが引っかかっているのに気づいた。

「なんだ、こりゃ」
 近づいてよく見ると、それは一個の男物の靴だった。
 
 誰かが落としたのだろう。片方を失くして、不便な思いをしているかもしれない。
 かがんでひろおうとすると、突然ぴしゃりと雨つぶがほおを打った。

 無意識にぐいとぬぐうと、手の甲が赤く染まっている。
 不審に思いなんとはなしに木の上を見上げた男は、その場に凍りついた。

 待っていた相方がそこにいた。
 片方の足は裸足で。
 洗濯物のように、逆さにブナの枝に引っかけられて。

「う、うわああああ!」
 尻もちをついたが、なんとか起き上がり一目散に駆け出す。
 
 上体は縦に切り裂かれていた。
 雨のように血が滴っていた。
 
 まさか、人間にあんなことができるのか?
 水たまりを踏み、しぶきが弾ける。
 
 しまった、カンテラをおいてきてしまった。
 もういい、前が霧でよく見えないのでマントもすてる。
 静寂は破られたように感じたが、辺りは男の気配しかなかった。

 早く、早く村へ帰らねば!
 遠くに門前通りがかすんで浮かぶ。
 
 ようやく安堵した瞬間、霧の中に閃きが見えた。
 とたん、脇腹に強烈な痛みが走る。

「ぐわっ!」
 横倒しになって転げ回ると、人影が近づいて来た。
 一瞬もうだめだとあきらめたが、それは知っている顔だった。
「ああ、あんた、よかった。誰か助けを──」
 
 しかし相手の手に光る刃を見咎めたとき、男は愕然とした。
 断末魔の叫びすら与えられず、彼の胸は部下と同じく縦真一文字に切り開かれた。
 後に残されたのは、恐懼と絶望のデスマスク。
 
 霧はますます密度を増していった。
 だが霧が晴れずとも、彼は近いうちにに発見されるだろう。
 
 なぜなら、死体の胸には臓器の代わりに木いちごがこれでもかとつめ込まれ、花以上に芳しい香りを放っていたからだ。
 
 
 夜は始まったばかりだった。