もたもたと髪とゴーグルから外しながら、ふと浜辺でのことを考える。胡桃が躊躇なく桜井くんに浮き輪を差し出したように、私が絡まった髪を解いてほしいと頼むのは許されるだろうか。
そんなことを考えていたら、バシャッと近くで水飛沫が上がった。髪とゴーグルを持ったまま振り返ろうとしたら、振り返るより早く浮き輪が傾いた。
「貸しな」
雲雀くんの腕が載せられ、背中のほうの浮き輪が海の中へと傾いていた。雲雀くんの手が、髪とゴーグルの間で迷子になっている私の手を外す。そっと優しく掴むでもなく、むんずと乱暴に掴むでもなく、ただ筆箱を掴むのと同じような温度感だった。そのままあっさりと、難なく髪をゴーグルから抜く。
「もう要らないなら回収するけど」
「……もう大丈夫。ありがと」
だから、雲雀くんは狡いのだ。他人のくせに、男子のくせに、ゼロ距離になんでもないような顔をする。それでもって、なんでもないような顔をするのが許されている。その免罪符がどの要素にあるのか、私には分からないけど。
「ついでに浮き輪借りる。疲れた」
のしっと浮き輪に体重をかけながら、雲雀くんは髪をかきあげる。その耳にはいつもと違ってピアスはついていなくて、代わりに穴が開いていた。
「……海だとピアス外すの?」
「ん? ああ、錆びるヤツだから」
そういう几帳面なところが雲雀くんらしい。桜井くんは気にせずつけっぱなしにしそうなのに。そんなことを思っていたら「昴夜は気にしないからつけてるけど」と言われた。やっぱり。
「三国、ピアス好きなのか」
「……別に好きとかないけど。なんで?」
「いつもピアス見てんなと思って」
言われてみれば、最初にそんな話もした。
「なんか気になるんだよね。自分がつけないから」
「つければ?」
「なんか昔、『渾沌、七竅に死す』を読んでから穴を開けること自体が怖くなったっていうか……」
「荘子の? 全然関係ない話じゃねーか」
ああ、ほら、雲雀くんのこういう笑い方が可愛い。普段仏頂面のくせに、まるで子供みたいに笑うところが可愛い。
「なに、渾沌って」
きょとりとした顔の桜井くんが、ゆらゆらと胡桃の浮き輪に捕まったまま漂ってきた。このまま帰るか、と二人がエンジンよろしく足を動かし始めたので、私も水中でゆっくりと足を動かす。
「そういう怪物、って言えばいいのかな。とにかくなにも穴がない怪物で、でも人間には七つの穴があるから、一日に一つの穴を開けてあげたら、七日目七つ目の穴を開けたときに死んじゃったって話」
「え、なにそれ。つか穴開けたら死ぬの当たり前じゃね?」
「でも穴が全くない怪物だから。目がないから見えない、耳がないから聞こえない、そういう不便さがあるんじゃないかって配慮したわけで、やった人は善意だったんだよね」
「そういう理屈の押し付けをすんなって話だよ」
「渾沌を渾沌のまま肯定しろって話じゃないっけ?」
「そうだっけ。忘れた」
聞いていた桜井くんが難しい顔をして首を捻った。故事や寓話なんてそのオチがはっきりしないと釈然としないので、その反応は正しいし、中途半端な私と雲雀くんが悪かった。
「英凜と侑生ってさー、そういう話どこで仕入れてくんの?」
「仕入れ……」
「昔何かで読んで覚えてる」
そんなことを考えていたら、バシャッと近くで水飛沫が上がった。髪とゴーグルを持ったまま振り返ろうとしたら、振り返るより早く浮き輪が傾いた。
「貸しな」
雲雀くんの腕が載せられ、背中のほうの浮き輪が海の中へと傾いていた。雲雀くんの手が、髪とゴーグルの間で迷子になっている私の手を外す。そっと優しく掴むでもなく、むんずと乱暴に掴むでもなく、ただ筆箱を掴むのと同じような温度感だった。そのままあっさりと、難なく髪をゴーグルから抜く。
「もう要らないなら回収するけど」
「……もう大丈夫。ありがと」
だから、雲雀くんは狡いのだ。他人のくせに、男子のくせに、ゼロ距離になんでもないような顔をする。それでもって、なんでもないような顔をするのが許されている。その免罪符がどの要素にあるのか、私には分からないけど。
「ついでに浮き輪借りる。疲れた」
のしっと浮き輪に体重をかけながら、雲雀くんは髪をかきあげる。その耳にはいつもと違ってピアスはついていなくて、代わりに穴が開いていた。
「……海だとピアス外すの?」
「ん? ああ、錆びるヤツだから」
そういう几帳面なところが雲雀くんらしい。桜井くんは気にせずつけっぱなしにしそうなのに。そんなことを思っていたら「昴夜は気にしないからつけてるけど」と言われた。やっぱり。
「三国、ピアス好きなのか」
「……別に好きとかないけど。なんで?」
「いつもピアス見てんなと思って」
言われてみれば、最初にそんな話もした。
「なんか気になるんだよね。自分がつけないから」
「つければ?」
「なんか昔、『渾沌、七竅に死す』を読んでから穴を開けること自体が怖くなったっていうか……」
「荘子の? 全然関係ない話じゃねーか」
ああ、ほら、雲雀くんのこういう笑い方が可愛い。普段仏頂面のくせに、まるで子供みたいに笑うところが可愛い。
「なに、渾沌って」
きょとりとした顔の桜井くんが、ゆらゆらと胡桃の浮き輪に捕まったまま漂ってきた。このまま帰るか、と二人がエンジンよろしく足を動かし始めたので、私も水中でゆっくりと足を動かす。
「そういう怪物、って言えばいいのかな。とにかくなにも穴がない怪物で、でも人間には七つの穴があるから、一日に一つの穴を開けてあげたら、七日目七つ目の穴を開けたときに死んじゃったって話」
「え、なにそれ。つか穴開けたら死ぬの当たり前じゃね?」
「でも穴が全くない怪物だから。目がないから見えない、耳がないから聞こえない、そういう不便さがあるんじゃないかって配慮したわけで、やった人は善意だったんだよね」
「そういう理屈の押し付けをすんなって話だよ」
「渾沌を渾沌のまま肯定しろって話じゃないっけ?」
「そうだっけ。忘れた」
聞いていた桜井くんが難しい顔をして首を捻った。故事や寓話なんてそのオチがはっきりしないと釈然としないので、その反応は正しいし、中途半端な私と雲雀くんが悪かった。
「英凜と侑生ってさー、そういう話どこで仕入れてくんの?」
「仕入れ……」
「昔何かで読んで覚えてる」



